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自動車販売会社から借りた試乗車や代車をもしも返さなかったらどんな罪が成立するか?

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
写真は本文と関係はありません。(写真:ロイター/アフロ)

■はじめに

 常磐道でのあおり運転殴打事件。傷害容疑で逮捕されたM容疑者が運転していたBMWのスポーツ用多目的車(SUV)は、彼がBMWの販売会社に修理依頼した自家用車の代車として貸し出されたものでした。M容疑者は、7月21日に代車としてSUVを借り、当初は3日後に返却の予定でしたが、何度も期日を変更し、最終的に8月13日に返却することを約束していました。実際に返却されたのは、殴打事件があった翌日の8月11日で、返却の延期については販売会社側が了承していたようなので、その点については犯罪の問題は生じません。ただ、そうは言っても、彼が代車としての一般的に考えられる走行距離をはるかに超えて走行しており、代車の消耗の程度が販売会社の承諾をはるかに超えているといったことも考えられますので、その場合には刑法上の問題が生じる可能性は残ります。

 販売会社はM容疑者に対して法的措置を検討しているとのことですが、販売会社から借りた試乗車や代車を返さなかったらどんな罪が成立するかについて整理してみました。

夕刊フジ:あおり運転殴打事件に「第3の男」浮上 BMWディーラー、宮崎容疑者に法的措置検討

■自動車はだれが事実上支配しているのか

 試乗車や代車を返却しない場合、その自動車をだれが占有(財物についての事実上の支配のこと)しているのかが問題になります。

 試乗車や代車を借りた段階で販売会社の自動車に対する占有は解かれ、ユーザーの側に移転したと評価されるならば、(1)最初から返却の意思がなくだまして借りたということで、他人(販売会社)を欺(あざむ)いて財物をだまし取ったことになります(刑法246条1項)。この場合は借りることが許可されて、乗車した段階で詐欺罪が成立しますが、(2)最初はだますつもりがなく、乗っている途中で返却する意思がなくなったならば、自分が占有する他人の財物をその時以降無断で自分のものにしたことになり(刑法252条1項)、横領罪が問題になります。

  • 刑法246条1項(詐欺) 人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
  • 刑法252条1項(横領) 自己の占有する他人の物を横領した者は、5年以下の懲役に処する。

 ところで、代車の場合は、販売店がユーザーに自動車を貸すわけですから占有は当然移転しますが、試乗車の場合は、その占有が販売会社にあるのか、ユーザー側にあるのかが問題になる場合があります。

 これについては、試乗車を乗り逃げしたというケースで詐欺罪を認めた、東京地裁平成3年8月28日の判決が参考になります。

 事案は、被告人が自動車販売店を訪れ、自動車を購入するといつわって商談をした後、試乗をしたいと話を持ちかけて、同店に置いてあった試乗車を乗り逃げしたというものです。被告人には窃盗前科が多数あったことから、通常の窃盗罪よりも重い常習累犯窃盗の罪で起訴されましたが、裁判ではこの試乗車の占有はだれに帰属しているのかが問題になりました。

 過去の判例を見ますと、(1)旅館の宿泊客が、自分のものにする意思で、その旅館の丹前(たんぜん)や帯、下駄を着用したまま旅館から立ち去った行為を窃盗とした最高裁昭和31年1月19日決定や、(2)古着商の店頭で客を装って衣類を試着したままトイレに行くといつわって逃走した場合は、詐欺罪ではなく窃盗罪であるとする広島高裁昭和30年9月6日判決等があり、検察官はおそらくこれらの判例を参考に、試乗車の提供が車両の性能等の体験を目的としており、その試乗時間は短く、また試乗場所も近辺が予定されていること等から、試乗車には自動車販売店の事実上の支配が強く及んでおり、その乗り逃げは窃盗罪にあたると主張しました。つまり、試乗車を乗り逃げることによって、他人の意に反してその占有を排除し自分の占有を設定したので、窃盗が成立するという論理です。

 しかし、結果的に裁判所はこの検察官の主張を否定し、販売店が添乗員を付けた場合には、試乗車に対する販売店の占有の継続が認められるが、客に単独試乗を許可した場合には、犯人の方でガソリンを補充すれば長時間かつ長距離の走行が可能であり、また移動性も高く発見が困難になることから、単独試乗をさせた時点で販売店の試乗車に対する占有は失われたものと認められ、被告人は乗り逃げの意思を隠して試乗すると販売店をだまして、試乗車の占有を犯人の側に移転させたとして詐欺罪の成立を肯定しました。

 上の古着商のケースとの違いが分かりにくいと思いますが、詐欺が成立するためには、「だます」という行為によって、被害者が財産をみずから相手に渡す(処分行為)ようにだまされたという関係が必要ですが、古着商の場合の「トイレに行く」という犯人の言動は、(被害者の注意をそらすだけで)財産の処分を促すものではないのに対して、試乗車のケースは、販売店に単独試乗を許可させることによって、車の占有を被害者(販売店)みずからが犯人の側に移転させている点が大きな違いです。

■まとめ

 M容疑者の場合は、最初から乗り逃げする意思で代車を申し込んだならばもちろん詐欺ですが、返却の延期を約束し、販売店もこれを了承していたことが伺われますので、本当に返却する意思があったならば、犯罪の問題は生じません。ただ、上述のように、代車の消耗の程度が販売会社の予想をはるかに超えていたようならば、自己が占有する他人の財物について、所有者でなければできないような処分を行ったとして横領罪の成立もありえます。

 なお、返却された代車には無数の傷がついていたということですが、器物損壊罪は故意犯ですので、わざと傷をつけたのでないならば器物損壊罪は成立せず、修理代金を負担する責任を負うということになります。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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