【札幌市手稲区、西区、北区&中央区】1975/2/22私は張碓や手稲を通過して札幌に向かった。
今はなき。
父の遺品を整理しているのですが、私の鉄道好きや炭鉄港ガイドとして嗜好はまさに遺伝だったと思わせるような、古い写真がたくさん出てきてますので、札幌のものはここで、小樽や函館のものはそれぞれのブログに記録として残しておこうと思います。
と言うわけで1975/2/22、自宅のあった南小樽駅から、父の出勤にくっついて札幌に行った時の写真です。
南小樽、小樽築港、朝里の写真は、残念ながらこの日の分は残っていません。
そして次の駅はもちろん、今はなき張碓(はりうす)です。
この駅のホーム上に人がいるなんて、かなりレアではないでしょうか?
進行方向に向かって後ろの窓から撮影、つまり発車した後です。
張碓については語りたい事はたくさんありますが、ここは札幌のページなので、小樽ブログ、そちらに今年から今までより多めにアップする予定なので、そちらに書きます。
まだ昔の駅舎だった、手稲駅。
さて列車は(汽車ですね)、銭函に立ち寄った後、手稲へ。
1975年には、ほしみ、星置、稲穂はありませんよ!
まだ今の駅舎ではなく、山小屋風の駅舎でこじんまりとしてました。手前の橋は樽川陸橋で、これは今と変わりません。駅構内にはかなりの引き込み線があったことがわかると思います。
手稲駅の北側では、かつて石油に関係した施設があったらしく、もしかしたらそんな関係の引き込み線の必要があったのでしょうか?
手稲駅には、調べてみたいことがたくさんあります。進行方向に向かって前の窓から撮影、つまり間も無く到着です。
高架ではない、琴似駅。
さあそれでは、琴似。従姉妹の住んでいる街でした。
あ、稲積公園、発寒、発寒中央もまだありません。
そしてまだ地上駅です。結構季節になると馬糞風がたなびくローカルな駅でした。
これも進行方向に向かって前の窓から写していますね。つまり、間も無く到着。
人が少ないですね!
そして、桑園を通過して、
札幌到着。
都会につかれた、8才の私です。
当然、当時の札幌駅は4代目の青い民衆駅です。
駅前通りに向けて撮影をしました。
写真から切れていますが、この時すでに、道銀駅前南口支店はありました。この時からカウントしても半世紀あったものが、昨年暮れになくなるなんて、ちょっと寂しいですね。
日立の大きな看板もあります。左側は映っていませんが、まだ五番館がありました。
皆さんのご自宅にも古い写真はありませんか?
自宅に古い写真があれば、そこには歴史的資料になるものがあるかもしれないですよ!
うちには莫大なアルバムがあり、父が亡くなってしばらくは開封もしていませんでしたが、開けてみるとかなり貴重な写真がまれにあるものです。それはこうして皆さんに紹介したり、戻すべき人に戻したり、博物館に寄贈したり色々です。
歴史の短い北海道は皆さんの記憶と記録で、どんどんその姿を鮮明にしていくことができます!ぜひお時間ある時にチェックしてみてくださいね!
★旧手稲駅舎★
場所: 札幌市手稲区手稲本町1-3付近
★旧琴似駅舎★
場所: 札幌市西区琴似2-1付近
★旧(4代目)札幌駅南口駅舎★
場所: 札幌市中央区北5西3-4
【参考】
なき張碓駅
場所: 小樽市張碓町637付近