権謀術数の末に最後は処刑…「金正日一家」に婿入りした庶民男性の末路
脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表が、韓国のタブロイド紙・日曜新聞(電子版)2月9日付で、金正恩朝鮮労働党委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)党第一副部長の夫の名前を明かしている。金与正氏の夫の素性は、名前も含めて良くわかっていない。
金与正氏が2015年初め頃までに結婚していたことは、左手薬指にリングをはめた写真などからも明らかだ。相手については一時、金正恩氏の最側近のひとり、崔龍海(チェ・リョンヘ)党副委員長の息子であると噂されたが、これは情報筋の間で早々に否定された。
そもそも、崔氏は素行の悪さで知られた人物だ。いくら大物幹部だからといって、金正恩氏が大事な妹をそんなところに嫁にやるとは思えなかった。
(参考記事:美貌の女性の歯を抜いて…崔龍海の極悪性スキャンダル)
金正恩氏の妻・李雪主(リ・ソルチュ)氏は、庶民の出であることが知られているが、金与正氏の夫もまた、どちらかというと平凡な家庭で生まれ育ったようだ。
(参考記事:【写真特集】李雪主――金正恩氏の美貌の妻)
李代表によれば、彼の名は「ウ・インハク」というそうだ。漢字で書くと、たぶん「禹仁学」あるいは「宇仁学」になると思われる。もしかしたら「ハク」は「学」でなく「鶴」かもしれない。
1986年に黄海北道(ファンヘブクト)麟山(リンサン)郡で生まれたとされるウ・インハク氏は、中学校卒業時には党組織指導部により幹部候補生にリストアップされるほどの秀才だったらしい。金日成総合大学を卒業後は金日成社会主義青年同盟で建設部門の幹部となり、その後は護衛総局の軍人となったそうだ。現在は「党組織指導部に在籍していると推測される」と、李代表は述べている。
青年同盟から護衛総局に移った頃には、おそらく金与正氏のパートナー候補として半ば公認されていたのかもしれない。しかし、父親は黄海北道の中堅あるいは下級官吏とされ、「白頭の血統」の家門に入るのは簡単ではなかったろう。金与正氏との結婚を最終的に許可したのが金正恩氏であることは、まず間違いない。
今後、彼はどのような人生を歩むのだろうか。それを占う上で参考になる人物が、ひとりだけいる。金正日総書記の妹・金慶喜(キム・ギョンヒ)氏の夫だ。2013年、金正恩氏によって処刑された、彼ら兄妹の叔父である張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長だ。
金日成総合大学に在学中、容姿端麗で開放的な性格、さらには頭の回転の速さから上級生の金正日氏に可愛がられた張成沢氏は、その妹の金慶喜氏のハートも射止めた。彼ら兄妹の父・金日成主席は身分の低い張成沢氏を疎んじたとされるが、金正日氏のとりなしにより金慶喜氏とゴールイン。その後は紆余曲折を経つつも、金正日氏の晩年には海外で「北朝鮮のナンバー2」として知られるまでになった。
しかし前述したとおり、その最期は「処刑」という悲惨なものだった。金慶喜氏との結婚がどのような形で行われたのであれ、張成沢氏は金王朝の「ムコさん」だったと言うことができる。百鬼夜行を地で行くようなあの国の権力闘争の中で、平凡な生い立ちのムコさんが自分の人生をまっとうするには、持てる能力を最大限に発揮しなければならない。時には、権謀術数も必要だ。実際、張成沢氏は数多くの政敵を葬り去ってきたと言われる。それも、一家全員を抹殺するようなやり方で。
(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認)
もともと能力を買われてムコさんとなった人物であれば、北朝鮮最強の家門を背に負って、権力中枢に君臨することも不可能ではなかろう。
しかし、やり過ぎてはダメなのだ。張成沢氏が、何が決定的なきっかけとなり処刑されたかは、現在も謎のままだ。前述のとおり、彼もまた政敵抹殺で手を血に染めており、少なからず恨みを買っていたと思われる。最高指導者から嫌われたら、文字通り最後だ。
果たしてウ・インハク氏は、張成沢氏の轍を踏むことなく生き延びることができるだろうか。
(参考記事:金正恩氏実妹・与正氏の同級生がナゾの集団失踪)