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父子で知る、親子で知る~答志島わかめ就労体験記~

吉田大樹労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表
父子で学んだわかめの就労体験。都会にいたら知らないことを子どもと学ぶことができた

すでに8月。夏休みが始まって10日以上が過ぎた。子どもがどう過ごすのかを悩んでいる親も多いことだろう。日常では体験できない機会を長期の休みに作ってあげたいと思うなかで、何が子どもにとって大事なのかを毎年模索しているのではないだろうか。

とは言え、子どもたちがダラダラ休みを過ごすのもそれはそれでいいのではないかと思っている。あえて「これやれ、あれやれ」とは言わない。ヒントは言うかもしれないが、答えは言わない。つまらないなら、つまらない世界の中で「何か」を見つける大切さを学ぶ機会になると思う。子ども自身が考えたものを実践する機会にするのでもいい。

サマーキャンプなどに子どもを送り出すのも手だが、子どもだけを送り出すのはちょっともったいない。子どもだけをキャンプに送り出しても、都会だけで育った親たち自身は得るものが少ない。せっかくの機会だ。この長期の休みに、家族で、または父子で、地方に繰り出して、子どもとともに体験を通して学び合うことができたら、より意義のある休みにできるだろう。

鳥羽市漁業就労体験ツアーin答志島に父子で参加

筆者は今年3月末に春休み中の我が子3人を連れて、三重・鳥羽市にある答志島に訪れた。市の事業として鳥羽磯部漁業協同組合が企画した「鳥羽市漁業就労体験ツアーin答志島」に参加するためだ。

同組合は、これまで答志島の漁家と漁業に関心がある都市高齢者をつなげる「結(ゆい)づくりプロジェクト」を立ち上げ、高齢者向け漁業版ワーキングホリデーを実施していたが、新たなニーズを探ろうと、子育て世代や若年層にも焦点を当てて、答志島の魅力を知ってもらう企画を立てた。

基本的には、3泊4日のスケジュールで、中2日は答志島の名産であるわかめの就労体験を存分に楽しむことができる内容となっている。

答志島を知らない方も多いと思うので、島の紹介をもう少し。

三重・鳥羽市にある答志島の位置と本土・鳥羽城跡から望む答志島
三重・鳥羽市にある答志島の位置と本土・鳥羽城跡から望む答志島

三重・鳥羽市にある答志島は、東西に約6km、南北に約1.5kmあり、面積は約7キロ平方メートルで東京ミッドタウンの敷地面積と同程度とされる。三重県内では最大の島で、島内に、答志、和具、桃取という3つの集落で構成されている。人口は約2,500人で、答志地区においては一定年齢に達した男児を大人が預かって面倒をみるという「寝屋子(ねやこ)制度」が残っている珍しい島でもある(鳥羽市無形民俗文化財にも指定されている)。

今回の就労体験を受け入れているのは和具地区で、3つの地区では最も人口が少ない約520人が暮らすが、半面、宿泊施設は最も充実している地区でもある(現在は16の宿泊施設がある)。今回筆者は、ホテル「寿々波」に宿泊した。

ホテル寿々波から見える和具浦地区の漁港
ホテル寿々波から見える和具浦地区の漁港

わかめについて何も知らなかった・・・

はて、わかめ。普段は値段が張っているのでなかなか生のわかめを買うことができない我が家。主には中国産の乾燥わかめを使っているのが現状だ。

そんなわかめがどのように収穫され、どのように商品となり、そしてどのように食卓に運ばれるのか。まったく説明できない親がここにいた。

これではいけない。子どもたちと一緒にこの謎を解明してみたい。そんな思いを持ちながら、鳥羽港から答志島へ向かう船を乗り込んだ。高速船「かがやき」だと、10分ほどで着いてしまう目と鼻の先にある島だ。

鳥羽港から出港している高速船「かがやき」
鳥羽港から出港している高速船「かがやき」

今回、筆者と筆者の子ども3人とともに、キャンピングカーのレンタル事業を全国展開し、地方創生にも力を入れている株式会社レヴォレーター代表取締役社長の板谷俊明さんにも同行いただき、同じ就労体験ツアーに参加してもらった。

わかめが商品になるまで

和具でのわかめの収穫時期は、2月から4月の3カ月ほどと短いが、その前の種付け時期を加えると約半年ほどの期間をわかめの収穫作業に従事していることになる。和具では、答志島と同島南部にある菅島との海域に漁業権が設定され、家内工業的に漁家ごとに収穫し、商品化、漁協へと卸している。

わかめの収穫は、冬だとまだ真っ暗な午前4時頃から始まる。筆者たちは船に乗っての収穫体験はしなかったが、船に乗り見学をさせてもらった。

冬の冷たい海の中に船から身を乗り出しながら、わかめの付いた網を引き上げ、収穫できる大きさのわかめをカットして船上に積んでいく。この作業を2~3時間ほど行う。腰を90度に折り曲げながらの作業は見ただけでも重労働だとわかる。しかし、この作業も長い一日の序盤に過ぎない。

腰を90度以上に曲げながら作業は2~3時間ほど続く
腰を90度以上に曲げながら作業は2~3時間ほど続く

わかめ収穫を見学する(動画)

船上から港に降ろされた大量のわかめ。まずは、わかめとめかぶの部分を切り分ける作業から始める。さらにめかぶの部分は茎を持ちながらめかぶの部分を削ぎ落していく。子どもでもできる簡単な作業だ。我が子3人も黙々とカットしていった。

茎からめかぶを取り除く作業。子どもたちも率先して取り組んだ
茎からめかぶを取り除く作業。子どもたちも率先して取り組んだ

次の工程は、自然ならではのところ。例年だとシケがある程度来るので、海の中がかき回され、わかめの付着物が自然と乗り除かれていく。しかし、今年はシケが少なかったことが影響し、わかめに付着物が多く、これを取り除かなければならない。

地元の方が「こせ」と呼ぶ付着物
地元の方が「こせ」と呼ぶ付着物

わかめを1本1本たわしで軽く傷つけないようにこすり、この付着物を取り除いていく。この作業がなかなか終わらない。しかし、誰も不平も言わず、たわしで取り除いていく。さすがに時間のかかる作業で子どもたちは徐々に別行動となっていたが、筆者は案外こうした単純作業が好きなので、「終わらないのではないか」という絶望と闘いながら、2~3時間かけて1本1本取り除いていった。

黙々とみんなでわかめの付着物を取り除く
黙々とみんなでわかめの付着物を取り除く
夢中でわかめの付着物をたわしで取り除いていく筆者
夢中でわかめの付着物をたわしで取り除いていく筆者

今度は、わかめを海水で茹でる作業だ。ボイラーで沸かした海水にわかめを投入していく。この作業を経ると、いわゆる食卓に並ぶ「わかめ」の色に染まっていく。そのわかめを海水で冷やしていくが、ここでは長男が大いに活躍してくれた。親バカな感じだが、すごく様になっていた。こういう生き方も全然ありだなと実感できた瞬間でもあった。

ボイラーで沸かした海水でわかめを茹でる
ボイラーで沸かした海水でわかめを茹でる
大量のわかめをかき混ぜて冷ます筆者の長男
大量のわかめをかき混ぜて冷ます筆者の長男

まんべんなく冷ましたところで、ケースに入れて積み、塩漬けするために小屋へと運んでいく。撹拌機にわかめを入れ、大量の塩を加えて、かき混ぜていく。30cmほどのボールで大盛4杯の塩を入れる。想像以上に大量の塩を使うのだ。保存食にするためには必要な塩なのだろう。塩で攪拌し終えたわかめは大きな風呂釜のような入れ物に次々に入れていき、頭が出るくらいまで入れたところで、今度は重しを置いて1日漬け込む。

塩を入れて数分攪拌し、手前の桶に移す
塩を入れて数分攪拌し、手前の桶に移す
大量の塩で漬け込んだわかめ。上に重しを置いて一日寝かす
大量の塩で漬け込んだわかめ。上に重しを置いて一日寝かす

1日塩漬けにされたわかめは、わかめの葉の部分と茎の部分に手作業でカットしていく。これも1本1本の手作業なので途方もない作業となる。

わかめの部分は網の袋に入れ、ポリバケツに投入し、重しを置いてさらに1日漬け込む。わかめが入った網の袋を4つ穴の開いた丸い容器に入れ、半分ほどの厚さになるまで油圧器で圧縮し、水分を取り除いていく。

圧縮作業を手伝う筆者長女
圧縮作業を手伝う筆者長女

圧縮して水分がすっかり抜かれたわかめ。ここまで来ると塩わかめの形が見えてくる。圧縮されたわかめを金網の上に広げてほぐしていく。完全に取り除けなかったわかめの付着物があるかどうかを再度チェックして、あとは商品として袋に詰められていく。

わかめをほぐし、付着物を取り除く最終工程
わかめをほぐし、付着物を取り除く最終工程

息づく島の生活の中で

漁家ごとにわかめを生産している光景
漁家ごとにわかめを生産している光景

便利を追求しすぎる社会の中で、人は生き抜く力さえも削ぎ落してしまっているのではないかと思う昨今。今回のわかめの就労体験を通して、日々の生活の中で息づく風景に接することがわずかながらできたと思う。我が子3人もその重要性を直接実感するにはまだ幾分時間がかかるかもしれないが、この体験を通して得られたものは多いと思う。

わかめと言えば、三陸地方のほうがメジャーだが、この答志島の塩わかめは、その技術を学び、この地区で息づいてきた。家内工業的な形で一見非効率な感じもするが、わかめによる漁家の年間収入は、おおよそ700万円~1,000万円ほどになるという。わかめの収穫以外の期間は他の漁業を行っており、年間の収入はさらに増える。

どんどんと島の人口が減っていく中で、今回の体験企画も、少しでも答志島のことを知ってもらい、移住する人が出てきたらという思いからだろう。

今回、筆者一家を受け入れてくれた山本千年さんの漁家は、この企画を理解し、妻の美枝子さんとともに大いなる優しさをもって受け入れてくれた。わかめの体験も大変に楽しかったが、また山本さんたちにお会いしたいという気持ちのほうが強い。

山本千年さん(写真中央)と妻の美枝子さん(写真右)。山本さんの小屋の前にて
山本千年さん(写真中央)と妻の美枝子さん(写真右)。山本さんの小屋の前にて

今回の企画を運営している「結づくりプロジェクト」の事務局長で鳥羽磯部漁業協同組合監事の佐藤力生さんは、元水産庁の職員で、定年退職後にこの答志島に移住してきた1人だ。今回の就労体験ツアーについて次のように思いを語ってくれた。

「高齢者向け漁業版ワーキングホリデー『結(ゆい)づくり』に移住・定住コースを設け、対象となる年齢層が異なったものの、まったく支障なく一体的に事業を遂行することができた。これは、受入漁家の皆さんの移住・定住促進策に対する理解があったことが大きな要因だ。わかめ作業は誰にでも楽しく簡単にできるので、是非トライしてみてほしい」

佐藤力生さん。自身も移住者だけにこの企画にかける思いは強い
佐藤力生さん。自身も移住者だけにこの企画にかける思いは強い

また、鳥羽市の担当者である農水商工課水産係長(水産担当)の橋本忠美さん(40)は、自身も答志島出身というだけあってこの事業への思いも強い。

「今回鳥羽市で初めて、漁業就労に興味があり、将来的に漁業者を目指したいと思っている方だけではなく、古き良き離島の文化や歴史が残っている自然豊かな答志島への移住に興味のある方も対象にした「鳥羽市漁業就労体験ツアーin答志島」を企画することができた。鳥羽磯部漁業の取り組みとして、元水産庁の佐藤さんが中心となって平成27年度から実験的に実施している漁業版ワーキングホリデー事業である『結づくりプロジェクト』とコラボする形で実施することで無理のない設定で実現できたと思う。今後もこの活動を発展させていきたい」

さらに、鳥羽市企画財政課移住・定住係長の重見昌利さん(37)は愛媛・松山市出身。三重大学を卒業後、三重県内の一般企業にいったん就職。その後、土木技師の枠で鳥羽市の職員となった。鳥羽市に住みながら2人の子どもにも恵まれ、現在は移住・定住担当として、この事業をサポートしている。「鳥羽市に移り住む中で、将来への危機感が強くなった。ただ、このまちへの期待感もある。この地に移り住みたいと思う人をマッチングさせていき、まちづくりへとつなげていきたい」

鳥羽市役所の橋本忠美さん(写真左)と重見昌利さん
鳥羽市役所の橋本忠美さん(写真左)と重見昌利さん

今回は、我が家と板谷さん以外にも、漁師を希望している若者2人が参加していた。千葉から来た清水武さん(取材時点で21歳)は、当初スケジュールにはなかった船での作業にも積極的に参加した。また愛知から来た山内晟之朗さん(取材時点で17歳)も地元漁師からの評判も良好で、夏に再び個人的に漁業体験をする予定とのことだ。こうした若者が島に根付くにはやはり行政などのサポートや、受け入れる漁家の理解が欠かせない。

千葉から来た清水武さん(写真左)と愛知から来た山内晟之朗さん
千葉から来た清水武さん(写真左)と愛知から来た山内晟之朗さん

今回、同行してくれた板谷さんはキャンピングカーのレンタル事業を行う中で、山梨・小菅村などで「キャンピングカーdeまちおこし」という事業を展開するなどし、各地方の実情にも詳しい。今回の就労体験に参加した感想を次のように語る。

「答志島はあえて行かなければ行くことがない島。その分、人を引きつけるものが必要になる。三陸のわかめに比べると全国的に知られているとは言えない答志島の塩わかめだが、そのおいしさは保証できる。この魅力を伝えるためには漁家の受け入れ体制の整備が欠かせない。ただ、システマティックになるのではなく、この地区の人たちの息遣いが生で実感できるような交流がもっと促進できたらいいのではないか」

また、鳥羽市の木田久主一市長(当時)にも表敬訪問し、この事業についての意見交換をすることができた。木田市長は、「鳥羽市には島が多くあり、水産物も豊富。こうした素晴らしさを1人でも多くの人に知ってもらうことが重要」と今回のような事業を企画することの必要性を語る。

鳥羽市作成「恋する鳥羽」法被を着て。筆者、木田久主一市長(当時)、板谷俊明さん
鳥羽市作成「恋する鳥羽」法被を着て。筆者、木田久主一市長(当時)、板谷俊明さん

今回の就労体験ツアーを父子で参加して、その地域の方々が生活する瞬間にほんのわずかだが触れることができた。また、父子・親子でこの体験を共にできたことは今後家族で語り継ぐ思い出としても貴重な時間となった。

筆者が代表を務めているNPO法人グリーンパパプロジェクトは、農・林・食・旅などのグリーンな資源を通じて、パパと家族の新しいライフスタイルを提案し、都市部のパパたちがもっと地方に関心を持つことを目指したソーシャルプロジェクトだ。まさに、今回のようなツアーを積極的に提案していく必要性を改めて感じることができた。

労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表

1977年7月東京生まれ。03年3月日大院修士課程修了(政治学修士)。労働専門誌の記者、父親支援団体代表を経て、16年3月NPO法人グリーンパパプロジェクトを設立。これまで内閣府「子ども・子育て会議」委員、厚労省「イクメンプロジェクト推進委員会」委員を歴任。現在、こども家庭庁「幼児期までのこどもの育ち部会」委員、「こどもの預かりサービスの在り方に関する専門委員会」委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。設立したNPOで放課後児童クラブを運営。3児のシングルファーザー。小中高のPTA会長を経験し、現在鴻巣市PTA連合会前会長(顧問)。著書「パパの働き方が社会を変える!」(労働調査会)。

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