「全員が一週間忘れ物がない班は土日の宿題がナシになる」はよい制度か?
親や先生で連帯責任を子どもに課したことのある人は多いと思います。では、次の中で連帯責任に該当するのはどれでしょうか?
1,班の誰かが宿題を忘れると班の全員が休み時間ナシ
2,班の誰かが忘れ物をすると、その班の子は給食で余ったおかずのおかわりができない
3,音楽室に時間通りに来ない子が一人でもいるとクラス全員が音楽の先生に叱られる
4,全員が一週間忘れ物がない班は土日の宿題がナシになる
5,全員登校した日が2週間続いたらクラスでお楽しみ会ができる
6,きょうだい全員が宿題を終わるまでおやつが食べられない
7,一週間きょうだい全員が朝の6時までに自分で起きられたら土曜日は外食に行く
実はこれらは全て連帯責任に該当します。4、5,7などは、一見ポジティブな内容に見えるので該当しないと思った人もいると思います。でも、これらも連帯責任なのです。
なぜなら、例えば7番ですと、一人でも起きられない子がいたら全員が責任を負って外食に行けないという罰を受けるからです。
連帯責任は弊害が多い
ひと昔前まで、子育てや教育の場で、こうした連帯責任制がよくおこなわれていました。それは親や先生が子どもをコントロールするのに都合がいいからです。
最近は、心理学や教育学の研究でその弊害が多く指摘されるようになり、以前より減ってきてはいるようです。でも、未だにおこなっている親や先生もかなりいて子どもたちを苦しめています。
弊害を知らないままやっている人もいるでしょうし、弊害があると感じつつも目先の効果があるのでついやってしまうという人もいると思います。では、連帯責任にはどのような弊害があるのか見ていきましょう。
まず、これはちゃんとやっている子が損をする制度です。そういう子は、連帯責任で罰を受けると「自分はがんばってやってるのに、なぜ罰を受けるの」と感じます。当然がんばる気持ちがなくなります。
また、正当に評価してくれない親や先生への不信感や反発心も出てきます。それによって親や先生と子どもたちとの人間関係が悪くなります。
同時に、ちゃんとできない子に対してネガティブな感情が出てきます。それがいじめにつながることもあります。
また、みんなと同じようにできない子は周りに迷惑を掛けているという自責の念にとらわれて苦しみます。同時に、自己肯定感が大幅に下がり劣等感にさいなまれます。そして、自分を苦しめる親や先生への不信感と反発心も出てきます。
以上のように、連帯責任は人間関係を悪化させます。家ではきょうだい同士の関係や親子関係が悪化します。学校では子ども同士の関係や先生と子どもの関係が悪化します。その結果学級崩壊に至ることもあります。
連帯責任は大人の責任の放棄
どの子にも生まれつきの資質というものがありますし、成長のペースもそれぞれ違います。ですから、同じ学年でもどうしてもできないことや苦手なことはあるのです。
そういう事実を無視して、連帯責任で無理矢理一律にやらせようというのは理不尽なことです。個人差を無視した集団主義といわざるをえません。
そういう集団主義的な発想が学校を息苦しくしています。不登校の児童生徒が年々増えている一つの原因がそこにあります。
子どもに何かできないことがあったら、その原因を探ったり合理的な解決方法を工夫したりすることが大切です。そして、それは大人の責任でやるべきことです。連帯責任の安易な利用は、このような大人の責任を放棄することでもあります。
連帯責任が効果を上げるためには、必ず罰が必要になります。罰に頼る減点主義の教育は、長い目で見て子どもの成長に寄与することは決してありません。
表面上は協力しているように見えても
以前、あるママさんがこういうことを言っていました。
「うちは兄弟3人全員が6時までに宿題を終わらないと、夕食のデザートはナシにしてます。それでお互いよく面倒見るようになったし、協力するようになりました」
この言葉に連帯責任を使う大人の考え方がよく表れていると思います。連帯責任を使うと、確かに表面上ではよく面倒を見たり協力したりしているように見えるものです。これは家庭でも学校でも同じです。
でも、子どもたちの心の中では「なんでこの子はいつもできないの?この子のせいで○○ができない。本当に迷惑だ」「自分のせいでみんなに迷惑をかけている。自分はダメな子だ」などと感じている可能性があることを忘れてはいけません。
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