ホロコースト生存者で米国の俳優「Hogan’s Heroes」出演のロバート・クラリー96歳で死去
1942年にフランスで逮捕され31か月ナチスの強制収容所を生き延びた
米国ロサンゼルスに住むホロコースト生存者の俳優のロバート・クラリー氏が2022年11月に96歳で逝去された。ロバート・クラリー氏は1926年3月にフランスのパリで生まれた。12歳からフランスで芸能活動をしていたが、16歳だった1942年にユダヤ人という理由で強制収容所に移送され、ナチスドイツの強制収容所を31か月間で転々とさせられた。
だが、奇跡的に生き延びることができて1945年にブーヘンヴァルト強制収容所で解放された。12人の家族がユダヤ人というだけでナチスドイツに逮捕されて生き延びることができたのがロバート・クラリー氏だけだった。
戦後はアメリカで生活をして俳優として活躍していた。1965年9月から1971年まで放送されたアメリカのテレビドラマでナチスドイツ時代の捕虜収容所を描いた「Hogan’s Heroes」に出演していた。
▼「Hogan’s Heroes」のクリップ集
早くから「記憶のデジタル化」を理解していたロバート・クラリー氏
俳優で知名度も高かったロバート・クラリー氏は自身のホロコースト時代の経験をインタビューや講演で語ってきた。
戦後約80年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。
現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。だがホロコーストを経験した生存者は当時の悲惨な体験を子供たちや世間の人に語りたがらない人の方が多い。
俳優だったロバート・クラリー氏は1980年代からホロコーストについてテレビで語ってきていた。当時はまだ動画の録画やデジタル化は容易ではなかった。ビデオで撮影してテープで保存していたが、その頃からホロコーストの経験を語っていた。学校や博物館で語るのでは、目の前にいる人たちにしか話ができないが、ビデオに撮影しておけば何回でも誰でもいつでも視聴できて、自分の話を聞いてくれるということを理解していた。
ホロコースト生存者の記憶や経験を語る講演会はホロコースト博物館などで行われているが、歴史学者など研究者以外はホロコースト教育の授業で来ている学生がほとんどだ。無名のホロコースト生存者の話を進んで聞きに行くという人はほとんどない。だがロバート・クラリー氏のようなテレビドラマにもよく出演している有名な俳優の講演であれば多くの人が関心を示す。またアメリカでテレビドラマにも出てたことからロバート・クラリー氏がホロコースト時代の経験を語る講演を行えばテレビの取材も来て放送したしフィルムは保管されていくので、そのような機会も見逃さなかった。
ロバート・クラリー氏の証言は現在ではデジタル化されて、YouTubeでも全世界に公開されている。いずれホロコースト生存者が全員いなくなり、ホロコーストの経験や記憶を語り継ぐ人がいなくなることをロバート・クラリー氏は誰よりも理解していた。自分が死んだ後でもホロコースト時代の経験や記憶が語り継がれるために、インターネットもまだほとんど普及していなかった頃からホロコースト時代の経験や記憶を語っていた。
▼ロバート・クラリー氏がホロコーストについて講演会で語るテレビ番組(1983年)若い頃の同氏の証言だけでなく、当時の貴重な写真も掲載されている。
▼1992年にホロコーストの経験を語るロバート・クラリー氏
▼2015年にホロコーストを語るロバート・クラリー氏
▼2018年にホロコーストを語るロバート・クラリー氏
▼「Hogan’s Heroes」1シーン