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追悼・山本コウタロー氏 走れコウタローから紐解くウマ娘とマキバオー、実在したモデル馬・ミノルとは?

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
人気ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」(Cygames)

 シンガーソングライターの山本コウタロー氏が亡くなった。競馬ファンにとって山本コウタロー氏といえば、人気ソング「走れコウタロー」の人、というイメージがあるはずだ。

 楽曲「走れコウタロー」は山本氏が属したフォークソンググループのソルティー・シュガーの2枚目のシングルレコードとして1970年に発売され、ミリオンセラーとなり、同年の年末には第12回日本レコード大賞新人賞を受賞した。

 この「走れコウタロー」はバンドが集まる待ち合わせ時間にいつも山本氏が遅刻してくるので、それを囃して作られたというエピソードがあるが、同時に実在する競走馬「ミノル」の応援歌でもあった。ただ、ミノルでは語呂が悪いのに加えて山本氏を囃す状況があったことから「走れコウタロー」が生まれたそうだ。

 では、実在するミノルとはどのような競走馬だったのだろうか。

「走れコウタロー」のモデルとなったミノルとは?

 ミノルは中央競馬の歴史の中でも名門と語り継がれる尾形藤吉厩舎の管理馬だった。

 尾形藤吉調教師は騎手と兼務しながら1911年に調教師の職につき、亡くなる1981年までの現役を続けた。中央競馬の調教師として歴代一位となる通算1670勝(JRA発足後の集計成績)。ダービーは8勝。JRA顕彰馬となったクリフジ(11戦11勝)、日本でダービー(1956年)や天皇賞(秋)(1957年)、有馬記念(1957年)等をアメリカでワシントンBDハンデ(1959年)を勝ったハクチカラ等を送り出したことで知られる。

 「走れコウタロー」が編み出された1969年、その年クラシックを狙う尾形厩舎の期待馬を"尾形四天王"と呼んだ。その4頭とは、皐月賞や弥生賞を制したワイルドモア、デビュー戦を8馬身差で圧勝しダービーは3着だったハクエイホウ、期待されるも脚部不安で戦線離脱したハクマサル、そしてミノルだった。

スター騎手を背に、道悪ダービーはクビ差2着の惜敗

 ミノルは1968年夏にデビューした当時の人気馬だ。3歳(旧表記、現2歳)から活躍し、朝日杯を制した。当然にクラシックを期待されたが、皐月賞は4着、日本ダービーは最内1番枠と苦手な不良馬場というハンデを背負いながら健闘したがクビ差届かずの2着に終わった。菊花賞はアカネテンリュウに大敗し、無冠に終わった。

■1969年ダービー 優勝馬ダイシンボルガード(2着 ミノル)

 ミノルが当時、相当な期待を寄せられていたのは、大ベテランで偉大な戦績を誇る保田隆芳騎手が手綱を取り続けたことからもわかる。保田孝芳騎手は1968年に史上初の八大競走完全制覇(日本ダービー、皐月賞、菊花賞、桜花賞、優駿牝馬、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念)を達成した偉人だ。

 八大競走とは、日本ダービー、皐月賞、菊花賞、桜花賞、優駿牝馬、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念をさす。グレード制導入以前は、この表現で該当の8競走が他の重賞の格が高いことを示していた。ちなみに八大競走完全制覇は騎手では保田隆芳騎手、武豊騎手、クリストフ・ルメール騎手が、調教師では尾形藤吉師、武田文吾師が達成している。

 この顔ぶれ、この達成者の少なさからも、八大競走の偉大さ、そしてミノルに寄せられた期待の高さがわかるだろう。

 翌1970年、ちょうど「走れコウタローが」ヒットしている頃、ミノルは競走馬を引退する。ミノルの最後の勝利は京王杯スプリングハンデだが、このレースは保田隆芳騎手の引退レースでもあった。ヒット曲が多くの人々に口ずさまれる傍らで、モチーフとなったミノルは静かにターフを去った。

 ちなみに、コウタローという競走馬も実在している。1960年生まれの牡馬。1962年から1966年は中央競馬に所属し66戦15勝をあげ、その後は地方・南関に転籍し走り続けた。重賞は阪神大賞典(1964年)、阪神3歳S(1962年)、愛知杯(1964年)の3つを勝っているほか、1964年当時はまだ3200mだった秋の天皇賞では3着という成績を残している。同馬が活躍した時期は「走れコウタロー」が流行った時代の少し前だが、作者たちが競馬を楽しんでいた世代の活躍馬の1頭であるようだ。

社会問題も取り上げた「走れコウタロー」

 また、「走れコウタロー」はこの世代に起こった社会問題についても触れている。楽曲内で「公営ギャンブル廃止」ついて触れているが、当時(1970年)は、公約で公営競技の廃止を宣言した東京都知事・美濃部亮吉氏が、就任した1967年から実現に向けて動いている真っ最中であった。

 結果として、大井競馬は現在も続く特別区とともに東京都も主催者であったが、1970年から段階的に東京都の主催を減らし、1973年を以て撤退している。「走れコウタロー」は単なるコミックソングではなく風刺が効いている点もその時代"らしさ"が伺える。

■「走れコウタロー」

「マキバオー」と「ウマ娘」でカバーされ、蘇る 

時が過ぎ、「走れコウタロー」は今もなお、徒競走のBGMなどで親しまれている。また、原曲となり2つのヒット曲が生まれたのも見逃せない。

 ひとつは「走れコウタロー」のヒットから26年後の1996年、テレビアニメ「みどりのマキバオー」のオープニング曲「走れマキバオー」である。

 週刊少年ジャンプの人気漫画がアニメになり、名曲は馬名とエピソードを一新して蘇った。

 もうひとつは2022年に発売された「走れウマ娘」で、人気ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」にまつわる楽曲だ。アルバム「『ウマ娘 プリティーダービー』WINNING LIVE 06」に収録されている。(注:2018年にも「走れウマ娘」を収録したCDはイベント開催時の商品として発売されており、楽曲は当時から存在していた。)

 「走れウマ娘」は替え歌はもちろんウマ娘のキャラクターたちがたくさん登場するが、さらにウマ娘たちの戦いを実況する音声も加わっており、掛け声もウマ娘たちによって可愛らしく仕上がっている。

 余談だが、ミノルを管理していた尾形藤吉調教師の孫にあたる尾形充弘が育てたのがグラスワンダー。ミノルの主戦だった保田隆芳騎手の息子である保田一隆調教師が管理していたがセイウンスカイだ。

 また、前述のとおり1969年のクラシック候補生として称された"尾形四天王"の同世代にはメジロマックイーンの父の父にあたるメジロアサマもいた。メジロ王国の歴史を語る上で外せないメジロアサマ→メジロテイターン→メジロマックイーンへの親子三代天皇賞制覇の源は「走れコウタロー」が流行っていた時代に活躍していたのだ。

 このように山本コウタロー氏がいたからこそ生まれた楽曲「走れコウタロー」であったが、その誕生から50年経った今もかたちを変えながらたくさんの人々を楽しませている。

 楽曲に感謝を、そして山本コウタロー氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

■「走れマキバオー」(「走れコウタロー」が原曲)

「走れウマ娘」が収録されている「『ウマ娘 プリティーダービー』WINNING LIVE 06」(Cygames)
「走れウマ娘」が収録されている「『ウマ娘 プリティーダービー』WINNING LIVE 06」(Cygames)

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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