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【富田林市】寺内町の石畳の途中に、ほんとうに小さな石橋が。しかも橋の名前まで付いています

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

お買い物やお食事、イベントで何回も足を運ぶので、「いまさら知っているよ」と、ついつい思いがちな富田林の寺内町。今回はまだまだ知られていないのではというものを見つけました。

先日、縁あって寺内町のガイドさんの説明を聞きながら散策をしましたが、その時に教えていただいたのが、用心堀沿いの小さな橋です。

用心堀があるのは、寺内町にいくつかある筋のひとつ、城之門筋です。今回は北側から南に向かって歩いてみることにしました。

画像真ん中、マンホールよりも左側を見ると同じような石畳が並んでいます。実はこの下に堀がめぐらされていて、その名前を用心掘というそうです。

用心掘がどういうものかを調べてみると、防火を兼ねたと考えられている排水用の堀とのことで、今は石畳に隠れた状態(暗渠=あんきょ)となっています。通り沿いにずっと続いていますね。

そして用心掘をまっすぐに歩くと道が交差するところに、明らかに別の石畳になっているところがあります。

驚いたことにこの正体は橋です。現在は暗渠になっているのでほとんど意味がありませんが、昔、用心堀が露出していたころは、道路が交差するとこのように小さな石橋を渡る必要があったようです。

上の画像から左側(道路の反対側)を見た部分です。こちらには水路がないため石畳はありません。

石橋をよく見ると名前が書いてあります。「岩永橋」と書いてあります。

「がんえいばし」と書いてあります。調べてみるとここは富山町にあたるところで、材木商を営む岩瀬屋(奥谷家住宅)があったところです。

橋の名前には意味があるそうで、「岩」瀬屋が末「永」く栄えるようにとの願いが込められているそうです。

そのまま用水堀を歩いていきましょう。

途中で背割り水路と交差しています。この背割り水路は、家と家の間にある排水路で、今も現役なのだそうです。

しばらく歩くとまた石の小橋が見えてきました。

古手屋橋と書いてあります。

「ふるてやばし」とよみます。調べると北会所町に当たるそうですが、橋の名前の明確な理由は不明とのこと。

すぐ近くに古手屋という名前の店があったのかと想像します。

用心掘はまだまだ続きます。

また背割り水路を見つけました。両側にありますね。

さらに歩くとまた石の小橋が見えました。

こちらは橋の名前ではなく「南会所町」という町の名前が書いてありました。

ちなみにこの石橋ですが、調べると驚きの事実がわかりました。実はレプリカなのだそうです。

レプリカになっている理由は、現在は車が通行するので、石橋に負担がかかるからということ。本物は重要文化財の旧杉山家住宅内に保存しているそうです。

さて用心掘はどこまで続いているのでしょうか?

興正寺別院の前を過ぎていきます。

1986(昭和61)年度に選定された日本の道100選の顕彰碑です。

余談ですが、大阪府で日本の道100選に選ばれているのは富田林の寺内町のほかには、御堂筋(大阪市)とフェニックス通り(堺市)の3か所だけです。

興正寺別院を過ぎてさらに歩いていくと、

旧杉山家住宅に向かう道との交差したところで、用心掘りの石畳が終わっていました。

ということで、城之門筋の地下を通っている用心掘りと、その堀に架かる小さな石橋を探してみました。

もう、寺内町には何度も歩いているから新しい発見はないのかなと思いつつもまだまだ新しい発見があるんだと今回は思いました。

寺内町に散策する機会があるときに、城之門筋を歩きながら石橋を探してみてはいかがでしょう。

富田林寺内町城之門筋の用心堀と小さな石橋
住所:大阪府富田林市富田林町
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩6分、富田林西口駅から徒歩8分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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