ドル円は135円台前半と1998年10月以来の水準に。1998年末に日本国債は急落、今回もありうる?
円安進行、ドル円は1998年10月以来の135円台
13日の外国為替市場では円が対ドルで下落し、ドル円は一時135円台前半と1998年10月以来、約24年ぶりの水準を付けた。
円安要因としては米10年債利回りが、東京時間で3.2%に接近やし、日本では日銀が10年債利回りを0.25%で抑えていることで、日米の長期金利差が拡大してきたこと。そもそも利上げを急ぐFRBと強力な緩和に固執する日銀の金融政策の方向性の違いが根底にある。
急速な円安に対して松野博一官房長官は13日の記者会見で同日の外国為替市場で一時1ドル135円台になったことに関し「急速な円安の進行が見られ、憂慮している」と述べた。主要7カ国(G7)での合意を踏まえて「各国通貨当局と緊密な意思疎通を図りつつ、必要な場合には適切な対応をとる」と説明した。
しかし、10日に米国の財務省は半年に1度の外国為替報告書を公表し、円安が進んでいる日本について「為替介入は適切な事前協議を伴う非常に例外的な状況に限定されるべきだ」として、けん制を続けた。このため米国の理解を得た上での為替介入は極めて困難な状況にある。これも投機筋による円売りをしやすくさせた要因となっている。
政府がプライマリーバランス)を2025年度に黒字とする年次目標について、明記しなかったこと。さらに今日は10年債カレントは実質的に0.25%を上回る水準にあるものの、日銀は指し値オペで食い止めている。つまりかなりの指し値オペの応札・落札も想定され、こちらは財政ファイナンスや財政規律の緩みが連想されかねない。これも円売りの要因となろう。
1998年のロシア危機
ところで1998年といえば、日本の国債市場の歴史に残るいくつかの事態が発生していた。当時の世界情勢を振り返ってみたい。
1998年5月にロシアでは、1997年のアジア通貨危機の影響や、ロシアの輸出の8割を占める天然資源、なかでも原油価格の下落により、国際収支が悪化し、それまでの財政の悪化にさらに拍車をかける結果となった。通貨ルーブルが急落し、ロシアからの資金流出が発生した。
これを受け超高金利政策を打ち出すものの効果なく、8月17日にはルーブルの目標相場圏を拡大し、民間の対外債務支払を90日間凍結する声明を発表したが、むしろこうした措置が不安心理を煽る結果になり、ルーブルはさらに急落した。
ロシアが資本主義体制へ移行して間もなく、ロシアの銀行の多くは海外から米ドル建てで資金を調達していたことで、ルーブルの暴落と共に破綻した。 ロシアの金融危機がユーロに影響を与え、またメキシコが大幅な金融引き締めをせざるを得なくなったように中南米へと影響が広がり、資金の貸し手となっていた欧米などの債権者は大きな損失を蒙った。これにより先進国で唯一景気がしっかりしていた米国にも影響が及んだ。
LTCMの破綻
ロシアの通貨危機はヘッジファンドにも影響を及ぼし、とりわけノーベル賞受賞者が設立に関与したLTCMが1998年9月に破綻に追い込まれた。巨大ヘッジファンドであったLTCMはロシア危機によるロシアの債券や株の急落に対し、その反動を見越して買い向かう。しかし、アジア通貨危機とロシア財政危機などから、質への逃避といった動きがむしろ強まり、安全な米国債などに資金が向かい、すぐにロシア市場が反発することはなかった。
レバレッジを生かして、市場に大規模な金額で入り込んでいたヘッジファンドは、あまりに予想外の金融市場の変動によって巨額の損失を発生させた。特にLTCMは先進国の債券を空売りし、ロシアや中南米などの新興国の債券を買い増していたため、破綻に追い込まれた。
LTCMは特にアメリカの金融機関から巨額の融資を受けており、この破綻に伴い金融危機に繋がりかねない深刻な事態となり、アメリカの金融当局が救済に乗り出した。LTCMの破綻がさらなる金融システム不安へと転化することを恐れたニューヨーク連銀のマクドナー総裁は、直ちに欧米の16の大手金融機関に声をかけ、LTCMへの緊急融資を実施させたのである。さらにその後、FRBは9月17日から11月17日まで三回に渡り積極的な金利引き下げを実施し、日欧の中央銀行も政策金利を引き下げた。この機動的な金融緩和措置によって、米国の金融システム不安はとりあえず払拭された。
ロシアの金融危機がユーロに影響を与え、またメキシコが大幅な金融引き締めをせざるを得なくなったように中南米へと影響が広がり、資金の貸し手となっていた欧米などの債権者は大きな損失を被った。
日本国債の格下げと運用ショック
米国での金融不安も影響し1998年9月に日本の10年債利回りははじめて1%を割り込んでいた。そしてこの年の11月に格付け会社のムーディーズが日本国債を最高位のAaaからAa1に引き下げたのである。これによる日本の債券市場への影響は限定的であったものの、不安感は強まっていた。
1998年11月20日の日本経済新聞に「大蔵省は1998年度の第3次補正予算で、新規発行する国債12兆5千億円のうち、10兆円以上を市中消化する方針」といった小さな記事が出た。これは今後、国債を大量に引き受けていた資金運用部の国債の引き受け比率が、大きく低下することを示していた。
そして国債発行額の拡大に伴い、1999年の1月から長期国債は月々1兆8,000億円と一気に4,000億増額される見通しも示され、1999年度の国債発行額は70兆円以上、うち市中消化は60兆円以上との新聞報道もあり、大蔵省資金運用部の国債引き受けが減るのは、第三次補正予算だけでなく、翌年度も急減することが明らかになった。
加えて当時の宮沢喜一蔵相は、運用部の債券買い切りオペの中止を示唆するコメントを出した。これをきっかけにして、債券相場は急落したのである。これが「運用部ショック」と呼ばれ国債急落である。
今回も国債の急落はありえるか
当時と状況は異なるものの、同様の国債の急落が起きる可能性はないとはいえない。13日の債券市場では10年国債新発債の利回りが0.255%とイールドカーブコントロール(YCC)政策の許容変動幅の上限となっている0.25%を超えてきた。
イールドカーブは歪なかたちとなりつつあり、これは1987年5月に当時の10年国債の89回債だけが大きく買い進まれていたときに似ている。この際には10年国債の買い仕掛けを主導した大手証券のチーフディーラーが「公定歩合が高すぎる」とコメントしたことが国債急落のきっかけとなっていた。
今回も何かしらのきっかけで国債が急落というか、本来あるべき長期金利の水準まで利回りが上昇してもおかしくはない。