川崎宗則がBCリーグ・栃木入り。「大物」独立リーガーの系譜を振り返る
7日、元ソフトバンクの川崎宗則と元ロッテ・阪神の西岡剛のルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスへの入団会見が行われた。ふたりはともにメジャーリーグでのプレー経験をもっており、2006年の第1回WBCでは二遊間を組んで世界一に貢献している。栃木球団は、2018年に巨人を退団した村田修一を獲得するなど、ネームバリューのある選手を積極的に呼び寄せ、日本の独立リーグ屈指の観客動員を誇るようになっている。今回も、ふたりの「元メジャー」を抱えてますます話題を呼びそうだ。
今回は、独立リーグの「大物」獲得の歴史を振り返ってみたい。
アメリカでは珍しくない「大物」の独立リーグでのプレー
MLBやNPBといった既存のプロリーグの傘下に入らないプロリーグのことを独立リーグというが、現在北米に展開されているその系譜は、1993年にスタートしたノーザン・リーグとフロンティア・リーグに遡ることができる。フロンティア・リーグはプロ経験のない若い選手のプレーの場という色彩が強いが、ノーザン・リーグの方は、若い選手の育成の場に加え、メジャーリーグのロースターから漏れた選手の「避難先」という色彩も強く、功成り名遂げたメジャーリーガーがプレーすることも珍しくはなかった。このリーグでは、メジャー通算254勝で野球殿堂入りしているジャック・モリス(元タイガースなど)や薬物使用で出場停止処分中にダリル・ストロベリー(元メッツなど)がプレーしている。また、後発ながら今や独立リーグナンバーワンのレベルを誇ると言われているアトランティック・リーグは、スプリングトレーニングでメジャー契約を勝ち取れなかった選手との避難先として機能しており、通算1406盗塁の「世界の盗塁王」、リッキー・ヘンダーソン(元アスレチックスなど)、メジャー17年で434ホーマーのフアン・ゴンザレス(元レンジャーズなど)、1イニング左右打席ホーマーという珍記録をもつシルバースラッガー賞打者のカルロス・バイエガ(元インディアンズなど)ら錚々たる顔ぶれがこのリーグでプレーしている。
アトランティック・リーグでは、また、サイヤング賞歴代最多の7回受賞の「ロケット」ことロジャー・クレメンス(元レッドソックスなど)も2012年にプレーしている。しかし、これは最後にメジャーリーグでプレーした2007年から5年後のことで、メジャー復帰を目指したものというより、「客寄せ」の色彩が強い。このような集客、話題づくりのための「大物」の獲得もまた、北米の独立リーグではよくあることで、1980年代末のアスレチックス黄金時代、「バッシュ・ブラザーズ」の一員として名を馳せたホセ・カンセコは、ホワイトソックスで最後のメジャーのフィールドに立った2001年から5年後の2006年にゴールデン・リーグで「現役復帰」。その後も断続的に独立リーグでプレーした。彼が最後にプレーしたのは2018年のフロンティア・リーグでのことで、その時彼は54歳になっていた。
これを上回る年齢で独立リーグでプレーしたのが、ロッテでもプレーしたフリオ・フランコだ。レンジャーズ時代には首位打者にもなった彼は、メジャーリーグでも48歳までプレーし、多くの「最高齢記録」を塗り替えたレジェンドだが、2008年シーズン序盤にメキシカンリーグで一旦現役引退を表明した後、2014年に55歳にしてユナイテッド・リーグでコーチ兼任での現役復帰を果たす。そしてその翌2015年には、三度来日し、BCリーグの石川ミリオンスターズの兼任監督としてフィールドに立ち、24安打を放っている。
育成からエンタテインメントへ:日本の独立リーグでプレーした大物
フランコと同じ2015年には、近鉄いてまえ打線の中軸を担ったタフィ・ローズもBCリーグの富山GNBサンダーバーズで47歳にして現役復帰している。NPBでも、1年のブランク後、オリックスで現役復帰し、42ホーマーを放って周囲の懐疑的な視線を覆したローズだが、6年ぶりにプレーした富山でも41試合で打率.315、5ホーマーとこのレベルではまだまだトップ選手としてやっていけることを証明している。
本来的にNPBのドラフトにかからなかった選手の再チャレンジの場として設けられた日本の独立リーグでは、その最初の四国アイランドリーグが、発足当初はプロ経験者を受け入れなかったように、若い選手の育成に力点が置かれているが、近年では、エンタテインメント性も重視し、ネームバリューのある「大物」選手を獲得する球団も増えてきた。BCリーグの栃木はその最たるものだろう。
四国アイランドリーグは2年目の2006年シーズンから「元プロ」にも門戸を開くようになったが、プレー環境が整わず、報酬も安い独立リーグの門を叩くのは、NPBでも第一線では活躍できなかった選手がほとんどだった。
その流れを大きく変えたのは、2009年の伊良部秀輝の四国リーグ・高知ファイティングドッグス入団だった。
ロッテで剛球王の名をほしいままにし、1997年にメジャーリーグに移籍後は、ヤンキースの一員としてワールドシリーズ2連覇に貢献、日本人選手として最初にチャンピオンリングを手にした伊良部は2002年までメジャーリーグでプレーした。その後も阪神で日本球界復帰し、ローテーション投手として2003年の優勝の立役者となるも、翌年には大きく数字を落とし、自由契約となった。
その伊良部が、2009年、5年ぶりの現役復帰の場として選んだのも独立リーグだった。当時40歳だった伊良部は北米独立リーグ、ゴールデン・リーグのロングビーチ・アーマダに入団。同年8月には、日本に戻り、高知球団入りした。結果的には、利き腕である手首の故障で、伊良部の高知でのプレーは2ヶ月弱、わずか2試合の登板に終わったが、過去には球団消滅の危機にも瀕していた田舎球団は、元メジャーリーガーの入団に時ならぬフィーバー状態を迎えた。
高知球団は、その後も「大物釣り」に成功。2016年には「火の玉ストレート」で一時代を築き、メジャーのマウンドにも立った藤川球児、その翌年には、メジャー通算555本塁打のマニー・ラミレスの獲得に成功している。彼らの入団による効果は絶大で、観客動員の大幅アップ、グッズ収入の増加により、高知球団は「メジャーリーガー景気」に沸いた。
しかし、元メジャーリーガーのスター選手と言えども、独立リーグでは基本、特別待遇はない。伊良部の報酬は他の選手と同等の月10数万円だったというし、藤川の場合は、NPB復帰への「調整」の場として故郷の球団を使わせてもらうということで、無報酬でのプレーだった。ラミレスの場合、リーグのサラリーキャップ規定もあり、報酬はそれに則ったものだったらしいが、住まいは高知市郊外の村にある寮ではなく、市内のホテルの最高級の部屋が用意された。面白いのは、地元高知出身である当時の球団オーナーのなじみの店での「つけ払い」(代金はオーナー持ち)の飲食だったが、気ままなラミレスは、オーナーの話が通っていない飲食店でも、この「つけ払い」を利用していたという。無論代金は報告を受けたオーナーが後日支払っていた。
日本球界で活躍した「ラミレス」も独立リーグでプレーしている。現DeNA監督のアレックス・ラミレスは、外国人選手初のNPB通算2000安打を達成した2013年限りでDeNAを自由契約となるが、その後も現役続行を目指しトレーニングは継続し、2014年シーズンをBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスで送っている。シーズン途中の帰国などもあり45試合の出場に留まりながらも、.305、7ホーマーの好成績を残したが、NPB球団から声がかかることなく、このシーズンをもって現役引退となった。
元メジャーリーガーと言えば、メジャー通算51勝の大家友和(現DeNA二軍投手コーチ)が3シーズン(富山/2013,15年、福島ホープス /2015,16年)、第1回WBCの胴上げ投手、大塚晶文が2シーズン(信濃グランセローズ/2013,14年)、タンパベイ・レイズの初のワールドシリーズ進出に貢献した岩村明憲が3シーズン(福島 /2015-17年)BCリーグでプレーしている。
彼らはいずれも選手としては最晩年に差し掛かっており、コーチ的な役割も期待されての入団だったと考えられる。実際、大塚は入団2年目、岩村は入団当初から兼任監督となっており、岩村の場合、引退後も、経営破綻した球団を引き継ぐべく新会社を設立して代表に就任し、新球団・福島レッドホープスの監督として現在もチームの指揮をとっている。
巨人時代の2002年にはクローザーとして28セーブを挙げ、日本一に貢献した河原純一も、2013年から2シーズン四国リーグの愛媛マンダリンパイレーツでプレーし現役を終えた後、現在は同球団の監督を務めている。
彼らの他、日本の野球ファンにはなじみがないだろうが、四国リーグの徳島インディゴソックスでは、台湾プロ野球で2000安打を達成したただ一人の打者、2000安打を達成したレジェンド、張泰山が2016年シーズンを送っていた。
かつての大物たちも、独立リーグに来た時点で、往年の力はなくなっていることは間違いない。それでも、かつては大きなスタジアムのスタンドから遠目に眺めるだけだった彼らのプレーを小さな田舎町の球場で間近に見ることができるのは、独立リーグの大きな魅力である。川崎と西岡の「世界一二遊間」を観に是非BCリーグに足を運んで欲しい。
(本文中の写真は筆者撮影)