井上尚弥vs.タパレス間近。井上が警戒すべきは元フィリピン人王者が使った“あの手”
タパレスは勝利が期待できる
26日、東京・有明アリーナでゴングが鳴るスーパーバンタム級4団体統一戦、WBC・WBO世界統一チャンピオン井上尚弥(大橋)vs.WBAスーパー・IBF統一王者マーロン・タパレス(フィリピン)まで1日となった。絶対有利を予想される井上に対し、19日に来日したタパレスは翌日に大橋ジムで練習を公開。笑顔を振りまきコンディションの良さをうかがわせた。
彼の名物プロモーター、ショーン・ギボンズ氏(MPプロモーションズ社長)は「私たちは勝つために来た。タパレスはフィリピン初の4団体統一王者になる。フルトン戦のような試合にはならない。フルトンは怖気づいていたように見えた」とアピール。同氏は18日、マニラ都市圏パラニャケシティで行われたWBOグローバル・スーパーバンタム級王座決定戦を共同プロモーターとして開催。持ち駒のIBF4位カール・ジェームズ・マーティン(フィリピン)がコンファー・ナコーンルアン(タイ)を激闘の末、6回TKOで破った一戦を見届けた。そのまま翌朝、日本行きの便に乗る強行軍だった。
今後、井上あるいはタパレスに挑戦する可能性があるマーティン(23勝18KO無敗=24歳)はフィリピンメディアのGMAインテグレート・ニュースの取材に「タパレスはスタミナがあるし総合的に強い。勝利が期待される」と番狂わせを示唆。具体的には「アフマダリエフ(前WBAスーパー・IBF統一スーパーバンタム級王者)戦で有効だったショルダーロールが井上に対しても大きなアドバンテージになるだろう」と語った。
ショルダーロールとは最近のボクシング界でトレンドになっている言葉でディフェンステクニックの一つ。相手のパンチを外すと同時に、それがフェイントとなってカウンターを打ち込むチャンスが生まれる。オリジナルは“マネー”こと5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(米)だと言われる。上体の柔らかい動きが持ち味のタパレスには打ってつけの武器となるはずだ。
オッズは14-1
とはいえ攻守に欠点が見つからない井上がオッズ(賭け率)で大きく有利な状況は動かしがたい。米国のブックメーカーが出している数字は井上が-1400、タパレスが+800というものが多い。14-1で井上有利、タパレスの勝利は8倍と受け取れる。両者の戦力を冷静に分析すると妥当なところではないだろうか。正直、井上が負けるシーンが頭に浮かばない。
海外メディアもタパレスの勝利はおろか試合が判定決着に終わる確率は低いと見ている。CBSスポーツのブレント・ブルックハウス記者は「井上のスキルは次元が違う。間違いなくパウンド・フォー・パウンドのトップ2の一人。台風のようなスピードと破壊的なパワーに過小評価されがちなテクニックの上達がプラスされ、彼はスペシャルな存在。井上がキャリア最悪のコンディションで登場しない限りタパレスの勝利をイメージすることは難しい」と記述。井上の6回TKO勝ちを予想する。
一方、老舗ボクシング専門サイト「ファイトニュース・ドットコム」のミゲル・マラビーリャ記者は自身のユーチューブチャンネル「サザンカリフォルニア・ボクシング」で「この試合は井上のものだろう。彼の方がスキルで勝る。タパレスはオーダーメイドの相手ではないか。タパレスのスタイルは井上の戦力にかなりマッチするものに見える。私は4ラウンドから6ラウンドの間に井上がフィリピン人を切り落とし、2階級連続で比類なきチャンピオンに就くと思う」と言い切る。
負傷判定というルール
ミッションインポッシブル――。タパレスがミラクルを起こす確率はどれだけあるだろうか。彼はパワーだけなら、モンスター級とは言わないまでも井上と渡り合えるものを装備しているだろう。だが、どう考えても井上を脅かすのは困難に思える。それでも「ルール」という味方が存在する。
世界タイトルマッチに限らず選手の負傷やアクシデントで試合が続行不可能になった場合、4ラウンド以降なら(4ラウンド途中でストップになったケースも該当する)スコアカードによって勝敗を決めるテクニカル・デシジョン(負傷判定)のルールがある。たとえば偶然のヘッドバットが発生し、井上あるいはタパレス(あるいは両者)が深い傷を負いストップがかかり、試合が4ラウンド以降に進行していれば、スコアカードの勝負でタパレスが勝つ可能性が生まれる。
もちろん、井上相手にスコアでリードすることは簡単ではない。だが序盤でタパレスがダウンを奪うような展開になっていれば結果はわからなくなる。負傷判定を上手に活用して防衛を重ねた……と言ったら本人は不服だろうが、その一人がタパレスの先輩王者に当たる元WBC世界フェザー級王者ルイシト・エスピノサ(フィリピン)だ。
勝ち逃げの男と呼ばれた元王者
それ以前にWBA世界バンタム級王者だったエスピノサは1995年12月、東京・後楽園ホールで獲得したフェザー級王座を7度防衛。4年5ヵ月にわたり王者に君臨した。ちなみに初防衛戦のアレハンドロ“コブリータ”ゴンサレス(メキシコ)戦を私はメキシコ・グアダラハラで取材したが、エスピノサは地元のゴンサレスを右フックで失神させ病院送りにする戦慄のKO劇を演じた。
4度目の防衛戦でタイトルを奪った相手、マヌエル“マンテカス”メディナ(メキシコ)と再戦したエスピノサは8回に発生したヘッドバットで右マブタをカット。試合は同ラウンド1分22秒ドクターストップがかかる。マニラで行われた一戦は8ラウンドを含めたスコアカードで3-0でリードしていたエスピノサの手が上がった。
翌98年8月、6度目の防衛戦でフアン・カルロス“ランチェロ”ラミレス(メキシコ)と米テキサス州エルパソで対戦したエスピノサは牧場労働者のニックネームを持つ挑戦者のアタックに苦しみながらラウンドを重ねる。そしてこの試合もヘッドバットでカットした右マブタの傷が原因で試合は終盤11ラウンド2分22秒でドクターストップ。11ラウンドを含めたスコアカードは106-104で割れたものの、もう一人のジャッジは105-104でエスピノサ。僅差の2-1判定勝ちでエスピノサがベルトを守った。
ボクシング、特にプロの試合は頭がクラッシュするのが常だが、タイトルマッチで2度勝利を拾ったような結末に、エスピノサは「勝ち逃げ」という汚名が着せられた。反対に00年4月メキシコで行われたグティ・エスパダス・ジュニア(メキシコ)との同級王座決定戦はエスパダスの負傷により11ラウンド試合はストップされ、これも負傷判定でエスパダスが勝利を得た。今度はエスピノサに勝利の女神は微笑まなかった。
一時、負傷判定と言えばエスピノサの代名詞だった。タパレスがそんな結末を念頭に置いてリングに上がるとは思えない。たとえいきなりスタートダッシュをかけても井上をリードできる保証はない。それでもエスピノサがたどった軌跡を振り返ると、勝利を得る一手ではある。でも「偶然が味方しないと不可能」という条件が付きまとう、どこまでもインポッシブルな設定なのだが……。
さて、2人は無事に計量をクリア。明日の開始ゴングが待ち遠しい。