「靴下の神様」と呼ばれたタビオ越智会長が交通事故で死去 その歴史と功績を振り返る
「靴下屋」「Tabio(タビオ)」をはじめとした靴下専門店を全国で展開するタビオの創業者である越智直正代表取締役会長(82)と、妻の麗子さん(71)が6日、軽トラックにはねられる交通事故で死去した。「靴下の神様」とも呼ばれた人物の突然の訃報に、業界内では衝撃が走っている。
報道によると、越智会長夫妻は、町道沿いの医院を出て、向かい側にあるタビオの施設に向かって道路を渡っていたようだという。ここには子会社のタビオ奈良があり、タビオはホームページなどで「商品研究や品質テストをはじめ、カスタマーサービスによるオーダー商品の生産など、最高の靴下をお届けできる自信がつまっています」と説明する、タビオの原点とも言える場所である。
越智会長は、15歳で靴下問屋に丁稚奉公に入り、靴下人生をスタート。1968年、28歳で独立し、大阪で卸問屋を開業。当時の社名はダン。「男一匹」「男(ダン)」「ダンディ」などから想起した。
その後、オリジナルの靴下作りを開始。手作り感覚にこだわり、素材や品質を知り尽くした職人の手による快適な履き心地を追求。「鈴屋」「鈴丹」「三愛」など婦人服専門店チェーンの拡大とともに徐々に成長。1982年に初の直営店「DOS(ダイレクトオペレーションシステム)」を大阪・三宮にオープンした。1984年には現在の中核業態である「靴下屋」の出店を開始した。
「ユニクロ」や「無印良品」などに先駆けて、現在ではSPA(製造小売業)と呼ばれる、店頭から靴下製造協力工場に至るまで、一気通貫のSCM(サプライチェーンマネジメント)のネットワークシステムを構築。Made in Japanにこだわりながら、高品質な商品を低価格で提供するビジネスモデルを確立していった。
品番数が多いのも特徴で、「不易流行」のベーシックな商品や機能性商品と、トレンドに即した様々なバリエーションのファッションソックスを開発・販売し、靴下市場で急成長を遂げた。
「靴下の地位を高めたい」「業界に活力を与えたい」と、靴下専業として初めて上場企業となる道を選び、2000年に大証2部に上場した(現在は東証2部)。
社名をダンからタビオ(Tabio)へと変更したのは2006年のこと。「The Trend And the Basics In Order (流行と基本の秩序正しい調和)」の頭文字をとったもの。「Tabioをはいて地球を旅(タビ)しよう、足袋(タビ)の進化形である靴下をさらに進化させよう」という意味を込めた。
海外にも進出。2002年にはイギリス、09年にはフランスにも出店。アメリカではD2Cブランドとしてオンラインで販売するなど、海外でもファンを獲得していった。靴下の企画・製造・卸・小売・FC(フランチャイズチェーン)により、現在は国内外で280店舗、売上高はコロナ禍前の2019年2月期に164億円となっている。東京・銀座にはTabioブランドの旗艦店「Tabio Japan GINZA SIX店」も構えている。
近年では、ブランドやキャラクター、クリエイターなどとのコラボレーション商品なども積極的に企画・販売。最近では「呪術廻戦」「オサムグッズ(OSAMU GOODS)」「アイム ドラえもん(I‘m Doraemon)」「ピーナッツ(PEANUTS)」「ディズニー(Disney)」「タンタン(TINTIN)」「エヴァンゲリオン(EVANGELION)」「トーガ(TOGA)」などとのコラボソックスも発売している。
越智会長の靴下作りに懸ける情熱や、独自のSCMシステムは注目を集め、一時は取材や講演会などにも引っ張りだこだった。時にはヒートアップして靴を脱ぎ棄て、脚を高く上げて自らが履く靴下を見せながら、靴下へのこだわりを熱弁することもあった。
著書の「靴下バカ一代 奇天烈経営者の人生訓」(日経BP社)を読み返して、故人を偲びつつ、精神的支柱を失ったタビオが今後どのように思いを承継し、新たに繁栄させていくのか、注視していきたい。合掌。