【富田林市】南北朝時代の佐備川口の戦いにあったとされる板持城?公式情報がない確かな理由を調べてみた
富田林市内の地図を見ていると、城跡と名前が付けられた場所をよく見ます。その城跡の歴史を調べてみると、南北朝時代に活躍した楠木氏や南朝に関する情報が多いですね。
今回、その地図上で板持城跡というのを見つけました。いったいどういうところなのか調べてみたのですが、公的な情報がまったく見つかりません。そうしたら意外な事実がわかりました。
板持城と推定される場所を地図で確認しましょう。ちょうど河南町方面に向かう国道309号線が板持トンネルになっている部分、トンネルの上に板持城跡という名前が記されています。またその隣に寿美ヶ丘遊園があるようです。
それでは現場を見てみようと、地図の場所に行ってみました。
板持トンネルの近くまで来ました。トンネル内は歩行者や自転車はは通行できなくなっており、自動的にトンネルの上、目指す板持城跡と書かれていた方向に歩くことになります。
板持トンネル前の坂を上りきったところです。
反対側を見ると、ちょうどトンネルの真上にいることがわかります。
こうして寿美ヶ丘遊園に到着しました。寿美ヶ丘遊園はトンネルができた2年後、2001(平成13)年4月1日から利用できるようになったそうです。
中に入ってみましょう。ブランコなどの遊具があって児童公園のようです。
寿美ヶ丘遊園の真ん中に東屋がありました。その後方、フェンスの後に、緑の木々で盛り上がっているところがありますね。これが地図にあった板持城跡でしょうか?
ところが、フェンスで囲まれて中に入れないばかりか、板持城跡と書かれた表示板のひとつもありません。
画像ではフェンスに白い物が見えるかと思いますが、これらは公園利用時の注意点や富田林市の告知が書いてあるだけです。
口コミによると、1348年に行われた佐美(佐備)谷口合戦で、南朝方が板持城に陣を張ったようなことが書かれています。
この戦いについては、四条畷の戦いで命を落とした楠木正行(まさつら)の跡を継いだ弟の楠木正儀(まさのり)が、3月18・19日に和田助氏と共に、敵で、兄を討ち取った高師泰(こう の もろやす)と交戦したと「和田文書」で記述があるそうです。
昔はフェンスがなかったので、自由に裏の林に入れたという口コミもありました。城跡にあえて入れないようにした?これはいったいどういうことでしょうか。
そこで、後日、富田林市役所文化財課に確認してみましたところ、次のような回答がありました。
板持城については、正式な見解として「存在の有無が定かではない」ということなので、現状では板持城があったかどうかはわからないのでしょう。
富田林藩があったという話のように、口コミが独り歩きしてしまったといえますが、もし将来的に何らかの証拠が見つかれば、状況が変わってくるのかもしれません。
ただこの位置であれば、中世の城や敵を迎え撃つための見張りのようなものがあっても不思議ではない場所。手前に流れる佐備川やその先の町の様子も一望できます。
最後に板持トンネルの東側も見てきました。トンネルの西側は建物が多いですが、東側は少ないですね。
寿美ヶ丘遊園
住所:大阪府富田林市東板持町3丁目14
アクセス:富田林駅からバス第三中学校前バス停から徒歩8分