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鈴木亜由子が東京五輪(19位)以来の国内マラソン。地元・名古屋で“再生”した走りを見せられるか?

寺田辰朗陸上競技ライター
3月12日の名古屋ウィメンズマラソンに出場する鈴木亜由子<筆者撮影>

名古屋ウィメンズ2日前会見で「コツコツ走って土台を作った」と鈴木

 今回の名古屋ウィメンズ(3月12日)は愛知県豊橋市出身の鈴木にとって、初めて地元を走るマラソンになる。そこでマラソンランナーとして、どんな姿を見せられるのか。

 レース2日前の会見で鈴木は、今回のトレーニングについて以下のように話した。

「今回の準備の中で意識したことは、シンプルに強化することです。一度難しく考えずに、(走る以外の)難しいトレーニングや補強に時間をかけず、コツコツ走って土台を作って、体を研ぎ澄ますことに注力したトレーニングをしました。自信がついたトレーニングはアルバカーキの中盤あたりの苦しいところで、1kmを(数本)ある程度のスピードで走るトレーニングがあって、かなりキツかったのですが、最後までペースを崩さずに走り切れたので、スピード持久力を身につける上で自信になったトレーニングでした」

 全体的にはコツコツ走って土台を作る練習を意識したが、自信がついたのはスピード系のメニューだった。色々な要素のメニューを行うのがマラソン練習、ということだ。

「その1kmが走れたから42kmを走り切れるわけではありませんが、これから自分のマラソンにおいてスピードを上げていく上では、そういったスピード練習で力を出して体を馴れさせていくメニューが大事だと思って取り組みました。ある程度土台を作った上での練習でした」

 今回のマラソン練習をこのように振り返ることができたのは、昨年9月のベルリン・マラソンで、2時間22分02秒の8位(日本人2位)という結果を出せたことが大きく関わっていた。ベルリンに向けては、東京五輪(21年8月)までとはトレーニングを変えて出場していた。

                                          表は筆者作成
                                          表は筆者作成

東京五輪前の練習は「攻めきれませんでした」

 東京五輪前も今回と同じように、距離をしっかり走る練習に舵を切った。鈴木は東京五輪前に次のように話していた。

「この3カ月は本番を想定して、週末に40kmを朝7時スタートで行い、水曜日にレースペースの質の高い練習をやりました。40kmは回避する週もありましたが、予定していた回数はこなすことができたんです。どんな練習をしても不安はなくなりませんが、自分ができることはやってきたのかな、と思います」

 しかし、以前に比べると距離は走ることができたが、質を上げるべきところでケガを怖れて上げきれなかった。

 それは鈴木の競技人生が、ケガとの闘いでもあった影響が大きい。特に16年リオ五輪は直前の練習でケガをして、スケジュールが先の10000mは欠場を余儀なくされ、5000mだけに出場した。前年の北京世界陸上では9位と入賞に迫った種目だが、予選を通過することができなかった。

東京五輪の鈴木。2時間33分14秒で19位だった
東京五輪の鈴木。2時間33分14秒で19位だった写真:アフロスポーツ

 地元五輪のスタートラインには絶対に立つ。その思いが強く、故障をしないで練習を継続することに意識が行っていた。だが鈴木本人が、「考えすぎていた」ところもあった。高橋昌彦監督から指摘され、鈴木本人も思い当たる節があった。

 今年1月の取材で、地元五輪のプレッシャーも“考えすぎた”理由の1つだったのか、という質問に以下のように答えていた。

「うーん、そうですね。みんな同じようにプレッシャーを感じていたと思います。その中でもケガをしないでスタートラインに立って、最大のパフォーマンスを出そうとしていました。過度のストレスがあったかもしれません。もう少し心にゆとりをもって構えていたら、(トレーニングを)もっと大胆に行けたかもしれません。攻めきるところがちょっと足りませんでした」

 地元五輪の注目種目を走る難しさと、鈴木のメンタル面の課題が重なったのが東京五輪だったのかもしれない。

ベルリン・マラソン前の練習で“チーム亜由子”が強く機能

 東京五輪から1年と1カ月。立ち直るのに時間はかかったが、22年9月のベルリン・マラソンに鈴木は出場した。ワールドマラソンメジャーズ(ロンドン、シカゴ、ベルリン、ニューヨークシティ、ボストン、東京の6大会)は、1国3人の出場枠がない。アフリカ勢が大挙出場し、選手の持ち記録などレベル的には五輪&世界陸上を上回ることもある。

 鈴木は2時間22分02秒で8位という成績を収めたが、練習は東京五輪までとどう違ったのか。

 先に“チーム亜由子”の変化を紹介する。やはり1月の取材で駅伝の、チームでの強化との違いについて質問されたとき、次のように話している。

「マラソンはマラソンで、チームプレーだと思います。ベルリン前の練習で感じたことですが、監督は監督で、コーチはコーチで、栄養士は栄養士で、みんながその日その日でベストを尽くす状況になっていれば、選手も勇気をもらえるんです。自分もやらなきゃ、自分もやれる、と思える。小さなことですが、そういうチームプレーがすごく大事だと感じました」

 ベルリン以前も感謝の気持ちは持っていた。それがより深く感じられて、自身の練習に影響することを実感できたのだろう。

3月10日に行われた名古屋ウィメンズマラソン前々日会見の鈴木亜由子<筆者撮影>
3月10日に行われた名古屋ウィメンズマラソン前々日会見の鈴木亜由子<筆者撮影>

 指導者とのコミュニケーションも、より深くとるようになった。

「監督に『ここが気になって練習ができるかわかりません』ということを言って、知ってもらうことで練習に対するストレスが減ります。不安があると思いきって練習に向かえないのですが、ベルリン前は思い切って練習に向かうことができました」

 練習自体は名古屋前と同じように、「何も考えずにただ走ってみよう」という方針で行った。そのベルリンで一定の結果を出したが、マラソン経験が少ないのでもう一度、同じコンセプトでしっかり結果を出したい。そう鈴木陣営は考えた。

「補強などは最低限のことはやりますが、自分のバランスを整えるくらいにして、ちゃんと走って脚を作って、そのスタミナをもって質の高いトレーニングができたときに、どういう結果が出るか試してみたいんです。しっかりと走る中で自分のバランスとか、少しの違和感とかを修正しながら走ることで、自分の感覚を研ぎすませていけたらいいな、と思っています」

 2回同じコンセプトの練習を続けることで、マラソン練習の基本パターンをしっかりと固めることが名古屋出場の目的だ。

最後の調整段階で“攻めの練習”

 しかしベルリン前の練習で、予定通りにできなかったことが1つあった。ボルダー(米国コロラド州の練習拠点。標高1700m前後)で行ったマラソン前最後の10kmが「前半を突っ込みすぎて後半がよくなかった」という。

「2週間前のハーフの距離での練習まではよかったんです。このくらいで押して行きたい、というタイムで走ることができましたが、そこで脚が少し痛くなってしまいました。その後のジョグを抑えめにやってしまって、そこがちょっと上手くいきませんでした」

 高橋監督によればそれが、ベルリンの前半で速いペースに乗りきれないことにつながったという。鈴木もその点を認め、「次にもし同じ状況になったら、ベルリン前の経験を生かして消極的にならずに行きたいと思います」と覚悟を決めた。

 だが実際に痛みや違和感が生じたとき、思い切った練習を行うのは難しいのではないか。

「不安はありますが、自分の体がどこまで持つか、やるだけです。(それができるのは)東京五輪前とはメンタルが違うことが大きいと思います」

 高橋監督によれば2月中旬に、鈴木が会見で触れた1km×15本と、中1日で行った40km走の後に左足の甲に痛みが出た。

「完全に練習をストップしないでスイム、バイク、ウォークとジョグで確認して、その後の調整段階でもジョグのスピードを落としませんでした。大会1週間前の15kmの変化走はレースより速いペースで行うことができましたし、水曜日の3kmは最後1kmを3分05秒でスーッと上がってきました」

 ベルリンで不十分だった最後の調整が、今回はスピードを上げてしっかりとできている。

 繰り返しになるが今回のマラソン練習は、基本的には「もう一度マラソン練習らしい練習をしっかりやった上で、それがどう結果に結びつくかを確認した上で、MGCに向けての練習につなげられたら」(鈴木)という狙いで完遂できた。

 2回の手術をした高校生の頃から、故障克服の課題がつねにつきまとった。その鈴木がより強く“再生”したマラソンランナーとなって地元を走る。

名古屋ウィメンズマラソン前々日会見後のフォトセッション。鈴木(前列左)は会見に出席した招待選手たちと笑顔を見せた<筆者撮影>
名古屋ウィメンズマラソン前々日会見後のフォトセッション。鈴木(前列左)は会見に出席した招待選手たちと笑顔を見せた<筆者撮影>

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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