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孤立死した男性が「人知れず発したSOS」

池上正樹心と街を追うジャーナリスト
写真と本文は関係ありません。(写真:ロイター/アフロ)

  録画していたNHKのETV特集「空蝉の家」(2021年12月18日放送)を観た。

 番組は、会社を辞めてから30年以上ひきこもり、2018年12月に家の中で衰弱死した伸一さん(当時56歳)の一生を取り上げたもので、大手企業に勤める父親が生前残した日記には、「伸一は相変わらず、空蝉のごとし」と綴られていたという。NHKスペシャルドラマ「こもりびと」の基になった日記だ。

 一方で、伸一さんも生前に残した言葉やメモなどを通して、これから「8050問題」に周囲がどう関わっていけばいいのかを一緒に考えていく上で、本質的な教訓を伝えてくれていた。周囲が手を差し伸べようとしても「自分の力で何とかします」などと言って誰にも頼ろうとしないで潜在化していく、そんな本人や家族の心情をひも解いてみたい。

生きていても、ちっとも面白くない

 番組で取り上げられた伸一さんは、好きだった英語の勉強をしたいと大学の英文科を目指していたが、1980年は受験戦争が過熱していた頃で、3度にわたり大学受験に失敗。父親は、進学を諦めて自立するよう促した。

 伸一さんは、父親が薦める公務員に採用されることも叶わず、百科事典の訪問販売という非正規の仕事に就いた。父親は「社会勉強のためと考えてやらせている」と日記に綴る。

 1983年に伸一さんが診療所の医療事務職の正規社員に決まると、父親は喜んだ。しかし、その後も伸一さんは、仕事探しを続けた。

 診療所では、深夜残業が続いて、皆が自分のことで余裕がなかったという。伸一さんは約10か月後に退職。以来、定職に就くことはなかった。

「就職 教員 公務員 生きていても、ちっとも面白くない」

 伸一さんが残したメモからは、父の期待に応えようと安定した生活を求めてきたものの、自分の意思を出すことができずに1人抱えてきた悩みが、痛いほど伝わってくる。

「当時はまだ、成人のひきこもり問題など、取り上げられることもなかった。どう対処していったらいいのか、わからなかったんでしょうね」と、弟の二郎さんはインタビューで振り返る。

 何をするでもなく、家の中で何か考え込んだ様子でボーっとしている息子を見て、父親は日記に「現在の家族状況ではどうにもならない」「このままでは窒息しそうだ」などと記す。よく最初の頃に話を聞くと打ち明けられる言葉だが、多くの親たちの間で共有されている心情だ。

 2002年、父親は肺がんを患い、専業主婦の母親も妄想を口にするなど、目が離せない状況が続いていた。思い通りにならないことの連続で、父親がつい伸一さんに手を上げてしまう。伸一さんは、パンしか食べなくなっていた。

 父親は当時、こう嘆いている。

「生まれてきたくて、この世にあるわけではないとは…」「これでは、親は不幸をつくるために、子供は不幸を背負うために、この世に生まれてきたみたいではないか」

 一方で、伸一さんが口にしたという言葉を類推すれば、自分には生きていく価値があるのか?社会から必要とされているのか?実感できなくなっている、そんな息を潜めて生活している多くのひきこもる人たちの心情にも重なる。

 2007年の日記には、父親が誕生日に寿司をとっても、伸一さんは口にしようとしなかったことも綴られていた。父親が夢見てきた家族の団らん風景。ところが、伸一さんは、働くことができずにいる罪悪感から、寿司など喉を通らなかったのだろう。

 この直後、父親は入院した。母親の介護の相談を受けた地域包括支援センターの職員が自宅を訪ねたが、支援を拒まれる。母親は何を心配して、介護職員を家の中に入れようとしなかったのか。

 まもなく母親は亡くなり、その2か月後、父親も後を追うようにこの世を去った。それから10年の時が過ぎる。

贅沢するようで、我慢している

 伸一さんが亡くなる1か月くらい前、心配した近隣からの情報をきっかけに、市役所の生活困窮者自立支援の担当者が伸一さんの元に通い続けた。

 同行していたカメラは、伸一さんの内面を窺わせる、貴重な肉声を記録していた。

「市役所の人が、そんなにご親切に声をかけて話を聞いてくださるなんて…」

 しかし、伸一さんは、「パン以外の食べものを買うと、贅沢するようで、我慢している」と言って、支援を丁重に断り続ける。

「贅沢」という表現には、父親の期待する生き方のできなかった自分自身を戒める、彼の真面目さが凝縮されているように思えた。

「自分がどのくらいできるのか、やってみたい」「自分で早く健康を回復して、仕事に就きたいと思います」

 市役所の担当者が自立の相談に乗ろうとしても、そう頑なに拒んだ。

 この担当者は、2018年当時としては、制度の狭間に取り残された50代の孤立男性を救おうとしてよく頑張っていたと思う。一方で、伸一さんは「他人を頼らずに、自分の力で」と刷り込まれてきたのであろう教えを、ずっと忠実に守っているようにも感じられた。

 亡くなった伸一さんの遺体のそばには、最後まで英語の勉強をしていた形跡が残されていた。また、電話で相談するために準備した下書きメモも見つかった。

 メモには「今、話してもいいのか?」「父親のお見舞いに何度も来て頂いて…」など、福祉関係の仕事をする従兄弟を気遣う言葉が25項目も並び、その最後に書かれていたのが、自分の受診できる病院を尋ねた質問だった。しかし、伸一さんが従兄弟に電話したとき、ちょうど不在で電話に出ることができなかったという。

 弟は、番組のインタビューで「人知れず発したSOSだったのかもしれない」と話した。

 ひきこもりとは、絶望や諦めの境地に至って自死するのではなく、何とか生き続けるために人や社会から退避している状態である。伸一さんも、決して生きることを諦めていなかったのだ。しかし、父親にはその気持ちが見えないまま、失意のうちに亡くなっていくのが、何とも切ない。

 不器用な生き方しかできなかった「伸一さん」的な要素は多かれ少なかれ、自分の中にもあるし、誰の中にもいる。同じような家族もたくさんいて、決して他人事とは思えない。

 とはいえ、生きてきた時代状況の違う父親が悪かったわけではないし、伸一さんの周囲の人たちにもそれぞれの人生がある。筆者も支援者ではないが、もっと早く伸一さんに会える機会があったなら、「もう自己努力だけで頑張らなくてもいい。社会は確実にあるのだから、もっと頼ったっていいんだよ」「誰でも助けを借りてやり直す権利があるのだから、話だけでも聞くよ」、そう伝えてあげたいと思った。

心と街を追うジャーナリスト

通信社などの勤務を経てジャーナリスト。約30年前にわたって「ひきこもり」関係の取材を続けている。兄弟姉妹オンライン支部長。「ひきこもりフューチャーセッション庵-IORI-」設立メンバー。岐阜市ひきこもり支援連携会議座長、江戸川区ひきこもりサポート協議会副座長、港区ひきこもり支援調整会議委員、厚労省ひきこもり広報事業企画検討委員会委員等。著書『ルポ「8050問題」』『ルポひきこもり未満』『ふたたび、ここから~東日本大震災・石巻の人たちの50日間』等多数。『ひきこもり先生』や『こもりびと』などのNHKドラマの監修も務める。テレビやラジオにも多数出演。全国各地の行政機関などで講演

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