戦火のウクライナ脱出 シリア青年、故郷の惨状重なる(写真8枚・地図)
◆内戦シリアからウクライナへ、そこで再び戦火が
「ウクライナを脱出しました。無事です」
2022年3月初め、シリア人青年、ロジ・モウサさん(23)からネットを通してメッセージが届いた。彼は昨年、働きながら大学進学を目指すためキーウ(キエフ)に渡った。シリア内戦から逃れ、新たな生活を始めたが、ロシア軍がウクライナに侵攻。キーウを脱出したロジさんに連絡をとり、話を聞いた。(玉本英子/アジアプレス)
◆悲惨な戦争の現実
シリア北部で、私がロジさんに出会ったのは、2年半前のことだ。地元メディアの記者として最前線の現場に入り、カメラで内戦の姿を記録し続けていた。シリアに派遣された米軍装甲車の車列を撮影し終えた彼は私に言った。
「ひとつの戦争がたとえ終わっても、どこかでまた別の戦争が起きる。この国も世界も、ずっとその繰り返しなんだ」
シリアの内戦は10年を超えた。内戦が始まったのはロジさんが中学2年生のときだ。
日増しに激化する戦闘と困窮する市民生活。人生で一番楽しい青年期のほとんどを、戦争の中で過ごした。アサド政権の政府軍や、それを支援するロシア軍による空爆が各地で繰り返された。瓦礫に埋もれた遺体、血まみれの子どもたち。悲惨な戦争の現実だった。
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ロジさんと家族はシリア北西アレッポでの生活を断念し、親の実家を頼って近郊のアフリンへ逃れた。ところが避難した先で、一家は再び戦火にさらされる。
2018年、隣国からトルコ軍が、「クルド人テロ組織排除」を名目にアフリンに侵攻。トルコ軍は、クルド勢力に敵対するシリア反体制派を後押しし、都市部や農村を次々と制圧していった。15万人が故郷を追われ、避難民となった。
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◆大学めざしウクライナに渡ったが......
ロジさんは家族を北東部の避難民キャンプに残して、その後、イラクへ渡り、ウクライナの労働ビザを取得。昨年4月、首都キーウに到着すると、貿易会社に職を見つけ、働き始めた。
ウクライナ人は気さくで、たくさんの友人ができた。シリア内戦の影響で中断した大学の勉強を続けたいと、キーウでの進学を目指し、語学学校にも通った。ロシア軍がウクライナに侵攻したのは、そのわずか10カ月後、今年の2月24日のことだ。
◆「避難民、子どもの犠牲、シリアに重なって映る」
西側主要国はロシアによるウクライナ侵攻を強く非難し、即座に経済制裁や資産差し押さえなどの措置を実施した。ロシアの暴挙は決して許されないし、この戦争を引き起こしたプーチン大統領はその責任を問われるべきだ。
今、多くの人びとが、ウクライナと苦境にある国民に心を寄せている。一方、戦争で日々、命が失われているのはウクライナだけではない。
ミャンマーの軍政下で弾圧される市民、アフリカ各地での地域紛争、そしてシリアでの長きにわたる内戦。命の重さは同じはずだ。過酷な状況に直面する人びとの境遇に、どれほど思いや悲しみが寄せられているだろうか。
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ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まると、国外に脱出する市民があいついだ。ロジさんはリュックひとつで乗り合いタクシーに乗り込み、30時間かけて隣国ポーランドを目指した。そこから、1週間かけてドイツの親戚の家にたどり着いた。だが安堵の気持ちになれないという。
「逃げ惑う避難民、戦闘の犠牲になる子ども……。自分にはすべてがシリアに重なって映ります」
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2022年4月19日付記事に加筆したものです)