この先100年続くための商品開発を―/株式会社永勘染工場 永野仁輝さん
宮城県仙台市の中心部からもそう遠くない場所に、かつて染師たちが集まっていた場所があります。それが、若林区南染師町(みなみそめしまち)。かつては染師たちで大変なにぎわいを見せたこのまちに、今では一軒だけとなってしまった染物屋があります。それが、永勘染工場。5代目として新たなことに挑戦し続ける永野仁輝さんが、この物語の主人公です。
今もたった一軒残る、染工場
創業は明治20年(1887年)。意外なことに、創業当時は現在の場所ではなく、仙台市中心部にある芭蕉の辻の近くで商売をしていたそうです。永野さんは「当時、藤崎さん(※)が呉服商で、その仕事をしていた関係であの場所に暖簾を構えていたそうです。しかし、戦災で焼けてしまったので、南染師町に移動してきたんですよ」と教えてくれました。
※仙台の老舗デパート。呉服屋を前身とし、文政2年(1819)創業。デパートとしての創業は明治45年(1912)
「永勘染工場」がつくっているのは、地域のシンボルとなる神社の大幟や幕、祭りを彩る半纏、飲食店の顔となる暖簾といった品々。昔ながらの伝統的な染めの工法である本染めにこだわっています。永野さんは「本染めのよさは生地の中までしっかり浸透することなんです。たとえば、暖簾はお店の外側からも内側からも見られるものですよね。裏側もしっかり染まっているものを暖簾としてかけたい、というお店さんなどからご注文をいただいております」と話します。
なんとなく継ぐんだろうな…とは思っていた
老舗に生まれた永野さん。「小さなころから工場に出入りしていましたし、『お前は長男だからな』というように言われていたので、なんとなく継ぐんだとは思っていました。大学4年のときに祖母が亡くなって、当時は祖父母と両親との4人でやっていたので、人手が足りないということで、決まっていた就職先をお断りして卒業と同時に戻ってきました」。
幼いころから工場に出入りはしていたものの、実務経験はゼロ。そのため「父が引退していた職人さんを呼び戻してくれて。その職人さんに教えていただきながら、営業もこなしつつ10年くらい工場にいました。指定した色できれいに染まり、それをお客様に納品して喜んでいただいたときは本当にうれしかったですね」といいます。
みなさんに使っていただけるアイテムを
5代目として常々「お客さまに喜んでいただいて、恥ずかしくない商品を提供する」ことを叩きこまれたという永野さん。この先100年のビジョンを伺いました。
「必要とされるアイテムを作っていかないと、染め物はどんどん衰退してしまうと思います。お祭りなどの既存の事業を継続していく中で、新しいアイテム、みなさんに使っていただけるような商品を作っていく必要があるのかな、と思います」。
そうした中で生まれたのが、染CYCLING CAP。永野さんと付き合いのある自転車好きのデザイナーからの発案で、知多木綿を永勘染工場で染め、宮城県内の工場で縫製。軽くて吸水性に優れたサイクリングキャップができあがりました。
「デザインとスポーツとかを組み合わせることで、今までないものつくることができました。これからも柔軟に対応していって、求められるものとか、時代ニーズに合うものをつくっていくことが我々に必要だと思っています」。
これからも永勘染工場は、この南染師町で歴史を刻んでいくのです―。
染CYCLING CAPの誕生秘話は、「暮らす仙台」でご紹介しています。ぜひご覧ください。
〒984-0814 仙台市若林区南染師町13
営業時間:9:00-17:30
定休日:土・日・祝日
TEL:022-223-7054