実業団選手とお笑い。二足のわらじで走るランナー芸人「げんき~ず」宇野を導いたレジェンドの言葉
フルマラソンのベストタイム2時間33分30秒という芸能界トップクラスの記録を持つお笑いコンビ「げんき~ず」の宇野けんたろうさん(39)。様々なマラソン大会にゲストランナーとして参加する一方、TBS「陸王」やNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」など走ることをテーマにした作品で役者としても活動してきました。さらに、株式会社壽屋のコトブキヤ陸上部に所属し芸人初のマラソン実業団選手にもなったことも今月発表。まさにオンリーワンの道を走り続けますが、きっかけをくれたのは大先輩にあたるレジェンドランナーの言葉でした。
実業団ランナー芸人
新型コロナ禍で、収入が10分の1以下になってしまいまして。
コロナ禍の前は月に2~3回は各地のマラソン大会でゲストランナーとして走らせていただき、芸人としてもいろいろと営業にも呼んでもらっていたんですけど、コロナ禍でそういったお仕事がことごとく中止になっていきました。
ここ何年かは走る仕事のおかげで収入も上がってきて、去年ローンを組んで家も買ったんです。そんな中でのコロナ禍だったので、正直これはきついなと…。否応なく、卒業できていたアルバイト生活にまた戻りました。
朝5時から走って、そこから回転寿司のバイト。さらに焼き鳥の店頭販売のバイトを掛け持ちして、また夜に走る。そんな毎日を送っていたんです。
というような状況を陸上関係の方にお会いした時に相談をしてみたんです。そこで紹介してくださったのが壽屋さんのお話で、今年に入ったあたりから話が進んでいき、先日ありがたいことに契約を結ばせてもらったという流れです。
契約のカタチ的には、僕は壽屋さんの社員ではないので、分かりやすく言うとスポンサーになっていただいたということなんです。
「コトブキヤ陸上部」は僕一人が所属している形で、マラソン大会に出場して上位を目指すという部分ももちろんあります。
それと、芸人としてエンターテインメント性に期待してくださっているところもあるので、皆さんとゆっくり楽しく走る中で壽屋という名前を浸透させる。それも重要なポイントです。とにかく走ることを通じて壽屋をアピールする。それが僕の役目なんです。
“箱根”よりも
陸上競技を始めたのは中学の時でした。もともとはバスケットボール部だったんですけど、校内のマラソン大会で優勝し、陸上部の先生にスカウトされる形で中学2年から陸上を始めました。
そこから東京の正則学園高校にスポーツ推薦で入学し、高校3年の時には全国高校駅伝に東京代表で出場することもできました。
大学の陸上部からお誘いもいただいてたんですけど、ちょうどその頃にテレビで見た「ナインティナイン」さんの姿に完全に心を奪われまして。純粋に「こんな面白い人たちと一緒に仕事がしたい」と思ったんです。
そこから吉本への入り方を調べてNSCを受験するということになるんですけど、恩師である高校の先生からは「お前は大学4年間で絶対に箱根を走れる選手になるから」と強く慰留していただきました。でも、どうしてもお笑いへの思いを断ち切ることはできなかったので、吉本に入ったんです。
ただ、入って痛感したのは「自分って、なんてつまらないんだ」ということでした(笑)。言ってみたら陸上ではとんとん拍子で、いわばエリートみたいに進んでいけた。それがお笑いでは全くどうにもならない。そこで大きな衝撃を受けました。陸上のようにはいかないものだと。
でも、そこで後悔はなかったんですよね。本当に難しい。だけど、やっぱりお笑いは思っていた通りに素敵な世界だし「陸上を続けていた方が…」という考えになることはありませんでした。本当に、本当に、本当に、難しいですけど(笑)。
「走ってたら仕事が来るから」
芸人としてトップを目指すため「M-1グランプリ」などの賞レースに力を注いできたんですけど、走ることをやめたわけではなく2009年にホノルルマラソンに出た時に2時間48分15秒という芸人としてはかなり速いタイムを出したんです。
それが周りの芸人さんや吉本興業の社員さんらの耳に入り「それだけ本格的に走れるなら、一度あいさつに行ったら?」と今から10年前に初めて間寛平師匠とお会いする機会をいただいたんです。
ランとヨットで世界一周する「アースマラソン」を達成して寛平師匠が戻ってこられた凱旋イベントが11年1月に大阪・なんばグランド花月で開催されたんですけど、そこで初めてあいさつをさせていただきました。
初対面とは思えないほど優しくフレンドリーに接してくださり、親身にお話をしてくださいました。
「昔、オレも仕事が全然なかった時にものすごく走っててん。そうやって走ってたら、面白いもんで仕事が来たんや。だから、宇野も一生懸命走ってたら仕事が来るから。頑張りや!」
最初は「本当にそんなことがあるのか」という気持ちもあったんですけど(笑)、実際、ちょうどその頃からライブなどへの出演数も増えていって、寛平師匠からお話をいただいて数か月後にはTBS「オールスター感謝祭」の「赤坂5丁目ミニマラソン」を走らせてもらうことになったんです。
それがテレビで走る初めての場になったんですけど、それが名刺みたいになってまた次の走る仕事をいただく。それがまた次につながって…という感じで、本当に走れば走るほど仕事が入ってくる状態になっていったんです。
そのサイクルになる前は「走ってないでネタを作った方がいい」と周りの方々から言われたりもしてたんです。普通に考えると、それが正論だとは思うんですけど、寛平師匠から言っていただいたことで迷いがなくなったというか「これでいいんだ」と言葉に強く背中を押してもらえたのが大きかったのかもしれません。
今もお会いすると「お前、走ってばっかりでオモロないなぁ(笑)」という愛の塊のようなイジリをしてくださいます。そして、寛平師匠が関わってらっしゃるあらゆるマラソンイベントにずっと呼んでくださっています。
僕なんかがおこがましいですけど、本当に走ってこられた方なので一言一言にとんでもない重みがあるんです。そして、芸人としても大きな結果を残されてきた方なので、いただく全ての言葉がスッと胸に染み込んでいくというか。どこまでもありがたいことだと思います。
今は寛平師匠のみならず、いろいろな方々からありがたい言葉をいただけるようになりました。「トータルテンボス」の大村さんも「速く走ることが、もはやボケだから。速ければ速いほど面白いから」と言っていただきまして。
そんな皆さんの言葉に後押しされて、一日に20キロは走り続けています。月に600キロ。だいたい大学生のトップクラスくらいの距離だと思います。来年で40歳になるんですけど、なんとか体脂肪率3%は維持してますし、何よりうれしいのはまだタイムが伸び続けているんです。
壽屋さんのお話もありがたいばかりですし、もっと速く、そして、もっと面白くなれるよう、なんとか頑張りたいなと。
吉本興業に海外に芸人が住むプロジェクト「住みます芸人」というものがあるので、今はアジアが中心なんですけど、いつか「ケニア住みます芸人」として向こうで走りとお笑いの技量を高められたらなとも思っています(笑)。
ただ、速く走れるということで存在としての面白さは増すと思うんですけど、コンビのネタがウケるようになるかというと、そこはキレイに別物でして…。
ただ、ただ、それでも、とにかく迷わず走る!とにかく速く走る!それが大きな面白さにつながることを信じて頑張りたいと思います。
(撮影・中西正男)
■宇野けんたろう(うの・けんたろう)
1982年3月1日生まれ。東京都出身。本名・宇野堅太郎。NSC東京校6期生。元気☆たつやと2000年にお笑いコンビ「フレンドランド」を結成。07年に「げんき~ず」に改名する。中学時代から陸上競技に目覚め、高校時代は全国高校駅伝に東京代表として出場した経歴を持つ。陸上の名門大学からも誘いを受けるが、お笑いへの情熱からNSC東京校へ。フルマラソンのベストタイム2時間33分30秒という芸能人トップの記録を持ち、TBSドラマ「陸王」のダイワ食品陸上部エース・立原隼斗役やNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の井手伊吉役など特性を活かし役者としても活動。今月、株式会社壽屋のコトブキヤ陸上部に所属したことを発表し芸人初のマラソン実業団選手となった。