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「努力すれば報われる」に潜む残酷性

小川たまかライター
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トップアスリートとして輝かしい経歴を持ち、現在はスポーツコメンテーターとして活躍する為末大さんの「成功と努力」に関する一連のツイートが話題となりました。一部では「炎上」したと言われています。

発端となったツイートは10月22日の下記のものです。

成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。

出典:https://twitter.com/daijapan/status/392419979707969536

もともと為末さんはツイッターでの発信やフォロワーとの交流が多かったこともあり、このツイートは現在までに1200回以上RTされるほどの反響を呼びました。その後、10月28日に為末さんは「今日は【努力で成功できるか】について」とつぶやき、持論を展開しました。一部は次のようなものです。

成功をある程度成功率が高いものにおくのであれば、努力すれば夢は叶うと思う。でも五輪選手になるとか、かなり少ない席の話であれば誰でもできるわけではなくて、才能と、環境がまず重要だと思う。そのスポーツをやる環境に生まれた事が、努力よりも先にくる。

出典:https://twitter.com/daijapan/status/394598620093095936

人生の前半は努力すれば夢は叶うでいいと思う。でもどこかのタイミングでそれを客観視しないと人生が辛い。努力すれば夢は叶う→叶っていない現在の自分→原因は自分の努力不足。努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていく。

出典:https://twitter.com/daijapan/status/394600563318325248

これらのつぶやきについて、賛同のコメントとともに、批判的なコメントも多く寄せられたといいます。「為末大『努力すれば成功する、は間違っている』 『正論』なのに『炎上』してしまうのはなぜ」(J-CAST)という記事によれば、

「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」

「志そうとする気持ちがないと、才能が合っても開花しないわけだし 努力することが無駄っていうのは言い方としてダメじゃないかな」

出典:http://www.j-cast.com/2013/10/28187448.html

などのコメントもあったようです。

私がこの「炎上」についての記事を見て思い出したのは、今年の初めにスポーツ指導における体罰問題を取材したときのことです。スポーツ指導経験者やスポーツ教育の研究者に話を伺いましたが、何人かの方が仰ったのが、「特にスポーツ指導において、努力をすれば報われるという根性論は間違っている」ということでした。

「努力をすれば報われる」という言葉は一見美しく、子どもの背中を押すように感じられます。もちろん努力をすることは無駄ではないし、子どもに努力を教えることは大切です。ただし、「努力をすれば報われる」という言葉は「成功できない人は努力が足りない」ということの裏返しでもあります。努力に対して必ず結果がついてくるという信仰は、結果を出せない者を「努力しなかった者」として「罰しても良い」という考え方につながってしまいます。「才能がない」ことや「身体能力が劣る」ことでは教育者は子どもを罰することができませんが、「努力をしていない」ということになると罰することができるのです。

これは極端に聞こえるかもしれませんが、それではなぜスポーツ指導という教育現場で信じられないような体罰が繰り返し行われてきてしまったのでしょうか。体罰問題が取りざたされるとき、体罰を行った側は愛情深く、信頼される指導者だったと報じられることがありますが、体罰を行う側にもそれなりの「正論」があり、それが「努力信仰」だったのではないでしょうか。

取材に答えてくれたスポーツ指導経験者の方たちは、「努力をすれば報われるという考え方は間違っている」と言うとき、かなり言いづらそうにそれを口にしました。それは、今回為末さんが賛同と同時に受けた批判を想定していたからでしょう。「努力をすれば報われる」という言葉にパワーがあり、多くの人がそれに惹かれます。それを自分に言い聞かせるだけならまだいいのかもしれませんが、活躍する若いアスリートたちにも、無意識のうちにそれを押し付けてしまうことがあります。「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」という為末さんを批判するコメントがあったといいますが、「努力は報われる」という言葉は、子どもを励ます言葉であり、追い詰める言葉でもあります。トップアスリートとしての経験がある為末さんだからこそ、それが分かっているのではないでしょうか。

スポーツの世界は努力をすれば必ず結果がついてくるほど甘い世界ではありません。でも、アスリートたちは自らそれを口にすることはできません。アスリートは努力を信じ、努力の限りを尽くすものというストーリーを私たちが期待してしまうからです。3位の人より2位、2位の人より1位の人の方が努力したと信じたい気持ちは多くの人にあるはずです。その努力信仰の残酷さについて、為末さんの言葉は教えてくれていると感じます。

ライター

ライター/主に性暴力の取材・執筆をしているフェミニストです/1980年東京都品川区生まれ/Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット大賞をいただきました⭐︎ 著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)/共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』(合同出版)/2024年5月発売の『エトセトラ VOL.11 特集:ジェンダーと刑法のささやかな七年』(エトセトラブックス)で特集編集を務める

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