<ガンバ大阪・定期便60>大胆に、ロジカルに。石毛秀樹が面白い。
正真正銘のゴラッソだ。
J1リーグ第8節・京都サンガF.C.戦。1点のビハインドを追いかける37分。右サイドからのクロスボールのこぼれ球をゴール前中央、ペナルティエリアの手前から、右足のハーフボレーでゴールを捉えた。
「力は入れていないです。ミートすることだけ、枠の中に収めることだけを考えて打ちました。アラーノが右で受けた時に自分がフリーなのがわかっていたので、マイナスのパスをもらうイメージだったんですが、アラーノの状況的にクロスボールをあげたくなるのもわかるからその時はこぼれ球が来たらいいなってくらいの感じであそこにいました」
29分にハーフウェイライン付近からドリブルで運び、似たような位置からミドルシュートを放った際はボールがクロスバーの上を越えていったが、2度目のチャンスは逃さなかった。
「29分のシーンは、自分が打つよりジェバリ(イッサム)に出したかったんです。でも相手がいい守備をしていてパスコース的に難しく、自分もフリーだったので打ちました。そこで決められなかったのを悔しく思っていたので、次が入ってよかったです。先制される展開になりましたけど、全然いけそうな雰囲気もあったし、前半のうちに1-1に追い付けてよかった」
■継続的な『結果』によってポジションを掴む。
J1リーグでは3試合続けて先発出場を飾る中で、共に中盤を構成するネタ・ラヴィやダワンとともに目を見張る運動量、強度のプレーを魅せている。
「自分としてはノビノビというか、楽しくサッカーをやれていますし、プレーしていてもすごく充実感があります。それが好循環になって京都戦のゴールにもつながったと思うのでこの流れ、サイクルを崩さないようにしていきたいです」
その京都戦もさることながら、圧巻だったのは第7節・川崎フロンターレ戦だ。立ち上がり15分のビッグチャンスを逃し、「決めなきゃいけないところだったのに外してしまった分、今日は負けちゃったらヤバいなと思い、守備でも頑張って走ろうと思っていた(笑)」そうだが、この日の石毛はピッチを離れる63分まで、守備に攻撃にと中盤を走り回りチームを機能させる。もともと足元の技術には定評がありセットプレーのキッカーを務めることも多い彼は、ダワンが頭で決めた先制点も右コーナーキックからお膳立てするなど、リーグ戦初勝利に貢献した。
「川崎戦は、中にいる選手がみんな、マークにつかれている相手選手より強く、競り勝てると思ったので、速くて、曲げて、落として、とかではなく、GKに取られないことと、ニアに引っ掛からないところに蹴ることだけを考えていました。実際、試合前から中に入る選手には『みんな競り勝てるだろうし、俺はフワッと蹴るから、各々が点を取れそうなポイントに入ってきてよ』と言っていて、その通りになった。スタッフがスカウティングでしっかり分析してくれていたおかげで、イメージもすごく湧きやすかったです。もちろん、いい分析があってもキッカーである自分がいいキックを蹴らないと元も子もないですが、中の選手が強ければ、いい意味で力を抜いて蹴れるので。力が入りすぎると逆に飛びすぎてしまったり、変に回転がかかりすぎてニアで引っかかることもありますが、ダワンに合わせたシーンでは、フワッとペナルティマークのあたりに、めちゃ力を抜いて蹴ったのがよかったのかも知れないです(笑)」
■いいサイクルが、いいコンディション、プレーを生む。
好調の理由について、コンスタントに試合に絡めていることを挙げる。
「毎週試合に出るというサイクルで過ごせていることでコンディションも意識しやすい。今年のスタートは少しケガで出遅れましたけど、結果を出すことによって今はポジションを掴めていると思うので、これを継続していきたいし、もっともっとチームが勝つためのプレーをしていきたいです。去年の夏以降、色々と苦しい思いもしましたけど、自分はやれる、という気持ちはずっと持っていたしネガティブになることもなかった。ただ、やっぱりサッカー選手は試合に出てナンボ。今年はダニ(ポヤトス監督)のサッカースタイル的に自分のプレーを出しやすいのもあっていい感じでやれているんだと思いますが、ベンチにいるメンバーやベンチに入れない選手を見てもガンバは相当、レベルが高いので。自分が現状に満足したらすぐに(立場が)ひっくり返るという危機感は常にあります」
その言葉を聞いて思い出したのが、昨年6月に行ったインタビューで聞いたファジアーノ岡山時代の話だ。清水エスパルス在籍時代、石毛は17年と21年の半年間、2度にわたり岡山に期限付き移籍をしている。その時も、コンスタントに試合に絡む中で『自分』を取り戻したと話していたが、今の彼はまさに当時と似た状況にあるのではないだろうか。
「まさにその通りです。今の自分は岡山時代と近い感覚でプレーしています。試合を迎えるまでのサイクルもいいし、プレー中にガチガチになっていないというか、脱力している感じも含めて、すごく当時と似た感覚でプレーできています」
当時の取材ノートを引っ張り出してみると今の彼にもつながる興味深い話もしていた。
「17年に初めて岡山に期限つき移籍をした際、テクニックでは誰にも負けないと自負していたのに、最初はなかなか試合に起用してもらえなかったんです。何なら、ミーティングでも失点に絡んだわけでもないのに『お前がここでのらくら走っているからだ』みたいに言われて、なんだよ、って思ったこともありました(笑)。でも、その過程で長澤徹監督に走る、戦う、球際で負けないことの大切さを学んだというか。実際、岡山の選手ってめちゃめちゃ走るし、頑張るんです。勝っていても負けていても最後まで戦いますしね。そういうものを肌身で感じて自分も変わらなければいけないと思ったというか。それまでは試合に出られないことを、自分の思うポジションでプレーさせてくれないからだみたいに思っていましたけど、そうではなく、自分に足りないものがあるからだと気づかせてもらった。それによって『闘う』ことをベースに自分の良さ、持ち味を発揮しようと考えられるようになりましたしね。結果的にそのあと清水に戻ってからは活躍できなかったですけど、21年に再び半年間、岡山に期限付き移籍させてもらってそれなりに結果を残せたのも17年の経験があったからで、それがガンバへの移籍にもつながったと思っています」
つまり、石毛が今『ポヤトス・ガンバ』で示し続けている強度は、J2リーグでプレーした岡山時代に手に入れたもの。思えば、10代の頃からU-17ワールドカップメキシコ大会で中心選手として活躍し、アジア年間最優秀ユース選手賞を受賞したり、清水エスパルスユース在籍時の12年には、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)史上最年少となる18歳1ヶ月で『ニューヒーロー賞』を受賞するなど、高いテクニックを備えたファンタジスタとして知られた石毛だが、その才能を余すことなく発揮する強度を手に入れたことで、彼の『サッカー』は大きく変わった。
「岡山時代に身につけた『闘う』ベース、プレー強度を自分のスタンダードにしようと思い続けて今に至るので。現代サッカーではそこが不可欠とされていますけど、僕としては時代の流れに順応したというより、テツさんのおかげで身につけられたと思っています。その当時のことを最近になってテツさんと話したら『J1からJ2に来て、試合に使ってもらえず、干されたような感覚になった時にヒデが何を感じて、どう行動するか、という状況を作り出したかった』とおっしゃっていましたけど、当時の僕にしてみれば、そんな余裕はなく、J2の岡山で試合に出られなかったら自分のサッカー人生が終わってしまう、くらいの危機感しかなかったですから(笑)。おかげで、変なプライドも捨てられたし、とにかくガムシャラに必死に食らいついていった結果、1年を終えて『テツさんのもとでやれてよかった』と思える自分がいたから、継続しようという気持ちにもなれた。そういう意味でも岡山での経験があったから今の自分がいると思っています」
■戦術眼を活かしチームを変化させながら、勝利のために戦う。
清水時代に培った技術、岡山で備えた強度に加えて、最近の試合からも見てとれる戦術眼の高さも武器だろう。取材のたびに戦術の話も含めて、とてもロジカルに、だけどわかりやすく考えを伝えてくれる彼にはいつも驚かされているが、それはピッチでも然り、だ。チーム戦術は頭に置きながら、でも、試合の流れによっては時に大胆に判断を変え、必要なプレーを選択していけるのもその戦術眼があってこそ。後半途中からピッチに立ち、大きく試合の流れを変えただけではなく、自身もゴールを奪った第5節・北海道コンサドーレ札幌戦のプレーも印象に残っている。
さらに言えば、最近はそこにアシスト、ゴールという数字がついてきていることも自信になっているという。ケガで離脱していた宇佐美貴史が戦列に戻ったことでより激化しているポジション争いも意識下に置きながら、だ。
「このチームにおける宇佐美くんの存在がどういうものかはわかっています。でも、だから自分はサブでいいという気持ちは全くないので。誰とポジションを争ってもやっぱり自分が(試合に)出る、出たいという気持ちは常に持っておくべきだし、出られるという自信もある。京都戦で(ゴールという)結果がついてきたこともまた1つ自信になったと思っています。ただ、ゴールはもちろん個人的には嬉しかったけど、チームが勝つためにサッカーをしているので。勝てなかった、負けてしまったのは悔しいし、もっと自分にもできたことはあったとも思います。個人としてもしっかり反省して、チームとしても連戦でどんどん試合が来るので次に向けてしっかりいい準備をすることを繰り返していくだけだと思っています」
ちなみに圧巻の強度を示す中で、川崎戦は63分で、京都戦は66分でピッチを退いた石毛だが、いずれも「チームとしてのプランがある中での交代だと思うから異論はない」としながらも、前者では「90分、あの強度で走れたかはわからないけど、あと10分は確実にいけた」と話し、後者では「今日はぜんぜん、最後までいけそうだなと思いながらプレーしていました」と涼しい顔。驚異のインテンシティの裏にどんな努力があるのかを探ったところ、チームでの練習以外に特別なことは何もしていないと返ってきた。
「試合に出たから念入りにマッサージをしてもらうとかもないし、何か少し違和感があったらもちろんケアはしてもらいますけど、そんなしょっちゅうあるわけでもない。強いて言うなら、奥さんがいろいろと気遣って作ってくれる食事を残さずにしっかり食べて、子供とよく遊び、よく寝るくらい」
あとは「若さかな」と笑った。