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<ガンバ大阪・定期便40>絶対に諦めない。約4ヶ月ぶりの戦列復帰に、福田湧矢が込めた『感謝』。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
プロサッカー選手として、公式戦を戦う幸せを改めて噛み締めた。写真提供/ガンバ大阪

 改めて言葉にするまでもなく、試合に敗れた悔しさはある。

「ガンバの力になるためにはどうすればいいのか」

「自分には何ができるのか」

 戦列を離れている間も繰り返し、思い描いていたプレーが、チームの結果に届かなかった自分へのもどかしさも残った。

 だが、それらをひっくるめても、約4ヶ月ぶりに公式戦のピッチに戻ってくることができた喜びは大きかった。

「もう、すごく楽しかったです」

■襲いかかった悪夢。手術の決断。

 福田湧矢がアクシデントに見舞われたのは、5月8日に戦ったJ1リーグ12節・ヴィッセル神戸戦だった。26分、相手選手と接触し、左肩からピッチに倒れ込む。体に激痛が走ったものの、何が起きたのか、わからなかった。

「手に力が入らないなという自覚はあったので、ああ、なんか起きたな、と思って。少し体を動かしてみたら激痛が走って、手が動かなくて。折れたのか? いや、脱臼か? と考えている間にチームドクターが来て、脱臼だ、と言われました。でも、その場でパッと(肩を)はめてもらったら痛みが消えたから、これならやれると思って『先生、俺、できます』って言ったんです。でも『無理だ。交代だ』と言われて…『時間、かかりますか?』と聞いたら『長いな』と返ってきた。その瞬間、勝手に涙が溢れました。またか、しんどいな、なんだよ、って感じでした」

 頭を垂れ、ドクターに抱えられてピッチを後にする福田に昌子源が歩み寄って肩を抱く。ベンチに下がると控えメンバーが集まってきて、福田を取り囲むように輪ができた。昨年、左足首痛や脳震盪に苦しんできた彼を間近で見てきたからこそ、チームメイトそれぞれに思うところもあったのだろう。少なからず「湧矢の分も」という思いが仲間のさらなる奮起を促し、J1リーグ戦では6試合ぶりとなる白星につながった部分もあったはずだ。その試合後には再び、福田もピッチに現れ、左肩を固定した状態で仲間の元に駆け寄り笑顔を見せる。サポーターとのガンバクラップでは、藤春廣輝の左手と自分の右手を合わせて喜んだ。

「正直、複雑な気持ちでした。奈落の底に突き落とされてしまった自分と、チームが勝ったんだから暗い顔はしたくない、一緒に喜びたいという思いで…。でもやっぱり、チームが勝って嬉しかったです」

 そこからは、同じケガを経験した先輩、後輩にすぐに連絡を取り、意見を求めた。

 肩関節の脱臼は癖になることが多く、仮に1度目はメスを入れない保存療法で治しても、2度目の受傷では手術に踏み切るアスリートが殆どだと聞く。実際、福田にも保存療法で治すという選択肢はあったが、いろんな選手の経験談をもとに、最終的には手術に踏み切った。

「保存療法で復帰を目指しても2ヶ月近くはかかってしまうと言われたので、それなら多少時間が長くなっても手術をした方が再発のリスクは減るかな、と。それに何より、相手にガツガツと向かっていくプレーが僕の持ち味なのに、肩を気にして躊躇するようになったら、それはもう自分ではなくなってしまう。だからこそ、この先も不安なく思い切ってプレーするために手術をすることにしました。チームには迷惑をかけてしまうけど、順調にリハビリが進めばシーズン中に戻ってこられるし、とにかくその時に最強の自分になっていられるようにしようと思いました」

 術後は約3週間、入院生活を送りながら1日3回のリハビリに向き合った。傷口の状態が落ち着けば自宅に戻り、そこからリハビリに通うこともできなくはなかったが、しばらくは左手が固定された状態で運転ができなくなること。一人暮らしで食事や生活に支障をきたすのが目に見えていたことなども考慮し、そのまま病院に留まることにしたという。コロナ禍で誰とも面会できない入院生活は、ひたすら孤独で不安も募ったが、それは『自分』と向き合う時間にもなった。

「人生初めての手術で不安もあったし、傷跡を見るとやっぱり落ち込んだし、何より、寝ても起きてもいつも病室に一人という状態は、超心細かったです。去年の脳震盪の時も大概、辛かったけど、今回はあの時以上に一人で過ごす時間が長かった分、メンタル的にもキツかった。朝昼晩、しっかり食べていたのに、リハビリも歩くくらいしかできなかったせいか、筋力も落ちるし、体重がみるみる減って体が細くなっていくのも不安でした。結果的に9キロくらい体重が落ちてしまって、退院後、初めて実家に帰った時は親が『誰?!』みたいに絶句していました。そんな状態だったからこそ、ヒガシさん(東口順昭)、康介くん(小野瀬)をはじめいろんな人が気を遣ってちょくちょく電話をくれて他愛のない話をしてくれたり…宇佐美(貴史)さんも、自分の方がしんどいケガをしているのに『大丈夫か?』『生きてるか?』って何度も電話をくれて、本当にありがたかったし、嬉しかったです。だからこそ、頑張ろうという気持ちにもなれました。それに、一人でいるから考えることも多くて…『こんなにケガをするのには理由があるよな』『これだけケガが続くということは何かを変えなきゃいけないよな』『どうすれば自分は変われるんだろう』と繰り返し自分に投げ掛けました。その中で、たまたまサガン鳥栖の堀米勇輝選手の記事を読んで、自分と同じようにケガに苦しめられてきた彼の取り組みに興味を持ったんです。自分のプレースタイル的にも彼のコンディショニング方法は合うんじゃないかな、と。それで、トレーナーの方にDMを送って自分の体の状態を伝え、色々と話を聞かせてもらって新しいチャレンジを始めてみることにしました。最強の自分になってピッチに戻るために、やれることは全部、やろうと思っていました」

■最強の自分を求めて。全てはガンバの勝利のために。

 その新しいチャレンジというのが、食事、運動、ストレスコントロールの3つをバランスよく実践することで持久力と競技性の向上を求める『マフェトン理論』と呼ばれるトレーニング方法だ。それをより効果的に行うために、退院後、最初の2週間は、糖質カットの食生活を送りながら有酸素運動を並行して行い、「糖質をうまく使える体になること」を求めたという。以来、今も食生活には気を配りながら、パーソナルトレーナーと共に、体質改善と自身のプレースタイルを意識したコンディショニングを続けているそうだ。

「一人暮らしで普段から外食に頼ることが多かった分、栄養バランスも崩れてしまっていたというか。それが体の重みになってしまっていたところもあったので、まずは食生活を改善するために、退院してからは自炊を始めました。といっても、切る、焼く、炒める、鍋、のどれかでレパートリーはないんですけど(笑)。でもそれによって不足しがちだった野菜もしっかり摂れるようになったし、体に必要な栄養素をバランスよく摂取できるようになった。また、それと並行して、チームのトレーニングとは別に毎週末のオフを利用して鳥栖にあるサロンに通って、筋肉チューニングをしたり、セルフケアも続けてきました。結果、ピッチに戻った今も、体がすごく軽く、動きやすくなったし、自分がこの世界で生き残っていくために大事にしたいと思っていた体、動きの『キレ』の部分でも変化を感じています。といっても、コンディショニングの方法は人それぞれ違うし、何が正解かは正直、わかりません。これをしたら絶対、ということはないとも思います。でも、少なからず、手術をしてから1日も休まずにやれることを全部、やり切った上で『これでしっかり戦える』という自信を持ってピッチに戻れたのはよかったです。もっとも…僕の場合、基本的に性格が真面目だからか、やるとなったらのめり込むタイプだし、やり過ぎちゃうところもあるので。それも今回の入院中に見直したところなので、今は休むことも練習だと自分に言い聞かせながら、自分の体と向き合うようにしています」

 そうした過程を経て迎えた、9月3日のJ1リーグ28節・サガン鳥栖戦。2点のビハインドを追いかける状況下、福田はサポーターの大きな拍手に迎えられ、73分からピッチに立った。紅白戦等でもプレーしていなかったため、ぶっつけ本番に近い状況での出場だったが与えられた時間に、この約4ヶ月間積み上げてきたありったけの思いを注ぎ込んだ。

「とにかく思い切って仕掛けること。それが自分の持ち味なので、臆さずにゴールを目指そうと思っていました。もう少し相手を剥がすプレーができたらよかったですが、展開的にも難しく、そういうシーンはほぼ作れなかった。また、ゴールやアシストといった目に見えた結果でチームを勝たせることが仕事だと思っていたので(プレーの)中身にもぜんぜん納得していません。でも、すごく楽しかった。やっぱりサッカーは楽しいです。観ている何倍も、楽しかった」

 残念ながら試合は0対3で敗れ、今シーズン初の3連勝は叶わなかったが、その表情に悔しさこそ滲ませても、悲壮感はない。むしろ、今回のケガを乗り越える過程で改めて自分に求めたという『芯』をギラつかせた。

「僕は、どんなに悔しい思いをしても、絶対に諦めないって決めているんです。今回のリハビリ中も、何度も『俺はこんなもんじゃない』って自分に言い聞かせながら、諦めずにやり続ける、這い上がってやるって思ってここまできました。それはガンバに対しても同じです。強いガンバを取り戻すために、僕はどんな状況に置かれても絶対に諦めない。厳しい戦いが続くのは間違いないけど、諦めない。絶対に。そして、残留します。できます。ガンバなら」

 そうして諦めずに戦い続けることは、福田なりの『感謝』でもある。

「おそらくこれまでのサッカー人生では一番、辛い思いをしたケガだったけど、その分、チームメイトをはじめとする、いろんな人の優しさや思いやりをたくさん受け取ることができました。サポーターの皆さんからもSNSでたくさんコメントやDMをもらって本当に励みになったし、1つ1つに目を通して…何なら辛い時は繰り返し読んで、沈んでいる自分に寄り添ってもらっていました。そんなふうに支えてもらった方々に、僕が恩返しする方法は、ガンバのためにピッチで走って、戦って、点を決めて、アシストをすることしかない。元気にサッカーができるありがたみを忘れず、諦めず、前を向いて、サッカーを楽しみます。あ〜、勝ちたい! 次は勝ちます!」

 自分史上、最強の体とメンタルを従えて。揺らぎない『芯』を心に。ガンバに福田湧矢が帰ってきた。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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