終身雇用をやめれば、雇用改革は進むのか? トヨタ社長、経団連会長の相次ぐ発言から
トヨタ自動車の豊田章男社長による終身雇用をめぐる発言が話題になっている。5月13日の記者会見で、豊田氏は「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」などと述べたという。
この発言の翌日に、トヨタの好調な業績を反映して、同社の役員賞与が1人当たり平均2億950万円と報じられたため、インターネット上には「役員の報酬はアップするのに終身雇用は維持できないってどういうこと?」、「もっと社員に還元しろ!」というようなコメントが溢れた。
これらのコメントに見られるように、日本の大企業を象徴するトヨタだけあって、豊田氏の発言には多くの人が注目している。収益を高めながら、社員への還元だけを削る姿勢には、多くの人が疑問を抱いているようだ。
実際に、終身雇用をやめると何が起こるのだろうか? 本当に目指すべき雇用改革の方向はどこなのか?
今回は、日本の雇用社会の変化の方向も見定めながら、解雇規制緩和の問題について考えていきたい。
労働者の「貢献」で稼いだ高収益
トヨタの業績は好調だ。5月8日に発表された2019年3月期決算では、連結売上高は日本の企業で初の30兆円超えを達成し、営業利益は2兆4,675億円と前期比2.8%の増益。
いわゆる内部留保の一部とされる利益準備金は前期から約2兆5千万円増の約22兆円である。
好調な業績を支えているのは、同社の工場で働く期間工や派遣社員だ。同社が有価証券報告書(2018年3月期)で公表している非正社員数(平均臨時雇用人員)は84,731人である。
多くの低賃金労働力を活用することによって、トヨタのような大企業は高い収益を生み出すことができるのだ。
特に、派遣社員の賃金水準は低く、結婚したり子供を作ったりすることもままならない水準だ。
リーマンショックの影響により仕事と住居を失った大勢の人々が、年末に日比谷公園に集まり生存の保障を求めた「派遣村」から10年が経つが、派遣社員の不安定な状況は現在でも変わっていない。
下請けの中小企業の存在も忘れてはならない。トヨタ式生産方式のもとでは、ジャストインタイム方式による徹底的な無駄の排除とコストの削減が図られ、その範囲は下請け企業にまで及ぶ。
ジャストインタイム方式とは、生産過程において、各工程に必要な部品を、必要な時に必要な量だけ供給することにより無駄な在庫を圧縮することを目的とする生産管理の方式である。
この方式において、前工程と後工程との取引に使われるのが「かんばん」と呼ばれる帳票だ。「かんばん」とは、後工程が「必要な物を、必要な時に、必要な量だけ」前工程から部品を受け取るために作成される生産指示票のことである。
前工程は後工程に「かんばん」とともに部品を納品する。引き取った部品を後工程で使用したら、今度は「かんばん」を発注票として前工程に引き渡す。この循環によって自工程で使った分だけ前工程に作らせる連鎖を組むことで、余計な在庫を抱えることによるコストの増加を抑止するのだ。
経営上は効率的な生産方式といえるが、現場を担う労働者にとっては負担が増加する。日々変動する生産量の柔軟に合わせ、生産量や人員配置を絶えずコントロールしなければならず、長時間かつ不規則な労働に結びつきやすい。
頻繁なローテーションの変更や配置転換にも応じなければならず、その度に新たな生産工程に順応しなければならないし、頻繁に作業内容や環境が変われば労働災害も発生しやすい。
トヨタ式生産方式は、こうした高負荷な過密労働を下請けの中小企業の労働者が担うことによってはじめて成り立つシステムなのだ。
それに加え、トヨタは半年ごとに下請け企業から購入する部品価格の見直しを行っている。時には単価の切り下げを要求されることもあり、下請け企業にとって大きな負担となっている。
このような下請け企業への圧力もあり、中小企業の社員と大企業の社員の賃金水準には大きな開きがある。産業別交渉や産業別労働協約により同一労働同一賃金のルールが成立している欧米ではこのような格差は容認されない。
以上のように、トヨタをはじめとする大企業の利益は、非正規雇用と下請け社員の低賃金・過重労働によって成り立っているといっても過言ではない。
同様に、「終身雇用」の慣行もまた、企業規模間格差構造や非正規労働者への差別の上に成り立ってきたし、そもそもその恩恵を受けてきたのは労働者のうちのごく一部であった。
「終身雇用」を停止するとはどういうことか
この構造を理解した上で、冒頭に述べた終身雇用の停止の話に戻ろう。
終身雇用を停止することは、企業にとって負担の軽減になると思われがちだが、それだけではない。というのも、終身雇用の慣行は企業側にとっても多大なメリットがあるから定着してきたのだ。そこには、どのようなメリットがあったのだろうか。
第一に、終身雇用の慣行は技能形成システムとして優れているとされてきた。日本型雇用のもとでは、長期雇用が前提とされていることにより、出世競争を作り出し、高いモチベーションを引き出すことができた。
特に、企業独自の生産方式に合わせて技能形成を行うことができた点が重要だ。労働者は、長期雇用を行う会社を信頼し、自社に貢献するための技能を積極的に身につけた。技術革新により生産工程を変容する必要が生じた場合にも、自社の新しい生産方式に合わせて柔軟にOJTを行い、配置転換によって企業内で人材を調達し、スムーズに対応することができた。
要するに、技能労働者や技術者を「囲い込む」ために、終身雇用や年功賃金は整備されてきたのだ。このような「囲い込み」により個別企業の特殊性に応じて長期的に育成された技能が企業の競争力の源泉となってきたのだ。
欧米ではこのようにはならない。誰がどのような仕事に就くのかは採用される時点で決まっている。採用された仕事の枠組みを超えて配置転換や再訓練を行うことは基本的にはできない。また、技術革新による生産工程の改革には労働組合が激しく抵抗する。
終身雇用への期待が崩れれば、日本でも「囲い込み」ができなくなり、競争力の源泉は失われる。自社のために献身的に努力しても意味がなくなり、労働者はその企業でしか役に立たない技能の習得を避けようとするだろう。
さらに危険なのは、高度な専門性を持つ技術者がますます高収入の外資系企業に流出してしまうという事態だ。単年度で見れば、日本のトップ企業も、もはや成果主義の海外企業より賃金が低い。
終身雇用と年功賃金、退職金などの「安定」があるからこそ、優秀な技術者たちが日本企業にとどまり続けてきた。実際に、大リストラが行われた企業では、多くの人材が海外に流出し、技術も拡散してしまっている。
企業にとって、終身雇用の第二のメリットは、終身雇用を保障することで可能となった「無限の指揮命令権」だ。長期雇用する代わりに使用者が広範な命令権限を持つというのが、日本型雇用システムの大きな特徴である。
裁判所は、労働者への雇用保障と引き換えに、企業に強大な「人事権」があることを認めている。この人事権に基づき、企業は、残業や全国への配置転換など、契約書に書かれていないことでも広範に命令できる。
景気動向などの経済環境の変化により事業を縮小せざるを得ない場合でも、社員をリストラすることなく、全国移動を含む配置転換によって雇用を保障する。その代わりに「無限の指揮命令権」を認める。このような社会的な合意が成立していたのだ。
長期雇用が保障されていることで、労働者もこの強大な指揮命令権を受容し、献身的に企業のために尽くす従順な労働力となった。彼らを経営者の思うままにできることが企業の競争力の源となったわけだ。
会社の仕事に没入する人間がたくさん生み出され、単身赴任や長時間残業によって家族関係に不和が生じることも多かった。今日でも「過労死Karoshi」は日本発の世界語になっているほどだ。
終身雇用をやめて、社員を「いつでも解雇できる」という契約に切り替えるならば、こうした社会的合意は成立しなくなる。企業の指揮命令権はこれまでのようには認められなくなるだろう。自由な解雇と献身的な貢献の「いいとこ取り」はできないのである。
「日本型雇用」から「ジョブ型雇用」へ移行する意義と論点
ところが、近年問題になっている「ブラック企業」では、この「いいとこ取り」が実現している。下図を見てほしい。
右上にある「従来の正社員」は、上に述べたとおり、高処遇と雇用保障と引き換えに、広範な指揮命令を受け入れてきた。一方で、この枠から漏れた「非正規雇用」の人々は低処遇かつ不安定雇用である反面、業務の範囲は限定的であった。
これに対し、ブラック企業では、強大な指揮命令と過酷な労働を課せられるにもかかわらず、その処遇は低く、「使い潰し」によって雇用も保障されない。日本型雇用の「負の部分」だけが残り、見返りが全くないのがブラック企業なのだ。
なぜこのようなことが可能になるのだろうか。
第一に、日本型雇用への「期待」である。「正社員であれば安心」、「きつくても、頑張っていればいつか報われる」という幻想があることによって、なんとか正社員の座を失わないよう過酷な労働を受容するのだ。
第二に、より本質的な問題であるが、日本の労働社会においては「どこまで働けばよいのか」が明確でないため、どこまでも過酷な労働を課すことができてしまう点だ。
この点は欧米の雇用システムと比較すると分かりやすい。欧米では、「どの仕事をしたからいくら払う」というように、職務を通じて、企業を超えた共通規則が形成されている。
「私はこの仕事をします」「これ以上の仕事はしません」「このやり方で仕事をします」といった具合に、あらかじめ仕事の内容や範囲、やり方を明確にすることで、企業の指揮命令権に限定をかけているのだ。
これに対し、日本では、このような基準や限界が存在しないために、どんな命令も受け入れるしかない。ブラック企業による「使い潰し」が可能になってしまう。
第三に、仕事の内容や範囲が明確になっていないため、実態とは異なる好条件を装い、労働者を募集することができてしまう。いわゆる「求人詐欺」だ。就職する前に、求人情報を見て、ブラック企業かどうかを見分けることは困難だ。
このような理由から、以前は終身雇用・年功賃金の見返りとして認められたはずの強大な人事権が「ひとり歩き」しているのである。
こうしたなかで、ブラック企業による「使い潰し」をなくすためには、仕事や命令の範囲を明確にしていくことが重要となる。
上述したとおり、欧米では、職務を通じた企業横断的な共通規則が形成されている。職務や労働時間、勤務場所を限定される雇用を「ジョブ型雇用」というが、全世界を見渡しても、労働市場の競争を規制し、共通の規則を作るときには、職務を通じてルールを作る方法しかない。
「ジョブ型雇用」への移行によって、どの仕事をどのくらいの時間働けば、いくらの賃金になるかという明確な仕組みを構築していくことが重要なのだ。
問題なのは、「ジョブ型雇用」への移行によって企業の「無限の指揮命令権」に限定をかけていくためには、「無限の指揮命令権」とセットになってきた終身雇用を解体する必要があるのかどうか、である。
実は、最近の政府・財界の議論はここに焦点が当たっており、今後の雇用改革の重要な争点になるものと思われるのだ。
どうすれば日本型雇用を「改革」できるのか?
政府では、終身雇用を解体し、「ジョブ型雇用」に転換するという議論が活発になってきている。4月10日に行われた経済財政諮問会議においても「ジョブ型雇用時代の人的資本投資に向けて」が議題となっていた。
また、経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)も、5月7日の定例会見で、終身雇用について「制度疲労を起こしている。終身雇用を前提にすることが限界になっている」と発言している。
もはや「ジョブ型雇用」への転換は政財界において既定路線となっているといってもよいだろう。その中で、「解雇規制緩和=ジョブ型雇用」という等式で、財界は問題を提起している。
では、本当に解雇規制緩和をすれば、「ジョブ型雇用」への移行が実現できるのだろうか。
重要なのは、解雇規制の緩和によって「自然と」雇用システムの改革が進むわけではないということである。実は、解雇を自由化すればブラック企業がなくなるという考えは、そもそも誤りなのである。
ここで注意が必要なのは、日本国内の議論において「ジョブ型」という言葉が歪められた意味で使用されることが多い点である。本来、ジョブ型雇用とは「仕事に基づく賃金」が支払われる雇用のことを意味する。決して「解雇が自由になる」という意味ではない。
仮に解雇を自由にしても、相変わらず賃金の基準は存在しないままになるだろうし、騙す企業がなくなるわけではない。実際に、終身雇用が成立していない非正規雇用の世界では、「ジョブ型賃金」が形成されているだろうか?
非正規の現状を見れば規制緩和を進めても、ただ、最低賃金に近い労働市場が形成されていくだけだということが、容易に想像できる。彼らは「いつ解雇されるかわからない」という労働条件の中で、安い賃金を押しつけられている。
解雇規制だけ緩和されれば、労働者側の立場はますます弱くなり、「ジョブ型」への移行どころか、これまで以上に「どんな命令にも」従わなければならなくなってしまうだろう。
このように、解雇規制を緩和しても、新しい「ルール」が形成されるわけではないのだ。
解雇規制の緩和がジョブ型を必然化するというのは、歴史的にみても間違いである。例えばアメリカのジョブ型の労務管理は、明確に解雇規制とセットで形成されてきた。
やや難しくなるが、ここでいう規制とは、「仕事があるうちは解雇ができず、解雇が避けられない場合にも、会社は解雇される労働者を指名はできない」という規制である。
この規制の場合、確かに配置転換の義務まで求める日本型雇用ほどの規制力はないかもしれないが、決して解雇がしやすいというものではない。
仮に、日本の労務管理が真にジョブ型へ移行していけば、裁判所もその「実態」を考慮して、解雇の基準を見直していくことだろう。その場合、進むのは「規制緩和」ではなく、「規制の組み替え」である。
一部の特権的正社員が終身雇用、年功賃金を受け取り、その分非正規雇用を「調節弁」として使う仕組みから、平等な仕事に基づく規制が作られ、それに合わせた新しい解雇規制の手続きを作り出す。その起点が、「仕事の基準を作る」ところにある。
要するに、「ジョブ型への移行」を実現するためには、解雇規制の緩和ではなくて、仕事の基準を作り出すための議論が必要なのであって、問題をすり替えてはならないということである。
「ジョブ型」をどうやって目指すのか
最後に、ジョブ型社会への移行には、企業を超えた職種や産業別の労働運動が不可欠だという点を指摘しておきたい。
すでに述べたように、終身雇用を壊してもジョブ型にはならない。同様に、「年功賃金」を壊しても、自然とジョブ型になることはない。
ただこれまでの制度を壊しても、現在の非正規雇用のように、とんでもなく低い賃金になったのでは意味がないだろう。
海外のジョブ型雇用は、企業を超える労働組合の要求によって、仕事の基準を作り出していくことで形成された。
日本でも、ジョブ型社会への移行を目指すのならば、労働運動によって、職種や産業ごとの賃金水準を求める機運が高まることが、不可欠である。
例えば、最近では介護や保育の労働問題がクローズアップされており、労働組合の結成も増えている。これらの業種では業界の共通性があり、「ジョブ型賃金」のイメージがつきやすい。
最低限の労働条件が確保されなければ、老人や子どもの「安全」を守ることができない。だから、ジョブ型の規制の要求は、非常に理にかなっている。業界横断的にストライキが行われるようになってきたのにも、そうした文脈がある。
日本でも、決してジョブ型社会に移行することは不可能ではない。ただし、それは歴史的・理論的知見に基づくならば、決して規制緩和によってではなく、業種・産業を横断する労働運動によってである。
はじめはそれぞれの職場のたった一つの「労働事件」が起点になるかもしれないが、一人一人の労働者が違法状態や職場の問題を改善するために争い始めれば、その流れがジョブ型社会へとつながっているのである。
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