東京五輪まで1年半 スポーツクライミング選手を支える自治体の挑戦
2020年7月25日に開幕する東京五輪まで、ちょうど1年半となった。
今回初めて空手、サーフィン、スケートボードとともに、五輪の実施種目になったのがスポーツクライミングだ。高さ5mほどの壁に作られた課題を登った数で競う「ボルダリング」、高度を競う「リード」、ホールドが配置されたコースを登る速さを競う「スピード」の3種類の複合種目で争われる。
近年のクライミング人気で、愛好家は国内60万人、全世界で2,000万人とも言われるまでに急成長を遂げている。初の実施種目になった東京五輪で出場できるのは、世界でも男性20人、女性20人と狭き門だ。各国の出場枠は男女それぞれ最大2名。今夏から始まる出場枠をかけた争いのなかで、日本代表選手は最大数の出場枠確保を目指している。
世界大会で好成績を収め金メダル獲得も期待されている日本選手を、地方自治体が大きく支えていることはあまり知られていない。『JOC認定競技別強化センター』になった鳥取県倉吉市、岩手県盛岡市、愛媛県西条市の3自治体を取材した。なぜスポーツクライミングをバックアップするのか? 東京五輪とその先の未来に向けて描くものとはーーーーーー。
莫大な予算をかけたハード整備の背景
昨年『スポーツクライミングアジア選手権倉吉2018(以後アジア選手権2018)』が開催された鳥取県倉吉市は、他県に先駆けてスポーツクライミングの施設整備を進めてきた。その象徴が『倉吉体育文化会館』だ。倉吉駅から徒歩10分という好立地で、スポーツクライミング3種目の人工壁がすべて揃っている。計1億3,200万円という大きな予算を使って2016年から建設を開始し、2018年3月にスポーツクライミングで初めての『JOC認定競技別強化センター』としてオープンした。
国内には1カ所で3種目の人工壁が揃う施設は限られている。JOCの“お墨付”もあり、東京五輪の代表合宿や大会の誘致もしやすい。
スポーツクライミングが東京五輪の実施種目に承認されたのは、2016年8月。それよりも1年前の2015年にリード壁建設の予算が通った経緯を、鳥取県地域振興部スポーツ振興監の太田裕司さんは、「素地があった」と説明する。
「予算は県民を納得させるだけの理由がないと通るのは難しいものです。スポーツクライミングの場合、国体での好成績が影響しています。鳥取県が国体で得点を稼ぐ競技は、相撲、ボート、カヌーなど。そしてスポーツクライミングもそのひとつ。このため『県内の競技力向上』という理由に説得力が生まれ、リード壁建設に進めたと思います」
当時、鳥取中央育英高校で教鞭をとり、スポーツクライミングユース日本代表コーチでもあった安井博志氏(現・日本代表ヘッドコーチ)という指導者や、日本代表選手が県内にいたことなども追い風となった。
アジア選手権で『復旧・復興から福興へ』が具現化
建設に乗り出した背景には、もうひとつ理由がある。鳥取県のクライミングを牽引してきた安井氏は「知事の決断力が大きかった」と振り返る。
鳥取県の平井伸治知事といえば、「スタバはなくても日本一の砂場はある」、「ドンキはなくても呑気に暮らせる」などのダジャレで鳥取県のPRをすることで有名だが、建設を決断できた理由を訊ねると、平井知事は穏やかな口調で語り始めた。
「中部地震で被災したことです」
2016年10月21日、倉吉市をM6.6の鳥取中部地震が直撃。倉吉体育文化会館も被災し、修繕を余儀なくされて一時期は閉鎖された。
「倉吉市民や鳥取県民の『もう一度立ち上がろう!』というシンボルとして、壁に挑戦するクライミング競技を支えていこうと呼びかけ、県民や県議会のみなさまにご賛同をいただきました。1億円近くの費用はかかりましたが、クライミングを通じて大変な被災をした地域に元気を取り戻し、未来に向かって挑戦していく道筋をつくりたい思いがありました」
その一歩目として昨夏に日本代表合宿が行われ、11月にはアジア選手権2018も開催。子どもから老人までが、初めて目にする競技を食い入るように見つめた。この光景こそが単に元に戻すだけの復興ではなく、幸福をおこす「福興」を県民に呼びかけた平井知事の言葉が、具現化した瞬間だった。
さらに鳥取県出身の高田知尭が活躍し、ローカルのテレビや新聞が連日取り上げたことで、施設ならびにスポーツクライミング自体の認知度が県内でも高まったことは、大きな収穫となった。
スポーツクライミングの競技人口増加を目指して
倉吉市は、今夏の世界選手権や東京五輪の事前合宿地として各国代表に使用してもらえることを期待している。ただし、それだけに固執していないと太田さんは言う。
「事前合宿を招致できれば、子どもたちがトップ選手を間近に見られて、クライミングに興味を持ってもらう絶好の機会になります。それに加えて、今後は地元の経済界を取り込みながら発展させたいと考えています。東京五輪後も多くの人に親しんでもらえるようにし、倉吉と聞けばスポーツクライミングと即答してもらえる土地柄に育てていきたいと思っています」
国体開催で整備した施設の有効活用の一環から
鳥取県倉吉市と同様に、JOC認定競技別強化センターとなっている岩手県盛岡市の『岩手県営運動公園登はん競技場』、愛媛県西条市の『石鎚クライミングパークSAIJO』は、ともに国体の地元開催が施設整備のキッカケとなった。
岩手県盛岡市のケースから見てみよう。元からあったリード壁を整備して、2016年の岩手国体の会場にした岩手県営運動公園は、その翌年に『ボルダリング・ジャパンカップ2017』で地元出身の伊藤ふたば(当時中学2年)が優勝という追い風も吹いて、約1億円でスピード壁を建設した。盛岡広域8市町村による、岩手国体の遺産を未来に活かしてオリンピアンを輩出するための支援プロジェクトと方針が合致したことも後押しとなった。
昨年6月には、3種目複合による競技大会『コンバインド・ジャパンカップ』を開催。伊藤ふたばが予選から好成績を残したこともあって、2日間で約2,000人の観客が詰めかけたが、盛岡市市民部スポーツ推進課スポーツツーリズム推進室の室長・坂本淳さんは、「運営面の経験不足と準備時間の不足がありました」と、さらなる成功へ課題面に目を向けている。
「昨年のコンバインド・ジャパンカップでは倉吉のアジア選手権2018で好評だった『おもてなし出店』などを行いたかったのですが、準備期間の短さもあって満足いくものはできませんでした。盛岡で開催する2020年のアジア選手権は来場される方が競技以外も楽しめるものにしたいので、倉吉を参考にしながら準備を進めたいです」
箱をつくっただけでは認知度も知名度も高まらない
一方の愛媛県西条市は2017年の愛媛国体に向けて、総事業費約1億9千万円を投じてリード競技場とボルダリング競技場を整備して石鎚クライミングパークSAIJOを開設。そして、昨年10月には国体後に1億円をかけた国際規格のスピード競技場が完成し、W杯アメリカ代表の白石阿島らを招いたオープニングイベントや、日本代表とオーストリア代表の合同合宿も実施された。
世界選手権の金メダリストを輩出する強豪国・オーストリア代表を招くことができたのは、西条市が東京五輪での事前合宿を視野に入れて誘致活動し、昨年4月に西条市がオーストリア共和国のホストタウンに登録されたことが大きい。
こうした西条市の取り組みの背景には、国体終了後の施設の有効活用という狙いがある。国体終了後に限られたクライマーが利用するだけでは、せっかくの施設も不採算施設になるため、西条市では玉井敏久市長が陣頭指揮を執って活動してきた。ホストタウン認定や事前合宿地の誘致活動、国際大会の開催誘致を通じて、県内における施設の認知度向上やクライミング人口の増加を目指している。ただし、課題もある。保健福祉部スポーツ健康課の櫛部一洋さんは、「大会を開催した経験が圧倒的に不足している」と語る。
「2017年に国体を開催した経験もありますし、競技運営は日本山岳・スポーツクライミング協会が主導してくれますが、それだけで大会が開けるわけではありません。宿泊施設や交通手段などの面でも課題はあります。ただ、それらを乗り越えてでも大会開催への意欲の高い人が、県山岳連盟にも、西条市にも多くいます。まずは国内大会を誘致しながら経験を積み、やがては国際大会を開催できる下地を作っていきたいですね」
倉吉市のケースをみても明らかだが、県内における施設の認知度を高めるには大会開催は重要なもの。それがクライミング人口の増加への第一歩となり、施設の活況へ繋がっていく。2018年にオープンした倉吉市、盛岡市、西条市の3施設のなかで、大会開催のなかった西条市だが、大会開催への関係者の熱意が実り、今年のコンバインド・ジャパンカップ開催が決定。大会成功へ意欲を燃やしている。
発展途上の競技を盛り上げていくための課題とは
政府は経済政策の柱の1つに「観光」を掲げていて、スポーツツーリズムに注力している。当然ながら、スポーツクライミングの施設整備を進めた地方自治体も、スポーツを『観る』、『する』、『支える』を根幹にし、それを周辺観光などに繋げたい思惑がある。
しかし、現状ではスポーツクライミングの場合、日本代表を含めた各国の選手たちがシーズンオフのトレーニングに訪れるのは、オーストリア・インスブルックにある『クライミングセンター』だ。2017年の世界ユース選手権や昨年の世界選手権などでも使用された世界最高の施設と比べると、3種目の人工壁を揃えただけでは、インバウンド(訪日外国人旅行・訪日旅行)どころか、国内旅行に繋げることも容易ではない。そうした課題を認識した上で、岩手県文化スポーツ部スポーツ振興課の粒来幸次さんは次のように語る。
「施設面の足りない部分は把握しています。ただ、お金がかかることですので、簡単に手をつけられるものでもありません。施設の充実を図るためにも大会開催の成功例を増やしたり、地元選手の強化で実績を重ねたりしながら、課題をひとつずつ解消していきたいと考えております」
今回の取材をするまで、地方自治体がスポーツクライミングを後押しするのは、東京五輪を契機にして地域振興などに繋げたい思いだけだと勝手に想像していた。だが、実際に各自治体の担当者たちからは、そうした思い以上に純粋に競技を広めたい熱量が伝わってきた。最後はアジア選手権2018の会期中、運営スタッフとして朝から晩まで靴をすり減らした鳥取県スポーツ課の金田健志さんの言葉で締めよう。
「東京五輪が転機になって注目されている競技ですが、足りない部分に目をやれば、課題はたくさん見つかります。でも、多くの人が大会を観に来てくれる潜在力があることも倉吉のアジア選手権で証明できたと思います。施設を作れば終わりではないですし、本当のスタートはここからです。都市部で人気のスポーツですが、東京五輪以降も発展していくように地方から都市部を刺激しながらスポーツクライミングを盛り上げていきますよ!」
※クレジット表記のない写真はすべて撮影:津金壱郎
※文中の選手名はすべて敬称略
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