【「麒麟がくる」コラム】NHK大河ドラマではほぼスルーだった「天正」改元の真相とは
■ほぼスルーだった「天正」改元の話
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第37回「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」は急展開で、織田信長が深くかかわった「天正」改元の話はほぼスルーだった。
今回は、ドラマでほぼスルーされた「天正」改元の話を取り上げることにしよう。
■改元の提案
元亀4年(1573)2・3月を境にして、織田信長と足利義昭との関係は急速に悪化し、ついには断交に至った。やがて、両者は交戦におよび、信長が勝利した。
そして、天正元年(1573)7月21日、突如として信長は朝廷に対し、元亀から新しい年号に改元するという提案を行った(『御湯殿上日記』)。義昭を追放した直後のことなので、信長は自らが将軍の代わりになったという自負があったに違いない。
信長の提案を受けた朝廷は、すぐに改元へ向けて作業をはじめた。同年7月29日、朝廷は信長に改元の要望を申し出た。その理由は将軍・義昭の姿は京都から追放されたため、信長を頼らざるを得なかったからと推測される。
■「天正」という年号
朝廷が信長に改元を依頼したことは、極めて異例のことだったといえるだろう。改元の際は驚くべきことに、信長が「天正」という年号を要望したことが知られている(『壬生家四巻之日記』)。
通常、新たに年号を選定する際には、学識ある年号勘者が過去の年号を調査し(中国、朝鮮などの外国も含め)、中国の古典などから年号を考えて案を作成する。
その後、年号勘者が提出した複数の新年号の候補を検討し、天皇が最終的に決める。元亀からの改元のケースでも、「天正」以外に複数の新年号の候補があった。
改元が急な信長からの申し出であったことと、十分に年号勘者が確保できなかった事情もあったが、「安永」「天正」が最終候補として残った(『改元部類』)。
■「天正」の意味
天正には、どのような意味があったのか。『改元勘文部類』によると、「清静なるは天下の正と為る」という意があると書かれている(出典は『老子』)。
新年号候補の「天正」は、まさしく信長の意向に沿うものだった。「天正」の意味を知った信長は、これ以外には考えられなかったのかもしれない。
■信長の意図
突然、信長が改元を朝廷に申し出たのは、何か意図があったのだろうか。義昭が京都から追放されて以降、信長には武家側のトップに立ち、朝廷を支えて天下静謐に導くという意識が生じたと考えられる。
かつて信長は義昭に改元を速やかに行う要求したこともあったのだから、改元を急いだのは当然だったといえる。新年号について記した綸旨には、「天下静謐安穏」と記されている(『東山御文庫記録』)。
また、新年号「天正」の意味は、先述のとおり「清静なるは天下の正と為る」ことで、信長が目指した「天下静謐」と見事に合致した。
■信長の強い決意
信長が新年号に希望を述べたのは極めて異例だったが、それは天皇の職権を侵すという性質のものではなかった。「天正」が持つ「天下静謐」という意味は、信長も正親町天皇も同じ思いだったからである。
信長は改元を行った時点で、武家のトップとして天皇を推戴する決意を強く固めたといえよう。しかし、それは征夷大将軍になって、幕府を開くことを決して意味しなかった。
こうして信長は、室町幕府に代わって、朝廷を庇護することになったのである。