『おいしい給食 season2』 市原隼人の怪演がクセになる味わい
鯨の竜田揚げ、ソフト麺、ミルメーク……私たち日本人の記憶に深く刻み込まれている「給食」。お昼の給食を心待ちにしている学生、かつて給食を楽しみにしていた社会人もきっと多いことだろう。そんな人たちに今、猛烈にオススメしたいドラマが『おいしい給食 season2』(テレビ神奈川、TOKYO MX、BS12 トゥエルビなどにて放送)である。
舞台は1984年(season1)。常節(とこぶし)中学校の教師・甘利田幸男(市原隼人)は給食を愛するあまり、給食に命をかける“給食至上主義者”。彼の行動はエキセントリックで時に行きすぎているように見えるが、給食を愛する気持ちは誰にも負けないアツい男だった。
しかし、そんな彼の前に一人の生徒・神野ゴウ(佐藤大志)が立ちふさがる。彼は鯨の竜田揚げをコッペパンに挟んだり、ソフト麺を一口大に小分けしおかずを乗せたりするなど、甘利田の給食愛をはるかに上回る創意工夫で給食を自由自在に味わい、毎回、甘利田はズタボロに打ちのめされる。
昨年公開された、season2への布石となる劇場版『おいしい給食 Final Battle』では、そんな学校給食をめぐって大事件が発生。甘利田が常節中をどうして去ることになったのか、神野との世代を超えた友情とも言える絆が描かれており、こちらも必見の内容となっている。
そして2年の歳月が経過した今回のseason2。赴任先の黍名子(きびなご)中学校でおとなしく過ごしていた甘利田の前になんと背丈が伸び声変わりも果たしパワーアップした神野が転校生として突然現れ、再び給食をめぐる二人の闘いが繰り広げられていく。
■ドラマ好き&80’s世代のツボを刺激する演出の数々
甘利田とゴウの給食バトルは、さながら往年の名ドラマである草彅剛主演の『フードファイト』を彷彿させる緊張感と高揚感。しかしながら本作は決して大食いものではなく、テーマを「80年代の給食」に限定することで視聴者の意識を作品世界に没入させることに奏功。season2ではここに「駄菓子」が加わり、さらにノスタルジーをかき立てる仕上がりとなっている。
キャストも、学年主任に『本気のしるし』『ライオンのおやつ』などで確かな演技を見せた土村芳、校長に酒井敏也と実力派がサイドを固めると共に、学園ドラマのレガシー『3年B組金八先生』パート2で“腐ったミカン”こと加藤優を演じた直江喜一が教育委員会の職員・鏑木として出演。
昭和の世に生徒として学校に反旗を翻した彼が、令和の世に権力側の人間を演じているのは複雑な心境だが、最終回までにぜひ彼にミカンを手にとって欲しいと願っているのは私だけではないはずだ。また、同じく80年代に『高校聖夫婦』『不良少女と呼ばれて』などの大映ドラマで活躍した、いとうまい子も給食係としてお茶目な存在感を放っている。
ほかにも給食時に校内放送で流れるポール・モーリア風の軽音楽、食事シーンを盛り上げるザ・ブルーハーツ風のBGMもドラマの調味料としてしっかり機能。80年代に青春を過ごした世代にはたまらない演出だ。
しかしなにより、市原演じる甘利田の動きがいちいちツボにハマる強烈な面白さ。食事前にクラスで歌う校歌に合わせ、座ったまま気持ち悪く…いや、キレ味バツグンに小躍りしたり、生徒を背骨が折れるかと思うほどエビぞって凝視したり、横山やすしばりにメガネがズレるほど派手にずっこけたりと、その行動はオーバーアクションを通り越し、もはや奇行寸前(=ほぼ奇行)。
だが、そんな甘利田がたまらなく愛おしく思えるのは、彼を全身全霊で演じ抜いている市原の真摯さのおかげに他ならない。その体を張った懸命さに、次第に市原がキートンやチャップリンにすら見えてくる。
■真摯な演技で作品世界を成立させる俳優・市原隼人
市原隼人と言えば、忘れられない作品がある。井沢満脚本の『明日の君がもっと好き』(2018年)だ。
市原演じる造園デザイナー・松尾亮と30代の秘書・里川茜(伊藤歩)らの不思議な出会いと恋愛を描いた本作。最終回、茜の乗ったエレベーターを階段で追いかけ、まるで大喜利芸人のようにスケッチブックに「明日の君がもっと好きになる」「命をかけて守る」と書いて茜に必死に食らいつく市原の姿が今も脳裏に焼きついて離れない。
『同窓会』『外科医有森冴子』などで知られるダイナミックかつ繊細な井沢ワールド全開で、一歩間違えると破綻してしまいかねない世界観の中、ギリギリのところで「それもありかも」と思わせる妙な説得力が市原の演技にはあった。
本作でも、主役が恥ずかしがったり中途半端な演技をしていたら、すべてが台無しになってしまうことは間違いない。市原は甘利田幸男という役を精魂込めて真剣に演じ、突拍子のない役にとてつもない人間味を宿らせることで『おいしい給食』という作品を見事に成立させているのだ。
■「給食」を通じて問いかける「自由」の意味と尊さ
たとえいくら時代が変わろうとも、たとえ年齢を重ねようとも、好きなモノを好きだと思う気持ちはいつまでも大切にしたい。
給食に限らず、ともすれば味気なくなりがちな毎日のルーティンを、少しでも楽しいものにしようとするささやかな工夫や旺盛な想像力を止める権利など、誰にもないはずだ。
本作の舞台となっている80年代から40年近く経った今、さまざまなモノはスマートになり、学校や社会の仕組みは洗練され、生活は便利になった。しかし、はたして私たちは「自由」と言えるだろうか? 人の目ばかり気にし、知らず知らずのうちに自分を抑え、型にハマりすぎて、生きることが息苦しくなっていないだろうか?
このドラマは「給食」をこよなく愛する二人の人間を通じ、「自由」とは何か、「生きる」とは何か、そんなことを問いかけてくる作品なのである。