BCリーグの「みにくいアヒルの子」、オセアン滋賀ブラックスが巣立つとき
12日に球団創設以来初の地区優勝を飾り、ポストシーズン進出を決めたルートインBCリーグの滋賀ブラックスが、昨日13日に本拠地最終戦を迎えた。消化試合ではあったが、チームの凱旋をひと目見ようと、守山市民球場には平日の昼間にもかかわらず、熱心なファンがスタンドに足を運んでいた。
創設以来の低迷からいきなりの優勝
昨シーズン、7勝47敗4分という記録的な成績でBCリーグ西地区最下位に終わったオセアン滋賀ブラックス。2015年の球団創設以来、最下位がほとんど定位置となっていた球団が、今シーズン突如として地区優勝を成し遂げた。
2017年に「滋賀ユナイテッド・ベースボールクラブ」として参戦したが、昨年まで最下位が定位置と言ってよく、観客動員も毎年のようにリーグ最下位を記録した。2019年には現オーナー企業のオセアンがネーミングライツ・スポンサーにつき、そのシーズン途中には経営に行き詰まった前オーナーよりオセアングループが運営会社を買い取るかたちで本格的に球団経営に乗り出した。そして2020年には球団名も「オセアン滋賀ブラックス」と改め新たなスタートを切った。しかし、長年染み付いた負け癖はなかなか抜けなかった。待遇や練習環境の悪さからチームを出ていく選手は絶えることはなく、意識の低い選手とプロ野球(NPB)で現役時代名を馳せた指導者との距離は遠のくばかり。1割3分という記録的な勝率を記録した昨シーズンのチームの雰囲気は最悪だったとリーグを知る誰もが口を揃える事態となった。
「もともと創業者とは繋がりがあったんですが、我々がお仕事させていただいていた横浜スタジアムを本拠にするベイスターズに滋賀ユナイテッドから山本祐大君が入団(2017年ドラフト9位)したのがきっかけですね。創業者が山本君を見たいと言うのでチケットを手配して招待したんですけど、そこからスポンサーの話になって、最初は数十万円の小口で参加させていただいたんです。そのうち、資金繰りが苦しいからネーミングライツを考えていると相談を受けまして、それならと我々が1000万円出して名乗りを挙げたんです。そのうち球団に経理上の問題が出てきて、他のスポンサーさんが離れていく状況になった時点で、我々もネーミングライツ・スポンサーである以上、放って置くわけにもいかなくなって、直接携わることになりました」
と言うのは、現球団代表取締役の黒田翔一。甲子園を目指した高校球児だった建設を本業とするオセアングループの総帥は、今シーズンを前に自ら球団経営に乗り出すことを決意。本業の代表職を兼任したまま球団代表に就任し、生活の拠点も滋賀に移し、チーム強化に本腰を入れた。
勝つ集団にチームを変えるため、まず行ったのは「血の入れ替え」であった。黒田は「大ナタを振るったということはない」と言うが、昨年まで在籍していた選手で今シーズンの開幕を迎えたのはたった3人。メンバーのほとんどが弱く惨めなブラックスを知らない世代となった。さらにそれまでの関係の蓄積とゼネコンという親会社の「顔」を生かして日々のグラウンドの確保など球団発足当初の課題だった練習環境の整備を行った。
そのチームを任されたのは、柳川洋平。元ソフトバンクの投手だが、現役時代の一軍登板が8試合とあっては、その名を知る人も少ないだろう。自身、独立リーグ(BCリーグ福井ミラクルエレファンツ)からNPB入りを果たした柳川は引退後、高校の先輩である黒田を頼り、サラリーマンをしながらオセアン傘下のヤングリーグチームで中学生を指導した経験をもつ。
それまで滋賀球団は、独立リーグ界の慣例に倣い、NPBの第一線で活躍した経験のある「大物」を監督に迎え入れていた。学卒後、ドラフトにかからなかった選手の指導には、そういう「大物」よりむしろアマチュアの指導経験のある者の方がいいのではないかという黒田の目論見は見事に当たった。新体制発足に当たって、環境の整備に関しては前体制より費用をかけたが、人件費に関しては変わっていないという。その中で地区優勝を果たしたのは、ひとえに柳川の育成力に帰するところが大きいだろう。4月10日の開幕を迎えるにあたって柳川は、経営陣にこう宣言した。
「(地区4チーム中)2位以内には絶対入ります」
その言葉通り、シーズン中盤に少々息切れし、富山GRNサンダーバーズに首位を奪われたものの、ラストスパートをかけ、最後は富山を突き放しゴールテープを切った。チームを支えたダブルエース、菅原誠也と吉村大祐の勝ち星は、昨シーズンのチームの勝利数をはるかに上回る12(9月13日現在)だった。
苦節5年、優勝をかみしめるファンたち
そんなブラックスを見守り続けていたのが、BCリーグファンの間でも名を知られた熱心な応援団だ。球団創設以来チームを応援し続けている応援団員に話を聞くと、ホーム、ビジター問わずシーズンの半分ほどの試合を観戦しているという。ひいき選手の名をプリントした横断幕や応援歌を流すスピーカーなどが入った大きな荷物を抱えてブラックスを追いかけて本州各地に足を運び、年間50万円ほどつぎ込むというその熱心さからは強烈な「滋賀愛」が伝わってくる。これまでの低迷にも、「ブラックスの応援で他チームのファンの方々とも繋がりができる」とそれを気に病むことはなかったが、チームの躍進が嬉しくないはずがない。「仕事があるんで休日の応援中心」と言うが、この日の凱旋試合には都合をつけて、守山まで足を運んだ。
この日、守山市民球場に足を運んだファンの数は163人。決して多くはないが、平日のデーゲームということを考えれば、上々の入りだ。ホーム最終戦の凱旋試合ということもあり、いつになく当日券が売れたという。さらに言えばこの日は、地元テレビ局も取材に訪れていた。
「1000人動員が夢なんです」とは応援団員の言葉。まだまだ遠い数字だが、今後のチームの躍進次第では、その悲願にも近づくことができるだろう。
凱旋試合を勝利で飾った「黒き志士たち」
凱旋試合の先発マウンドは、この試合までリーグ2位の11勝を挙げているエース菅原。この試合に勝利すれば、チーム内のライバル、吉村の12勝に並んでリーグトップに並ぶ。タイトルのかかった菅原は初回からエンジン全開。対する福井ワイルドラプターズ、石井京汰も2回を無失点とショートスターターの役割を見事に果たした。昨年地区優勝のワイルドラプターズは、戦力を整えられず、今シーズンはブラックスにやられっぱなし。意地を見せるべく6回まで一進一退の攻防を繰り広げた。
4回に4番阪口竜暉の詰まりながらもその怪力でレフト線フェンス手前に落とすタイムリーツーベースでワイルドラプターズが先制するも、その裏にはブラックスがすかさず追いつく。そこには、序盤に先制され、その後リリーフ陣が試合を壊していく昨シーズンまでの姿はなかった。その後両軍1点ずつを追加した7回に試合は決まった。
2安打と失策でノーアウト満塁したところで代打に立った菅野翔平が起用に応える走者一掃のタイムリースリーベースをレフトに放つと、ベンチとスタンドは一気に盛り上がった。追い打ちをかけるように、この日、リーグ新記録となる48個目の盗塁を記録しタイトルを手中に収めた池田陵太が二者連続のタイムリースリーベース。ブラックスはこの後、さらに1点を追加するが、ワイルドラプターズの監督、福沢卓宏はこの回からマウンドに送り出した工藤雄太を代えることははなかった。「勝ちパターンのリリーフが連投していたので」と試合後その理由を福沢は述べたが、この日はワイルドラプターズの最終戦。多くの者がチームを去る独立リーグの現実を踏まえ、できるだけ多くの選手をフィールドに送り出すべく、投手リレーに関しては、初めから起用順を決めていたと、ある選手が明かしてくれた。
マウンドで福沢に激励された工藤は気を取り直し、この回8人目の打者、小笠原康仁から見逃し三振を奪い2アウト目を取ると交代を告げられた。大卒2年目。大学時代故障でほとんど投げることができなかった右腕は、「ピッチングを極めたい」と独立リーグの門を叩いたのだが、昨年在籍していた群馬ダイヤモンドペガサスをリリースされ、ワイルドラプターズに加入した。この日のピッチングであきらめがついたのか、伸びしろを感じたのか、必ず直面する選択が最終戦の後、彼ら独立リーガーに突きつけられる。
勝利を確実にしたブラックスは8回で菅原を下げ、9回はリリーフを送った。ワイルドラプターズは2アウトから4番阪口の代打、松浦大知がツーベースを放ち意地を見せたが、ここまで。次の打者はショートゴロに終わり、ブラックスが地元ファンの前で凱旋試合を飾った。
「BCリーグを黒に染める」。ラストシーズンに向けた固い決意
試合後にはセレモニーが行われた。その席で球団代表の黒田からかねてより話題に上っていたBCリーグ西地区球団による新リーグ結成についてのコメントがあった。詳細は述べられず、今シーズンが4球団にとってBCリーグ最後のシーズンとなる旨告げられただけだったが、それに続く今シーズンの感謝を込めたファンに向けての動画メッセージの終わりに「ラストシーズン」に向けた球団の決意が込められていた。
「BCリーグよ、黒く染まれ!!」
アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」は、つらい幼少期を過ぎた後、美しい白鳥となった自分にやがて気付く。一方、BCリーグの「みにくいアヒルの子」だったブラックスは、BCリーグを自らの色に染め上げ、巣立とうとしている。
(写真は全て筆者撮影)