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中国がペロシ米下院議長の台湾訪問に激怒する理由

野嶋剛ジャーナリスト/作家/大東文化大学教授
(写真:ロイター/アフロ)

世界が注視した台湾到着

ナンシー・ペロシ米下院議長が2日台湾時間22時45分(日本時間21時45分)、台北松山空港に到着した。マレーシア・クアラルンプールを飛び立ってからすぐに北上せず、南シナ海を回避してフィリピン東側を遠回りしながら飛んできたので、通常の最短コースより2時間ぐらい長くかかった。中国を挑発しないようにしたのか、あるいは中国の威嚇を避けるためだったのか。

ランディング前の台北上空でしばらく待機していたようだったのは、万が一を考えて、安全確認に時間をかけたのか。航空機の動きを追跡できるサイトflightradar24を最大70万人が見ている「世紀の着陸ショー」になった。

予想外に本格的な訪問日程

もともと訪問しても短時間になるかと目されていたが、台湾滞在時間が一泊二日になるという本格的な訪問日程になった。当然というべきか、ペロシ訪台は中国の強烈な反発を招き、世界のメディアから「ウクライナの再来か」と注目が集まった。

先週、台湾訪問の可能性を欧米メディアが報じてから、米中首脳会談で習近平国家主席がバイデン大統領に「火遊びすれば身を焦がす」という強い言辞で警告を発した。米政府内にも慎重論が広がり、一度はペロシ議長の訪問リストに台湾が入っていなかったこともあって、台湾訪問が立ち消えたかに思われた。

ペロシ議長は台湾着陸後、そのまま市内のホテルに移動し、3日は蔡英文総統と面会して昼食も共にすると台湾メディアは伝えている。台湾の議会にあたる立法会の訪問、台湾の人権関係施設の訪問などの予定も入り、3日夕方前に台湾を出発する。予想以上に充実した日程となり、中国をさらに刺激するだろう。

ペロシ議長ゆえの反発

今回、ペロシ訪台に中国が神経をとがらしているのには、いくつかの要因が複雑に絡み合っている。一つはペロシ議長という人物のバックグラウンドだ。

ペロシ議長は一議員とはいえ、大統領不在のときに副大統領の次に職務を代替できる立場にある。中国はゆえに「米政府第3の人物」と認定する。米議会の議長は、衆参議長が名誉職的な「上がりポスト」に近い日本と違って、実際に民主党議員団と米議会をリードし、大統領も無視できない力を持つ権力者だ。

中国はリアリズムを重視する国である。そんな重要人物の台湾訪問を気安く認めていては、大国のメンツが立つものではない。

天安門事件でも「騒動」

ペロシ議長は1991年に北京を訪問し、天安門広場で天安門事件の犠牲者への哀悼を示すという騒動を起こしたこともある対中強硬派として知られる。

近年の香港問題では、民主派の若手リーダーだったジョシュア・ウォンらを米議会の公聴会に出席させ、「香港人権民主主義法」の可決にも尽力した。ノーベル平和賞を受賞したチベットの精神的指導者、ダライ・ラマとも交流がある。

米議会のなかのリベラル・人権派であり、中国にとっては「目の中の釘」とも言える天敵である。

愛国世論への配慮

もちろん、中国の反発はペロシ議長の個人的要因だけではない。

何より米中首脳会談での直前の「警告」を無視されたことは、秋の共産党大会で三選を控えた習近平主席にとって、おいそれと放置できることではない。愛国主義化が著しい中国世論もペロシ議長の訪問には強い不満と関心を示している。

中国政府が何らかの形で米台に一定の制裁を加えない限り、不満がブーメランのように中国指導部に向けられることになり、三選に向けた党内説得にも影響を及ぼすだろう。愛国ネット民への配慮は、いまや中国政治の基本動作である。

米中新冷戦の「以台制華」

バイデン大統領は、ペロシ議長訪台に慎重だったと言われてきた。しかし、米中新冷戦といわれる対立構図が続くなか、ここ数年のトランプ前大統領からバイデン現大統領へと続く米政府による「以台制華」(台湾をもって中国を抑えこむ)という戦略を鑑みれば、バイデン政権の姿勢も実際は示し合わせた演技のエクスキューズにしか見えず、中国は米国にさらに強い猜疑心を抱くだろう。

いずれにせよ、ウクライナへのロシアの侵攻が起きてから、やや小康状態だった米中の対立関係に、再び火がつく可能性は否定できない。ペロシ議長は3日に蔡英文総統と会談するとき、2人の女性リーダーが高らかに「民主」や「自由」の価値をうたい、中国の「悪」を示唆する姿は、習近平主席をさらに苛立たせる絵になるに違いない。

これから始まる「報復」

中国外交部の華春瑩報道官は2日、ペロシ議長の訪台について尋ねられ、「台湾海峡の緊張の全責任は米国が負わなくてはならない」と述べ、「米国の政客は誤った行動で先例を作るべきではなく、台湾問題で米国が過ちの上に過ちを重ねてはならない」と、ペロシ議長と米国政府を非難した。

台湾近海での軍事演習が4日から7日までの間に行われるほか、台湾食品会社からの輸入を停止するなど、速いペースで中国の「報復」的な行動が始まっている。軍事紛争につながる物理的な攻撃を加えることは考えにくいが、ペロシ議長訪問をきっかけに台湾海峡が一触即発の緊張に包まれることは当分避けられないだろう。

ジャーナリスト/作家/大東文化大学教授

ジャーナリスト、作家、大東文化大学社会学部教授。1968年生まれ。朝日新聞入社後、政治部、シンガポール支局長、台北支局長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。中国、台湾、香港や東南アジアの問題を中心に、各メディアで活発な執筆、言論活動を行っている。著書に『ふたつの故宮博物院』『台湾とは何か』『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』『香港とは何か』『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団』。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』。最新刊は12月13日発売の『台湾の本音 台湾を”基礎”から理解する』(平凡社新書)』。

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