突如大レースに巻き込まれた、スコット隊の軌跡
20世紀初頭、多くの探検家が極地への到達を目指していました。
その中でスコット隊は南極点到達を目指していたのです。
この記事では南極点を目指したスコット隊の軌跡が南極に上陸するまでについて紹介していきます。
突如大レースに巻き込まれたスコット隊
それはメルボルンの港でのことでした。
スコット大佐(当時42歳)は、何気なく受け取った一通の電報に目を落としました。
その内容はまさに氷のように冷たく、彼の心をざわめかせたのです。
「われ、南極に向かわんとす」——送信者はロアール・アムンセン(同38歳)、あのノルウェーの著名な探検家です。
「彼は北極に向かうはずではなかったのか?」スコットは困惑しました。
電報が本物であれば、彼らが計画していた南極への科学的探査と極点到達の壮大な夢が、突如としてアムンセンとの競争に変わってしまいます。
そしてアムンセンときたら、既に極地探検のエリートとして知られているのです。
アムンセンが北極を目指していたのは事実であり、スコットもそれを知っていました。
しかし、1909年にアメリカのピアリーが北極点に到達し、アムンセンの夢は突然終わりを告げたのです。
彼は深く落胆したことでしょう。
しかし、そこで止まらなかったのがアムンセン。
彼は北極を諦めることなく、「まだ北極圏にはやることがある」と冷静に準備を続けました。
そして、時が来たと判断した彼は静かに進路を南に変えました。
行き先は、南極。
アムンセンが船「フラム号」を南へと向けたのは、実に巧妙でした。
乗組員たちさえその目的を知らず、ただ進むのみだったのです。
南へ、さらに南へと船が進む中、ついにマデイラ島に到着した時、乗組員たちは歓喜の声を上げました。「南極だ!」。
その瞬間、彼らはアムンセンが南極点を目指していることを知ったのです。
一方、スコットは複雑な思いを抱えていました。
かつて、彼は南極点に挑んだものの、犬は全滅し、仲間のシャクルトンは病に倒れ、82度南緯までしか到達できなかったのです。
失敗の記憶がよみがえり、彼の心に影を落とします。
だが、英国人の誇りは消えることがありません。
南極点に最初に立つのは、誰が何と言おうと英国人でなければならないと彼は考えていました。
だが、アムンセンは英国の計画を妨害するために、緻密な戦略を練っていたのです。
彼が目的を隠していたのは、南極探検に対する英国の独占的な権利意識を刺激したくなかったからです。
そして、スコットに知らせず静かに南極に向かうことで、先に到達するチャンスを確保しようとしていたのです。
アムンセンの行動が公に知られると、英国民は激怒しました。
「裏切り者だ!」「だまし討ちだ!」と。
100年経った今でも、アムンセンは英国において「最も不人気なノルウェー人」として記憶されています。
スコットの躓き
それは1911年の初め、南極大陸でのことでした。
スコット隊はロス島のマクマード湾に到着し、彼らの巨大な探検隊はついにその荷を解いたのです。
15名の隊員に馬19頭、犬30匹、そして膨大な物資が次々と運び込まれました。
彼らの目的地は、地球の南の果て、まだ人類が足を踏み入れたことのない地、南極点。
ロス島から南極点までの直線距離は約1392キロであるものの、氷河やクレバスを考慮すると、その旅は往復で3000キロを超える大冒険となります。
スコットらは確信していました。最初に南極点に立つのは、紛れもなく自分たち、英国人であると。
しかし、その裏で別の男が同じく南極点を目指していました。
ロアール・アムンセン、ノルウェーの探検家であり、スコットの競争相手です。
彼は慎重にスコットの縄張りを避け、クジラ湾に拠点を構えることにしたのです。
アムンセンの拠点は海に浮かぶ氷床の上という、不安定な場所であったものの、それでも南極点への距離はスコットの基地より120キロも近く、直線で1271キロだったのです。
この戦略的な近さが、後に彼に大きなアドバンテージをもたらすことになります。
スコットとアムンセン、両者はそれぞれ異なる道を歩んでいました。
スコットは伝統に則り、科学調査を重視し、馬と犬を使って物資を運ぶ作戦を立てたのです。
一方のアムンセンは、極地での経験を活かし、エスキモー犬116匹を率いて、犬ソリによる迅速な移動を目指していました。
南極の厳しい自然を相手にした戦いでは、スピードと効率が鍵を握ります。
アムンセンはそれを熟知しており、スコットとは異なるアプローチで南極点への挑戦を開始したのです。
南極での探検には「デポ作戦」という重要な準備があります。
これは、夏の間に食料や燃料を前線に運び、旅の途中で補給できるようにする計画です。
スコットもこのデポ作戦に挑んだものの、結果は芳しくありませんでした。
彼の隊は馬ソリを使って進んだものの、馬は調教不足で体力も性格もバラバラで、操縦に苦しんだのです。
結果、馬3頭を失い、目標としていた南緯80度にさえ到達できず、やむなく56キロ手前でデポを設置して帰還しました。
この失敗は、スコット隊に不安と焦りをもたらしたのです。
一方、アムンセンのデポ作戦は見事な成功を収めました。
彼の犬ソリ隊は、南緯82度まで進み、合計3トンの物資を運び入れたのです。
彼の手際の良さと経験は、スコットに大きな差をつけました。
アムンセンは北西航路での探検経験を活かし、エスキモー犬の扱いに長けていました。
彼らは過酷な環境で厳しく調教され、人間に絶対服従するように訓練されていたのです。
アムンセンはこの犬たちを信頼し、そのスピードと力を最大限に引き出すことで、南極点への旅を有利に進めていきました。
スコットはこの差を埋めるために、自らのルートの利点に期待していました。
彼が進むルートは、かつてシャクルトンが攻略した道であり、南極点までの約8割がすでに開発されていたのです。
一方のアムンセンは、誰も通ったことのない未知のルートを進まなければなりません。
スコットは、この既知の道が自分たちに有利に働くと信じ、微かな自信を抱いていたのです。
しかし、探検は予想外の出来事で満ちています。
南極の冬が訪れ、両隊はそれぞれの拠点で準備を整えていたのです。
スコット隊は科学調査を行い、アムンセン隊は犬の調教や装備の改良に時間を費やしました。
極点到達の旅が本格的に始まるのは、冬が終わり、太陽が再び姿を現す8月末からです。
アムンセンは犬たちに全てを託し、速さと効率を追求します。
スコットは馬と犬を組み合わせた大規模な作戦で挑むものの、そのスピードの違いは明らかでした。
だが、スコットには最後の切札があります「我々のルートは既に開発されている。アムンセンは未知のルートを進む。勝つのは我々だ」と。
しかし、自然の前では、どんな計画も儚いものとなることが多いです。
どちらが先に南極点に到達するのか、その結果はまだ誰も知る由がありませんでした。
参考文献
アプスレイ・チェリー=ガラード著・加納一郎訳(1993)「世界最悪の旅 悲運のスコット南極探検隊」朝日文庫