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学校での面会交流を許すべきではない理由

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
写真はイメージです(写真:アフロ)

藤枝市では、公立の小学校・中学校、そして保育園を、面会交流の場として利用を許可することになったそうです(藤枝市立小中学校における面会交流について)。藤枝市での学校での面会交流を実現させた男性が、ネット上で依頼を受けて、様々な自治体に同様の陳情の手紙を代行で送っているようです。自治体の教育委員会に電話取材しましたが、対応に苦慮しているようでした。多くの自治体は、許可していないようです。

この件については、離婚後子どもを育てている方々から、多くの心配や懸念が寄せられています。私自身は面会交流を否定するものではありません。しかし、面会交流センターなどを設置すべきではないかと思います。学校の教室を利用しての面会交流は、危険だと思います。その理由を以下で述べます。

「学校を利用しての面会交流」について海外の家族に関する多くの専門家に聞いたところ、「知る限りではない。考えられない」とのことでした。

アメリカの面会交流センターは、空港のセキュリティのような厳重なゲートをくぐらなければなかに入れず、銃を持ったセキュリティがいることが普通です。面会交流のための、「安全な子どもの引き渡しの場」は、警察のなかに設置されています。アメリカでは誘拐のアラートが鳴ればたいてい「面会交流中に何かあったのだろう」と思うのが普通ですし、年間60~70人もの子どもが、面会交流がらみで殺害されています。それほどに、「これ以上は結婚生活を続けられない」と判断した家族が(そしてそれに納得していない家族もいるかもしれないときに)、また接近することは危険なのです。

藤枝市は施設を貸すだけで、先生の立ち合いはないようですから、子どもの安全の確保の対策は、ほぼなきに等しいです。この試みがどれほどの責任とリスクを呼び込んでいるのかを、じっくりと考えられているのか、心配です。

多くのひとが挙げていた事件は、2013年の文京区小学校の校庭での、灯油(のような液体)をかぶっての「父子心中」事件です(東京の無理心中、巻き添えの次男死亡 父親を書類送検へ)。父親は手錠まで所持しており、遺書も書いていました(男の自宅から自殺示唆の遺書 東京・文京の無理心中)。亡くなった子ども気の毒ですが、何よりも少年野球チームの親子親善試合の日に、このような事件を目撃してしまった子どもたち(たとえ目撃しなかったとしても、学校で友達が焼死させられたことを知る子どもたち)の精神的衝撃は、大きなものだったのではないでしょうか。

そもそも、面会交流の場として、学校は適切なのでしょうか? まだ人目のあるショッピングセンターや遊園地ならばわかりますが、学校の教室や校庭での交流が、子どもにとって楽しいものであるとはあまり思えません。

離婚後に、授業参観や運動会への参加をめぐって、また通知表のコピーを要求する親に子どもが嫌がって揉める、というケースをとても多く見てきました。2018年の名古屋地裁による「虚偽DV」判決は、19年に高裁ではきちんとDV認定がされています(「DV虚偽申告」認めず 愛知の男性、逆転敗訴確定)。判決文を読めば、この事件のそもそもの発端は、父親が授業参観に参加し、学校内で娘に話しかけ、質問の答えを迫って、「執拗にその様子をスマートフォンで録音録画」したことにあるようにみえます。「撮影をしないで欲しい、約束を守らない人は学校に来ないで欲しい」などという手紙をだす娘を無視し、さらに授業参観に参加しています。父親が「ひとの わるぐちをかいたり いうのは やめようね!」等と記載した手紙を学校の下駄箱に残したり、個人的に授業参観を行なったりということが続いたため、とうとう授業参観の日に、父親が帰った後、子どもが「学校内で錯乱状態」になり、不登校になってしまったというのです。

授業参観は、当初は審判で認められている権利でした。しかし、学校で追い詰められ、不登校になったという経緯があれば、母子が転校した学校を知られたくないと思うのは、あり得ることだと思います。小さな子どもにとって、世界のひとつは家庭であり、もうひとつは学校です。ほぼこれだけしかないのに、学校までが家庭の延長になってしまえば、子どもたちは逃げ場がありません。

かつて離婚した家庭の子どもだった当事者はこういっています。「子どもにとって家庭の複雑な事情というものは、仲のいい子たちの間でだけで共有されて、守られるべきもので、大きな声でみんなの前で発表するようなものではありません。家庭の事情は人それぞれです。学校での面会交流なんて、『特別な家庭事情』を周囲の子どもたちにアウティングしているようなものです。それが何を意味するのか、理解して欲しい」。

藤枝市のケースでは、「裁判所が作成した調停調書、審判書、判決書又は両親の合意書面等により現実の面会交流が認められ」ていることが条件で、「子供に悪影響を及ぼす場合」は対象外になるそうですが、誰がいったい「子どもに悪影響を及ぼす」と判断できるのでしょうか? 面会交流の支援者は、怒りや不満を転移されやすい存在ですが、学校の先生にそんな事態に対応する余裕があるのか、不安になります。

インターネットでは、「親権者の同意なしに公立学校で面会しても、法的には問題ない」ととある教育委員会が回答したなどのツイートがひろまっています。例え「法的に」問題がなかったとしても、虐待などの事情のある場合、また離婚などで心の整理の必要な子どもが、事情を学校に話すこと自体も苦痛を伴うでしょうし、生活や学習の場である学校に、突然、親権者の同意もなく別れた親が面会を求めて来たら、子どもはどうなるのか、何を思うのかを考えて欲しいと思います。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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