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「表現の不自由展」何が問題だったのか~検証委員会第2回会合を傍聴して

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
愛知県庁講堂で行われ、ネットで同時中継もされた検証委員会の第2回会合

 「あいちトリエンナーレ2019」で企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題を受けた、愛知県の検証委員会(座長=山梨俊夫・国立国際美術館館長)の2回目の会合が9月17日に行われた。会合は、これまでの調査でわかったことを各委員が報告し、それぞれが担当パートについて議論を踏まえた意見を述べる形で進められた。

日本中の芸術祭・美術展に及ぼす影響を懸念

 今回の問題では、海外の作家から強い反発が起きている。全体の18%にあたる12作家が、作品の展示を取りやめたり、展示内容を変更したりした。中止となった企画展への連帯のメッセージも出された。検証委の最大の関心は、このような影響が広がるのを食い止めることにあるようだ。

 太下義之委員(国立美術館理事)は次のように危機感を表明した。

「この件にきちんと対応しないと、愛知県での美術展だけでなく、日本で行われる様々なビエンナーレ、トリエンナーレ、海外作家を招聘する展覧会に対して悪い影響を与える。端的に言うと、海外の作家が日本での展示をボイコットする、という懸念がある」

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作品には何ら問題はないが……

 中止になった企画展では、慰安婦を象徴する《平和の少女像》や、昭和天皇の写真を使ったコラージュ作品が燃えるシーンを含む20分ほどの映像作品(大浦信行《遠近を抱えて》)など3点に対して、非難が集中した。検証委員会は作者にインタビューを行うほか、専門家に事情を聞くなどして、各展示について詳しく検討した。

 そのうえでの結論は、副座長の上山信一・慶応大教授の次の言葉に凝縮されている。

「専門家によるキュレーションや丁寧な解説、適切な展示方法など、条件が整えば、展示してなんら問題ない作品だった」

 つまり、作品に問題があるわけではないが、説明や展示の仕方などに難があった、というのが、現時点での検証委員会の認識のようだ。

 たとえば、大浦作品について、作者の聞き取りやこれまでの作歴などから、「私たちは、天皇像の扱いに問題があるとは思わないと、今のところ結論づけている」(上山副座長)とした。

大浦さんの作品(今回の問題を考える集会の会場に映し出された映像より)
大浦さんの作品(今回の問題を考える集会の会場に映し出された映像より)

展示方法に様々な指摘

 そのうえで美術史が専門の金井直委員(信州大教授)が、作品の展示方法に以下のような疑問符をつけた。

 この企画展は、会場の一番奥まった部屋で行われ、見たくない人の目に触れたりしないような「ゾーニング」はなされていた。ただ、入り口の解説パネルは小さく、「その趣旨を観客がどの程度汲み取れたか疑問だ」。

 入り口のカーテンを過ぎると、通路状になっている両側に作品がいくつも展示されており、最初に目に飛び込んでくるのは大浦作品だった。

企画展が行われた部屋の見取図(赤い部分が大浦作品の展示場所)
企画展が行われた部屋の見取図(赤い部分が大浦作品の展示場所)

「この作品は、作品全体を見なければ、作家の意図はつかみがたい。しかし(この展示方法では)混雑している中、20分の映像をじっくり見るのは不可能。作家にも気の毒な状況だった」

 しかも、110平米ほどのスペースに、23点もの作品が展示されていた。

「窮屈すぎる。いかにも狭い。これでは(観客が)1つひとつ(作品から)物語を読み取るのは極めて困難」

 金井委員は、観客の理解を得るため、パネルによる解説だけではなく、討論などのイベントを併催する、ガイドツアーによる鑑賞をするなどの工夫をすべきだったとも指摘した。

キュレーターチームが関与せず

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 では、なぜこのような展示になってしまったのだろうか。

 検証委員会は、この企画展が、キュレーターのチームが関与していない「かなり特殊」な状況で準備が進められた点を指摘している。

 キュレーターとは、展覧会の企画などを行う専門職。金井委員によれば、「作品と鑑賞者をつなぐ」存在で、展覧会のコンセプトを決め、それに合わせた作品を選択し、展示会という「場」を作ると同時に、展示を歴史の軸の中に組み込んで「文脈化」し、後世にもつなげていく役割という。

 今回の企画展では、津田芸術監督と「表現の不自由展」実行委員会によって展示作品が決められた。大浦作品の動画は、事務局もキュレーターチームも直前まで知らされていなかった。

混乱は予測可能だったのでは、との指摘

会場にも展示されたミニチュアの少女像
会場にも展示されたミニチュアの少女像

 また、少女像の展示や観客による写真撮影については、大村知事から津田芸術監督を通じて何度も意見が出されたが、「不自由展」実行委はそれを受け入れなかった。ようやく、写真撮影は禁止しないがSNSの投稿は禁止、ということで折り合ったが、今度は作家の中から「この条件は飲めない」という意見が出た。津田氏が「作家初のアクションなら可」と妥協すると、一部作家の作品の説明パネルに「SNS推奨」の表示が出されるなど、観客にとって分かりにくい状況になった。

 検証委員会は、こうした対応によって、天皇の写真が燃える場面だけがSNSに投稿される事態を招いたとして、「混乱は不測のものではなく、予見可能だったのではないか」との疑念を呈した。

時間も金も足りなかった企画展

 加えて、同企画展は「時間も金も足りない」(上山副座長)状態だった。

 企画展に向けられた予算は、総事業費の0.3%である420万円。専門のキュレーターが質の高い企画をするとすれば、今回の4~5倍の予算、8倍の面積を要する、そうでなければ作品1つひとつの意図が正しく伝わらない、という。

 そうなった背景として、準備が遅れたために予算確保が遅れたことなどが指摘された。

 準備が遅れた原因の1つには、「不自由展」実行委との契約書を巡る協議が長引いたことがあげられた。この企画展では、トリエンナーレ実行委員会が個々の作家と契約を結ぶのではなく、「不自由点」実行委を「一作家」とみなして契約している。

 この契約協議が長引き、終わったのは開幕の3日前の7月29日。一方で、作品の移送は6月23日に始まっており、契約時には内容を見直すこともできない状況だった。

芸術監督自らの企画にできなかったのか、という疑問

 私(江川)が、今月2日に津田芸術監督に聞いたところでは、契約書については、たとえば日付が和暦となっていることに「不自由展」実行委が難色を示し、これを認めるか西暦に改めるのかを巡って、実行委の合議がまとまって結論が出るまで待たなければならかった。それがいくつもの点で行われるために協議に時間がかかった、とのことだった。

津田芸術監督
津田芸術監督

 また、津田氏によれば、作品選定の権限は実質的には「不自由展」実行委にあり、自身の意見も退けられた、という(同実行委員会は「話し合って決めた」としており、津田氏の説明に納得していない)。

 それならば、「不自由展」実行委に委ねるのではなく、津田氏自らが、「表現の不自由」をテーマにした企画展を作り、作品を選び、作家1人ひとりと直接契約を結ぶ形で行えばよかったのではないか?

 しかし、私のこの問いに、津田氏は2015年に「不自由展」実行委員会が東京で開いた企画展を見た時の感動があり、それが原点となって今回の企画を行うことにした経緯から、同員会を「リスペクトした」とのことだった。

熱意は理解できるが……

 再び検証委の報告に戻る。実は、検証委も私と同じような疑問を抱いたようだ。

 作品の選定では、結局2015年の不自由展に出品されていない作品が過半を占め、規模も大がかりなものとなった。そのため、検証委は「『不自由展』実行委に展示の全体を委ねる必要性があったのか疑問」としたうえで、こう指摘した。

「芸術監督は、表現の自由をテーマとする展覧会を自ら企画し、担当キュレーターを指名して、個々の作家と交渉する方法によって展覧会を成立させる方法も考えられ、いろいろな形があったのではないか」

 しかし、津田監督は同実行委に対するこだわりは強かった。そのために自腹を切ることも厭わなかった。

 トリエンナーレから支払いが行われるまでの間、「不自由展」実行委に津田氏個人が必要経費を立て替え、同実行委が個々の作家から訴訟を起こされた時には、津田氏が紛争解決に必要な経費を負担するなどの覚書にも応じている。津田氏の会社が、「不自由展」実行委のウェブサイトを作成するなどの負担にも応じた。

 これについて、検証委はこう指摘する。

「予算不足の中、不自由展を何とか実現したかったという芸術監督の熱意は理解できる。悪意があったとは思わない。しかし、公のプロジェクトのあり方としては不適切な行為である。事務局がこれを黙認していたのも問題」

 さらに、『不自由展』実行委と個々の作家との間の連絡も、必ずしも円滑ではなかったと指摘している。

 こうした検証で、企画展を巡る経緯や問題点は概ね明らかになった。

電凸は「ソフト・テロ」

 

 ただ、今回の問題は、会場で作品を見て、説明不足のために誤解をした人たちが騒いだ、というのとは異なる。実際には作品を見ていない人たちの間で、批判や非難が広がり、それが大量の電凸に結びついた。抗議の数は、電話3,936件、メール6,050件、FAX393件の合わせて10,379件に及び、今もダラダラ続いている状態だという。

会場で抗議電話が再生された
会場で抗議電話が再生された

 この日の会合では、実際にかかってきた電話が4例、紹介された。職員に説明の暇を与えないほどしゃべり続ける女性、巻き舌で「日本国民をなめてる」「お前らバカじゃないか」とまくし立てる男性などの声が再生された。

 こうした電凸について、検証委は、SNSで断片的あるいは不正確な情報が流され、電凸マニュアルが拡散し、「抗議」が一種の「娯楽(祭り)」に転換することで起きた「ソフト・テロ」と位置づけた。

電凸対策についての検証の必要性

 ただ、今の社会ではこうした抗議や妨害は予測できたのではないか。それに対する備えは十分だったのか、あるいは、どうあるべきだったのだろうか。さらに、脅迫的な攻撃があった場合、警察とどのようにして連携をとるべきか。

 さらに、長々と喋る電話や職員の名前を聞き出そうとする者にどう対応すべきか。危機管理の専門家への聞き取りも含めて、職員らをこうした電凸から守るための適切な対応を提言していくことも、今後の他の美術展などへの影響を懸念する検証委には、ぜひやってもらいたいところだ。

 こうした電凸対策は、今回の検証でもっとも重要なポイントの1つではないか。

終了後に記者会見する山梨座長(左)と上山副座長
終了後に記者会見する山梨座長(左)と上山副座長

五輪や万博も電凸と脅迫でつぶせる環境

 また、表現が押しつぶされるほどの攻撃がなぜ起きたのかは、検証委はもちろん、広く様々な議論が必要だろう。それに関して、太下委員から、次のような意見が出された。やや長くなるが、問題の本質に関わるコメントだと思うので丁寧に紹介したい。

「(電凸で企画展が中止になったのは)極めて重大な事件だと思う。今回は政治的イシューで起きたが、電凸は政治的イシューでなくても発生しうる。五輪や万博を潰そうと思う人がいたら、電凸と脅迫で容易に達成できる環境にあることを示してしまった。国としても対策を考えていかないといけない。先進国の中でも、こういうことが起きているのは、日本くらいだろう」

今、進行中の「検閲」

「(こうした現象が起きる)背景の1つに、我々が情報や知識を、ポータルサイトを経て得るようになったことがあるのではないか。ポータルサイトは、ユーザーにとって最適な検索結果を返そうとする。仮に私がある政治的偏りを持っているとすると、検索結果はどんどんその偏りに沿うものになっていく。そうすると、世界中が自分に近い考えで満ちているような気になり、閉じた体系の中で(偏った)知識だけが増えていく。そういうことも、今回、電凸のようなことが起きた背景にはあるんじゃないか。

 これも、考えて見れば、(異なる考えを排除していくという意味で)1つの『検閲』。今日の先進国では絶対的権力者が『これをやめろ』という形の検閲は、そうそう起こりえない。我々が意識しない形で起きている、こうした検閲の方がはるかに恐ろしい。その点で、今回の企画展はレトロで20世紀的だった。今後、アートで『表現の自由』というテーマを扱う時には、もっと今日的な、我々の社会に意味のある形でやってほしい」

 そうした視点で見れば、今回の出来事は、美術展のあり方を巡るトラブルというに留まらず、知らず知らずのうちに一定の方向に誘導されたり駆り立てられたりしかねない、現代の情報環境の危うさを映し出す事件でもあったのではないか。そうした視点での検証が、検証委をはじめ、様々な人たちによって行われて欲しいと思う。

 なお、企画展の再開については、会合の後の記者会見で、「我々のミッションではない」(上山副座長)と検証委員会は関与しない意向を示している。

 終了後、津田芸術監督がコメントを発表し、指摘された点のいくつかに釈明。上山副座長の「キュレーションの不備。ジャーナリスティックなテーマの表現の仕方という点でも、極めて稚拙」との発言に、「大変失礼な発言」と不快感を示した。さらに「キュレーションの問題を過度にクローズアップするのは、この騒動の背後にある本質的な問題を覆い隠してしまうのではないか」と反論している。(原文はこちら

(写真はいずれも筆者による)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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