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アメリカ軍撤退とシリア:「イスラーム国」対策としては逆効果

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

「最近十字軍の報道を観察している者は、指導者から専門家に至るまで西洋で合意があることを見出している。それは、彼らが「イスラーム国」が存続していると言っていることである。それどころか、アメリカの国防省は「イスラーム国」に対する十字軍遠征の将来について、悲観的な見通しを複数発表した。そして、アメリカの国防省は「イスラーム国」の兵士たちが数カ月のうちに過去5年間の戦争で撤退した諸地域を再度制圧する可能性を認めている。」

“「イスラーム国」に勝利していない”との欧米諸国での分析を広報に利用する「イスラーム国」。「イスラーム国」の週刊誌al-Naba’ 170号の論説より。
“「イスラーム国」に勝利していない”との欧米諸国での分析を広報に利用する「イスラーム国」。「イスラーム国」の週刊誌al-Naba’ 170号の論説より。

「イスラーム国」を歓喜させた欧米諸国

 冒頭に引用した文書は、他ならぬ「イスラーム国」自身が2018年12月20日のアメリカのトランプ大統領のシリアからの撤退決定後の欧米諸国の政治家、報道機関、専門家らの議論を広報に利用した論説の書き出しである。アメリカとその提携勢力がシリアにて「イスラーム国」に勝利したことをもって、アメリカ軍をシリアから撤退させようとしたトランプ大統領を翻意させようとするかのごとく、「イスラーム国」について悲観的な分析がアメリカやその他の政府・機関から発表された。

 これらの分析を誰よりも喜んで読んだのが、「イスラーム国」だったのである。これまでも、「イスラーム国」は欧米で同派の犯行とされる襲撃事件が発生される度に流布する、「「イスラーム国」による攻撃は、欧米諸国による植民地主義やムスリムに対する人権侵害が原因」などの説を唱える専門家らの動画や発言を繰り返し引用し、プロパガンダに利用してきた。今回も、報告書は発表者らが一番読んでほしかったはずのトランプ大統領にではなく、「イスラーム国」によって熟読され、役立ててもらえたようだ。「政治目標の達成・主張や要求の流布の手段として暴力を用いる」という政治的行動様式であるテロリズムに依拠する「イスラーム国」のような主体にとっては、自分たちがどれだけ世間の関心を惹きつけ、報道機関に露出するかが文字通り生死を左右する。どのような形であれ、世間の話題にしてもらえることは「イスラーム国」にとっては生命力の源なのだ。

アメリカ軍って、シリアで何してるの?

 結局、トランプ大統領によるシリア撤退決定は、トルコとの国境地帯やイラクとの国境通過地点に400人ほどの部隊を残留させる方向で落ち着き、アメリカ軍のシリア撤退は近日中に実現しそうにはない。しかし、この残留部隊は、規模や駐留先を見る限り、「イスラーム国」の制圧や同派の「復活」阻止に何か役に立つようには見えない。そもそも、イラクやシリアにおけるアメリカ軍の対「イスラーム国」作戦は、2014年後半から2015年初頭にかけての、イラク北部・中部への侵攻やシリア北端のアイン・アラブ市(俗称:コーバーニー)への侵攻を撃退するためには必要だったであろうが、それ以降はいかにも緩慢で、費用対効果の悪い活動だった。

 アメリカには、イスラーム過激派向けのカネ・モノの重大な抜け道だったシリアの「反体制派」への支援をそうと知りつつ継続したり、シリアにおけるロシアやイランの伸張を抑制したり、シリアにおける提携勢力(要するに「手先」)のクルド民族主義勢力をトルコの攻撃から保護したり、シリア紛争でのシリア政府の勝利を食い止めたり、などなど、「イスラーム国」対策とは全く無関係で、時に矛盾する諸目的があり、そのすべてを追求しなくてはならなかった。つまり、現時点、そして今後のアメリカ軍のシリア駐留は、「イスラーム国」対策にはたいして役に立ちそうにないのだ。そうした中、アメリカの「イスラーム国」対策で目覚ましい効果を上げたのは、本人にその自覚があるかは別として、トランプ大統領自身だった。同大統領の言動に世界中の国や報道機関、世論の注目が集まったことにより、誰もかつてのように「イスラーム国」のことを気に留めなくなったのである。繰り返すが、これはテロ組織としての「イスラーム国」にとって、資源の調達にも威信の獲得にも致命傷となることである。そのトランプ大統領自身が「イスラーム国」についての議論を惹起してしまったのだから、アメリカ軍がシリアから撤退しようが、残留しようが、「イスラーム国」にとっては何よりの贈り物になった。

「イスラーム国」って実際のところ、どうなの?

 日々「イスラーム国」の広報活動を観察していると、政治・社会現象としての「イスラーム国」の最盛期は2015年初頭で、2016年4月~5月には「ご臨終」を迎えていたように思える。それ以降の「イスラーム国」は、社会を変える力やメッセージ性を喪失し、知的活力も絶無の抜け殻として、惰性で時代の風に流されていたに過ぎない。最盛期には1カ月当たり600~700件にも達しようとしていた同派の戦果発表は、最近では30程度に落ち込んだ。発表するほどの戦果か、戦果を発表する広報力のどちらか、または両方が、もう「イスラーム国」にはないのだ。

 それでも、「イスラーム国」のメッセージはいつまでも残り、同派の「休眠細胞」や共鳴者・模倣者を刺激して新たな攻撃が発生するのではないかとの懸念があるかもしれない。しかし、これについても「イスラーム国」自身が、これまで欧米諸国で発生した襲撃のほとんどは、「イスラーム国」とは何のかかわりもない者の行為であり、実態としてはムスリムが引き起こす凶悪犯罪のうち、広報に利用できそうなものに便乗していただけであると「イスラーム国」自身が明らかにしてくれた。

んじゃ、「イスラーム国」対策の要諦は何?

 世間を震撼させたはずの「一匹狼テロ」の狼が、実は狼でも何でもないと判明した以上、その対策は予断を排して事実を確認し、事件を恐怖の「イスラーム国」による恐るべき「テロ」事件ではなくて、単なる通り魔事件として処理すればよい。これだけで、「テロ対策」としては目覚ましい成果が上がるだろう。なぜなら、引き起こした攻撃事件が全く世間の関心を集めないのならば、それは破壊と殺戮の規模がどんなに大きくても「テロ作戦」としては大失敗だからだ。この点にこそ、軍事力・警察力を用いた制圧と並ぶ、「イスラーム国」対策のヒントがあるようだ。

 「イスラーム国」の盛衰は、実はイラクやシリアで同派が占拠していた領域の範囲や収奪した資源の量だけでなく、同派の広報活動がどれだけ人々の関心をひきつけることができるのか、という意味で、広報の量と質によっても測ることができた。また、冒頭で紹介したように、議論の方向性によっては、「イスラーム国」について論じたり分析したりすることも、同派にとって格好の活力源となる。これらの点も踏まえて「イスラーム国」対策の要諦を別稿でも論じた。イスラーム過激派についての観察や議論をしても気分が悪くならないくらい強健な心身の持ち主(注:筆者はそうではない)には、ぜひ議論を深めてほしい。結局、専らアメリカの政局の問題であるかのように論じられたアメリカ軍のシリア撤退問題は、肝心の「イスラーム国」対策という文脈ではいろいろと課題を残したのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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