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新型コロナウィルスと社会不安、メンタルヘルス

西多昌規早稲田大学教授 / 精神科専門医 / 睡眠医療総合専門医
shutterstockより

不安対策には失敗した政府の対策

 新型コロナウィルス(COVID-19)は世界的に流行し、世界保健機関(WHO)も危険性評価で世界全体を最高の「非常に高い」に引き上げた。「パンデミック(世界的流行)」についてはまだ否定しているようだが、WHOのこれまでの見通しの甘さから、実際にはパンデミックに陥っていると見なしている人が多いだろう。

 このウィルスは弱毒性であり、高齢者や気管支喘息など基礎疾患を持つ人は別として、若年・壮年の健康な人はさほど心配しなくてもいいという説が支配的だった。しかしここにきて、連日にわたる全国各地における患者の発生や死亡例、若年者の重症例の報告など、楽観論を覆す事象が報道されるようになってきた。

 なにより、わたしたちの日常生活を脅かす支障や脅威が、目に見える形でわかるようになってきた。マスク不足に時差通勤・テレワークの推奨、飲み会からスポーツやコンサート、卒業・入学式などイベントの中止である。安倍首相が打ち出した公立学校の一斉休校要請は、感染防止策としての評価は別として、保護者を含めて社会的混乱を引き起こしたのは間違いない。トイレットペーパーやアルコール消毒液の買い占め・持ち去りまで発生している事実は、社会不安の証拠である。

 感染症対策は、高度な専門的知識と経験を要するプロフェッショナルの仕事である。感染症の専門家でも意見が一致していないなかで、専門家ではないわたしは政策を公衆衛生学的に評価することはしない。2月29日に安倍首相は緊急会見を行い、PCR検査体制の充実や休業補償など、今後の施策についての説明を行った。しかし、個人・社会の心理的問題から見れば、今の政府の政策や努力は、不安を解消する役には立っていないと考える。

 たとえば外国人観光客の多い京都府や大阪府において、公表されている感染者数がたった1桁というのは、わたしも大いに疑念を持ってしまう。PCR検査も精度に問題があるとはいえ、「検査できない」という不十分な体制は、行政は頼りにならないという不信感を与えるに十分である。

 診断がはっきりしないということは、治るかどうかわからないということでもあり、これは実際になってみないとわからない不安であろう。「検査してもしなくても治療は対症療法」という合理論でも、この不安を払拭するのは難しそうだ。またマクロに見れば、感染者の状況が把握できないため、収束後の感染経路や対策の分析も不十分に終わる可能性があり、国内だけでなく国際的な信用をも失いかねない。

 一斉休校の処置は、時間が経ってみれば英断であったと評価される可能性もなくはない。しかし、決定プロセスが非常に唐突であり、透明性も乏しいと言わざるをえない。熊谷俊人・千葉市長のような有能な首長をして「社会が崩壊しかねない」とまで言わしめるのだから、一般の人々はコロナウィルスそのものよりも不安・動揺を感じただろう。

コロナウィルスに対するメンタルヘルス対策

 今回のようなパンデミックは、個人レベル・社会レベルで心理・行動面に影響を与える。WHOも、”Coping with stress during the 2019-nCoV outbreak(コロナウィルス蔓延中のストレスへの対処)”と題するパンフレットを公表している。意訳して紹介すれば、

・このような危機に際して、悲しみやストレス、恐怖、怒りを感じるのは普通のことです。

・信頼できる人と話すことが役立ちます。友達や家族と連絡を取ってみましょう。

・自宅で過ごさざるをえないときは、健康的な生活スタイル、たとえば食事や睡眠、適度な運動、メールや電話などで家族や友人と社会的なつながりを維持するようにしましょう。

・気持ちを落ち着けるためだからといって、タバコやアルコール、不適切な薬剤に頼るのはよくありません。打ちひしがれてしまったら、カウンセラーなど、専門家に助けを求めましょう。

・事実(ファクト)をちゃんと把握しましょう。正しい情報と知識など持てば、適切な対処行動をとることができます。

不安を煽るようなメディアを見る時間を減らして、心配や焦りも減らしましょう

・自分が過去に逆境を乗り切ったときのことを思いだしましょう。そうすれば、この難局にあたって感情を制御するのに役立ちます。

 激しすぎる運動や睡眠不足は、免疫機能を低下させることは今では科学的常識であり、十分な睡眠や適度な運動、そして人とのつながりは、ウィルス抵抗力を高める最も効果的な習慣である。ファクトを把握する、メディアを見る時間を減らすというのは、情報過多の時代にとって重要な指摘である。

コロナウィルスと精神医学

 精神医学に特化した情報であれば、2月12日に日本精神神経学会の機関誌“Psychiatry and Clinical Neurosciences“に、新型コロナウィルス感染症に際してメンタルヘルスの専門家が留意すべきことについて注意喚起したレターが受理された。状況を鑑み、フリーアクセスとなっており、誰でも読むことができる。(Shigemura J, et al. Psychiatry Clin Neurosci. 2020 Feb 8. doi: 10.1111/pcn.12988).

 重要な点を抜粋すると、ウィルスという目に見えない脅威は、2011年の福島原発事故による放射線問題と似たような状況を生み出しつつある。社会的孤立や差別、偏見などによって、被曝していない人にも主観的健康感や平均余命の減少が見られた結果が得られている。このような不幸を繰り返さないためにも、以下の注意点を挙げている。

1. 人々の感情は、このような危機的状況のもとでは、極端に走る場合がある。健康を害する行動(アルコールやタバコ、社会的引きこもりなど)や、メンタルヘルスの問題(外傷後ストレス障害やうつ病、身体症状症)、主観的健康度の低下などを来す可能性がある。

2. 弱者・関係者への配慮・注意点

  • 感染した患者やその家族、友人同僚へのサポート
  • 居住外国人(特に中国人)に対する偏見
  • すでに精神障害を罹患している人たちのケア
  • 医療従事者、保健・検疫従事者へのメンタルケア

 このような状況下では、調子を崩してしまう人がやはり増えてしまう。不安障害の人は、わたしたち以上の不安を感じていることだろう。つい利己的になってしまうなかで、マイノリティの人たちへの心遣いも忘れたくないものだ。

 また、既に精神科通院中の患者にとって、朗報がある。厚生労働省は2月28日、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため、受診による感染機会を減らす目的から、電話や情報通信機器を用いた再診による処方を認める事務連絡を発出した。定期的な服薬が必要であり、かつ長期処方がしづらい向精神薬を飲んでいる人にとって感染機会を増やす受診は悩ましい問題であったが、ここは政府の対応を評価したい。

 医療従事者、保健・検疫従事者へのメンタルケアについては、武漢からの帰国者の対応にあたっていた37才の厚生労働省担当者が自殺しているという事実も忘れてはならない。看護師、医師だけでなく保健行政に携わるマンパワー不足も深刻であり、平常時でも綱渡りでなんとかやりくりしているところが多い。

 そのようななかで、臨時休校による医療従事者の出勤困難だけでなく、昨今議論になっているPCR検査の扱いを誤れば、軽症者が大挙して押し寄せる、ないしは検査を要求して詰め寄る者も現れ、医療従事者の院内感染はもちろんだが、現場が疲弊することは十分に考えられる。結果として武漢や大邱のように医療崩壊を起こしかねず、重症者の治療が難しくなるだけでなく、医療従事者のメンタル不調も増加する悪循環となり、結果的に患者にとっても不利になることが懸念される。

メンタルヘルスにおける注意点

 WHOのパンフレットにはない観点として、経済的不安が挙げられる。特に非正規雇用の人は、自宅待機はすなわち収入の消失を意味する。目が離せない子どもを抱えている人は、臨時休校によって安定して仕事ができない=収入が脅かされるという不安が生じる。「お金がない」という経済的な不安、困窮は、メンタルヘルスにとって非常に悪影響を及ぼすことが多々ある。新型コロナウィルスは、SARSほどの毒性はないにせよ、消えにくい粘り強いウィルスであると聞く。経済不況の長期化は、せっかく減少してきた自殺者の再増加もきたしかねない。これは、政治が早急に取り組んでほしい課題だ。

 休校指示やテレワークの普及によって、家族といっしょの時間が急増した家庭も多いだろう。学校に行けないストレスもあるが、大人も含めて同じ家族が四六時中ずっといっしょに過ごしていくと、軋轢が生じる可能性もある。お互いの時間や予定を尊重する、ひとりの時間を設けるなど、距離感をとることも必要だ。子どもが好きなゲームも、この時ばかりは大目に見てあげてもいいのではないか。

 家に居る時間が長くなると、どうしてもテレビを見る時間が増えてしまう。WHOのストレス対処パンフレットにもあるように、朝から晩まで危険と不安を煽るようなワイドショーばかり見ていては、精神的に不安定になるのも当然である。最近の若者や子どもはテレビをあまり見ないとはいえ、テレビの影響力は依然として大きい。テレビ局はファクトを伝える重要性を再確認し、家族向けに編成や内容を修正するなどの行動も必要なのではないだろうか。

早稲田大学教授 / 精神科専門医 / 睡眠医療総合専門医

早稲田大学スポーツ科学学術院・教授 早稲田大学睡眠研究所・所長。東京医科歯科大学医学部卒業。自治医科大学講師、ハーバード大学、スタンフォード大学の客員講師などを経て、現職。日本精神神経学会精神科専門医、日本睡眠学会総合専門医など。専門は睡眠、アスリートのメンタルケア、睡眠サポート。睡眠障害、発達障害の治療も行う。著書に、「休む技術2」(大和書房)、「眠っている間に人の体で何が起こっているのか」(草思社)など。

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精神科医の西多昌規(にしだ まさき)です。メディアなどで話題となっている、あるいは世間の関心を集めている事件や出来事を、精神医学やメンタルヘルスから読み解き、独自の視点をもとに考察していきます。医療・健康問題だけでなく、政治経済や社会文化、芸能スポーツなども、取り上げていきます。*個人的な診察希望や医療相談は、受け付けておりません。

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