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中東政策への懸念:トランプ大統領が直面する「強くないアメリカ」の現実

川上泰徳中東ジャーナリスト
2016年米大統領選挙 トランプ氏が勝利集会(写真:ロイター/アフロ)

トランプ氏の大統領選勝利を受けて、中東でも9日のメディアは「トランプ一色」になった。私は現在滞在しているレバノンのラジオ番組では、「トランプ勝利」のコメントを求められた地元の大学の国際政治学者が「トランプは一人で外交をするわけではない。米国は法律と民主主義に沿って政治は行われる」と答えていた。

中東の多くの国では独裁者が変われば、政策は一変するわけで、「心配する必要はない」というコメントは、いかにも中東的な解説であるとともに、トランプ勝利で戦々恐々の中東の空気を映してもいる。

米国にとって中東外交は最重要課題であり、外交経験が皆無のトランプ大統領も否応なく、中東にコミットせざるを得なくなるだろう。中東各国の政府関係者はあわてて「トランプ対策」をたてているだろうが、これまでトランプ氏がメディアへのインタビューや演説のなかで、8月にオハイオ州ヤングスタウンでイスラム過激派に対する戦略を示した演説は重要な手がかりとなるだろう。

トランプ氏はその演説の中で、オバマ大統領の融和的な対イスラム対応を批判して、米国の国益を第一とするイデオロギーを前面に打ち出している。選挙戦の中であり、「オバマ-クリントン」批判が先にたち、現在の中東の混乱の原因をつくったブッシュ政権に逆戻りするようなトーンである。これがそのまま新政権の中東政策になるとは思えないが、トランプ氏の中東やイスラムに対する単純な見方を示したものであり、親政権での中東政策への不安を感じさせるものである。

演説の中で、トランプ氏は「イスラム過激テロ」を「20世紀にファシズム、ナチズム、共産主義を打ち負かしてきた米国にとっての現在の脅威」と位置づけている。特に2014年に「イスラム国(IS)」が樹立を宣言して以来、イスラム教徒による米国内でのテロや、2015年11月のパリ同時多発テロなど欧州でのISがらみのテロを細かく列挙して、「このような邪悪なことを続かせてはいけない」とし、続けて、「女性や同性愛者、子供たち、不信仰者を抑圧する、憎むべき過激なイスラム思想が、我々の国々に居つき、広がるのを許すわけにはいかない」と強調した。

トランプ氏は国内のイスラム教徒を監視する「イスラム過激派委員会」の設置を、「大統領になって最初に行う仕事の一つ」としている。この委員会は、「米国の国民一般に対して、イスラム過激派の信念や信仰の核心について説明し、過激化の危険な兆候について教え、私たちの社会で過激化を支持するネットワークを暴くことを目的とする」とする。

ここで「イスラム過激派テロ」で始まった議論が、「過激なイスラム思想」を警戒する話になり、さらに行動とし「過激化の兆候」を排除する行動へと、曖昧に広がっているのが分かる。

この発想で行けば、「過激化の兆候」はフランスでイスラム式の水着「ブルキニ」を排除するように、目に見えるイスラム的なベールや男性のあごひげなど服装や外見を「過激派」「テロ」と結びつけることになり、「イスラム・フォビア(イスラム恐怖症)」を助長することになりかねない。

この演説について、米CNNは「『米国の価値観を共有して米国民に敬意を払う人々』だけを受け入れるべきだと訴え、冷戦時代に実施していたイデオロギー審査のような手法の導入を主張した」と書いている。

これが中東政策では「イスラム過激派」に対する強硬な「対テロ戦争」となる。トランプ氏は演説の中で「我々の現在の戦略である国家建設や体制転覆は誤りであることが明らかになった。それは(支配の)真空状態を作り出し、テロリストが育ち、広がることを許している」と述べている。

トランプ氏がオバマ大統領の決定的な過ちとして批判するのは、2009年に大統領就任直後に、トルコやエジプトでおこなったイスラム世界との融和を訴えた演説である。「オバマ大統領は多くのイスラム諸国での女性や同性愛者の抑圧や組織的な人権侵害やグローバル・テロへの資金提供を非難する代わりに、我々の人権とイスラム諸国の人権を同等のものとしようとした」と語っている。

その上で、「オバマ-クリントの外交政策が中東を不安定化し、ISISを解き放った。さらに『米国に死を』と叫ぶイランを中東地域で支配的な地位とした」と語っている。イランについては「核合意はイスラム過激派テロに対する第1の支援国家であるイランを核兵器保有に向かわせている」としている。

トランプ氏が「テロとの戦い」の対象とするのは「ISと、アルカイダ、さらにイランの資金援助を得ている(パレスチナの)ハマスと(レバノンのシーア派組織)ヒズボラ」としている。この戦いでは、「我々の偉大な同盟国であるイスラエルと、ヨルダンのアブドラ国王やエジプトのシーシ大統領と協力する。ISとの戦いではロシアと共通土台を見いだす」とする。

トランプ氏の「テロとの戦い」は、イランやハマスを敵視し、ヨルダンとエジプトを「味方」と考える点で、イスラエルの「対テロ戦争」と同じ視点である。ブッシュ政権で幅を利かせたイスラエル寄りの「ネオコン」の中東政策を思い起こさせる。

しかし、アルカイダ勢力がイラクで活動し始めたのは、ブッシュ政権によるイラク戦争の結果である。現在のISにつながる「イラク・イスラム国」が生まれたのは、イラク戦争によって恐れられていたスンニ派とシーア派の宗派抗争が起こった2006年であり、これもブッシュ政権の時である。さらにイランが強大化したのも、米軍のイラク占領が失敗し、イランの支援を受けたシーア派勢力が政治を独占的に主導するようになったためである。

オバマ大統領はブッシュ大統領によるアフガニスタン戦争、イラク戦争などの「対テロ戦争」を終わらせることを掲げて2009年に登場した。イラクでは4000人以上の米兵死者が出て、米国で反戦機運が強まった。トランプ氏が批判するオバマ大統領によるイスラム融和政策には、「対テロ戦争」によって中東で広がった米国に対する敵意を緩和しようとする必要性もあった。

イラクからの撤退や「アラブの春」に対するオバマ政権の対応のまずさがあったとしても、ブッシュ政権による無謀なイラク戦争が、米国の影響力を決定的に低下させ、ISを含む現在の中東の混乱のもとをつくったことは、否定できない。

イラク戦争を始めたブッシュ政権時の米国は「米一極時代」で、「文明の側か、野蛮の側か」とイデオロギーを振りかざし、世界を震え上がらせた。しかし、いま、米国の影響力は低下し、オバマ政権にも、トランプ次期政権にも、同じことはできない。「シリア内戦」でも、米ロが合意しても、停戦さえできず、中東の有力国であるイラン、トルコ、サウジアラビアを引き入れなければ、和平に向けた話し合いにもならない。

トランプ氏の認識は「強いアメリカ」のままのようだが、トランプ大統領が直面する現実は「強くないアメリカ」である。トランプ政権が「イランとの核合意の破棄」を最優先の外交課題に掲げて、もし、イランを排除すれば、ISとの戦いもシリア内戦の終結も、全く動かなくなるだろう。

トランプ大統領がブッシュ政権の「対テロ戦争」の誤りを忘れて、イスラエルと歩調をそろえて、力づくの「対テロ戦争」に戻るならば、中東の混乱はさらに進み、米国の影響力のさらなる低下につながりかねない。

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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