ある死刑囚の遺書
10月10日は、世界死刑廃止連盟(WCADP:本部パリ)が提唱する〈世界死刑廃止デー〉でした。死刑の問題を考えるたびに、思い出すことがあります。
以前、あるシンポジウムのパネラーとして、弁護士をされている平田友三先生とご一緒させていただいたことがあります。先生とは住んでいるところも、職場も距離的に離れていることもあって、その後直接お会いすることはありませんが、私が論文や著書などをお送りすると、いつも読後の感想が書かれたご丁寧なお手紙を頂戴します。
20年以上も前のことですが、前に勤めていた関西大学法学部で担当していたある年のゼミで、「死刑」をテーマに選び、ゼミ生諸君が書いた論文のコピーを製本して差し上げたところ、しばらくたって非常に「重い」お手紙を頂戴しました。あまりの重さに、どう受け止めてよいのか分かりませんでしたが、日に日にそこに同封してあったものが私の心の中でしだいに形をつくっていったのでした。同封されていたのは、達筆な字で書かれたある死刑囚の遺書のコピーでした。
検察官をされていた平田先生は、担当されていた強盗殺人事件の被告人に死刑を求刑したことがありました。彼は、17歳の時に強盗殺人を犯し、懲役15年の判決を受け、10年余り服役して仮釈放となり、そのわずか2年後に2度目の強盗殺人を犯したのでした。この事件の内容は、下に紹介した平田先生のエッセイで読むことができます。
平田先生は、捜査・公判を通じて次第にこの青年と心が通い合い、彼は、死刑判決確定後、洗礼を受けて自分の犯した罪を深く悔い改めたのでした。ずっと平田先生との深い交流は続き、短い時間だったと思いますが、悔悟と思索、贖罪(しょくざい)の濃密な時間を送ったことだろうと思います。平田先生の奥様とお嬢様が折った千羽鶴を大変喜んで、それを抱いて彼は刑場の露と消えたとのことです。
死刑執行の前日、当時司法研修所教官をされていた平田先生は、特別に連絡を受けて大阪まで面会に来られました。その時の様子を次のように書かれています。
歎異抄に、《わがこころのよくてころさぬにはあらず》という、宝石のような言葉があります。われわれは、ただ、ただ偶然、人を殺す業魔(ごうま)に背中を突かれなかっただけではないか。平田先生の書かれたもの、そしてこの遺書を読むたびにそう思えるのです。(了)