稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである
稲田朋美・防衛大臣が3月8日に参議院予算委員会でした発言について、筆者は強い衝撃を受けました。
- 「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えており、道義国家を目指すべきだという考えに変わりはない」(NHK)
- 「教育勅語がいっているところの、日本が道義国家を目指すべきという、その精神をそれは目指すべきだという考えは変わっていないと」(日テレ)
また、稲田氏は、2006年の月刊誌の対談で「教育勅語を素読している幼稚園が大阪にある。適当でないと文科省がコメントしたそうだが、どこがいけないのかと文科省に聞いた」と語っていたことも認めました(東京新聞)。この「幼稚園」とは現在、国有地取得が問題となっている森友学園が運営する塚本幼稚園のことと「推測される」(同記事の稲田氏の発言)とのことです。いずれも福島みずほ議員(社民党)の質問に対する答弁です。
教育勅語の要=全ての臣民に“心臓を捧げよ”
もともと、教育勅語は、1890年(明治23年)10月30日、明治天皇が山県有朋総理大臣らを官中に召して「下賜」(高貴の人が下の人に物を与えること)したものです。教育勅語の全文は以下の通りです。
教育勅語に書き込まれた12の徳目については「良いことが書いてあり評価すべき」という意見もあるようですが、例えばそのうちの一つである「夫婦相和シ」(夫婦仲良く)というのは、それ自体は良いことでしょうが、これを「臣民」(国民)が天皇に命令されるとなれば大変なことで、基本的人権を侵害することにもなるでしょう。他の徳目についても、誰かエライ人に強制されるべきものではありません。
そして、徳目の最後は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」でくくられています。これは、非常事態においては、正義と勇気をもって公に奉仕し、永遠に続く皇運(皇室の運命)を助けなさいというというような意味のものです。明治憲法における主権者は天皇だったので「公」もまた天皇のことを指すといって過言でないでしょう。筆者も愛読している例の進撃する漫画の言葉を借りて言うなら、全国民に向かって、天皇陛下に「心臓を捧げよ」と言うがごときものです。漫画の中の軍隊ならそれでいいのでしょうが、現実世界の国民に向かってそのようなことを命令されてはたまったものではありません。
日本国憲法の下で国会が「排除」「失効」を決議
このような教育勅語は、1948年(昭和23年)に、衆参両院で「排除」「失効確認」の決議がなされています。「仕事柄、国会議事録をよく調べる」筆者が調べたところでは、以下のようになっています。衆議院でも、参議院でも、全会一致で可決されています。
例えば、衆議院の決議は「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。」としたうえ、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 」とする憲法98条の本旨に基づいて「排除」を決議しています。
現に明治憲法と教育勅語の下で教育を受けてきた国会議員たちが、自民党の先達にあたる保守系の議員も含め、全員で、教育勅語が日本国憲法に反すると考え、「排除」「失効確認」の決議をしたことは極めて重要です。
稲田防衛大臣を罷免すべき
教育勅語の「核の部分を取り戻すべき」という稲田氏の発言は、日本国憲法を尊重し、擁護する義務(憲法99条)を負う国務大臣や国会議員(公務員)の立場とは、決して相容れないものでしょう。また、昭和23年の段階で国会が「今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。」と指摘する点は、稲田氏の発言にそのまま当てはまるでしょう。稲田氏の発言は、このように「排除」「失効」を決議した国会の意思にも反するもので、国会に対して責任を負うべき国務大臣の立場とも相容れません。菅官房長官は「稲田氏の私見」で済まそうとしていますが、とんでもない話です。国務大臣として答弁席に立って答弁した発言が「私見」で済む訳がありません。
稲田防衛大臣については、このほかについても、国民に情報公開すべき公文書である南スーダンの自衛隊の活動日誌を違法に隠匿した疑いもあります。国会で、自衛隊員が命の危険にさらされている南スーダン情勢が議論になる中で、現実に存在した日誌(そこには自衛隊員が置かれた危険な状況が克明に記録されていました)を「ない」と言い続けた責任は極めて重いものがあります。もはや、日本国憲法の下で、国民や自衛隊員の命を預かる防衛大臣の任に堪えないことは明白でしょう。安倍首相は、即刻、稲田防衛大臣を罷免すべきです。