草刈民代、56歳で“初ビキニ姿”!夫・周防正行監督はすっかり家事上手!?
元バレリーナで女優の草刈民代さんが最近、56歳にして初めてのビキニ姿や、デコルテの大きく開いたビスチェ型のウエディングドレスを披露。「本当に美しい!」「スタイル良すぎ!」といった多くの反応を集め、ネットを沸かせました。そこで、ビキニを着ることになった秘話や、結婚25年を迎えた周防正行監督との最近の生活など、いろいろお聞きしました。
—今期のドラマ『和田家の男たち』(テレビ朝日系)では、56歳で初の赤いビキニを披露したと、話題になっていましたね。
あれは経緯がありまして、最初「水着で」と言われた時には「なぜ?」と思いましたが、事情を聞くと、コロナ禍のロケなのでマスクをしないでいい場所を探していたら、“プールサイド”という案が出てきたらしいんです。
「なるほど」と思って水着を着てみたら「まあ大丈夫か」と。ビキニがあったのでそれも着てみたら「あれ?これも大丈夫か」と(笑)。私だったら赤は着ないですけど、強烈さを出すために「思い切って着ちゃえ!」と着ることになったんです。出番が少なかったので、和田寛(段田安則)の恋人・冬木亜蓮役として個性の強烈さを出すには、それぐらいやっておかないとインパクトが弱いかな、というのもありました。
—(同作では)ウエディングドレスも披露していましたが、今年は草刈さん自身、周防正行監督と結婚25年、銀婚式でしたね。
すっかり忘れていました。何もやってないので、帰ったら(夫に)言いますね。最近料理が上手になりまして…夫が(笑)。私は、去年からYouTubeを始めて忙しくなったので、彼が意を決して料理をするようになりました。そうしたら上手になっちゃって(笑)。
彼は何でも、全部メモするんです。“記録魔”なので、作った料理は写真を撮って、どんなレシピを見て作ったか、調味料は何を使ったからおいしく感じたか、何が失敗だったか、全部メモしているんです。
盛り付けも、ビジュアルにこだわります。自分の中で、何をキレイと感じるのか、何が好きなのか…ということがハッキリしているので、見た目が美しいです。私が作るのはいわゆる“男の料理”で、たくさん作ったものを大きいお皿にバッと出すことが多いですけど、旦那さんは、きちんと作って美しく盛り付けます。
家を片付ける時でも、私は物を捨てられますけど、夫は全部取っておきます。「(アメリカの実業家)故スティーブ・ジョブズさんは、同じ服を何着も揃えて着ていた」という有名な話がありますが、それは、選んだり迷ったりする脳の負担を減らし、時間の無駄を省いて、その分のエネルギーを重要な決断に費やすためだったと言いますよね。
私たちは仕事上、そこまでミニマムにはできないですけど、その中でも持ち物を最小限にするということは夢ですね。これからは年を重ねてやることが増えてくる部分もあるので、負荷がかからない生活ができたらいいなと思います。
—『Shall we ダンス?』が公開されてから、今年で25年でした。女優人生を振り返っていかがですか?
女優になろうと思ったのは(バレリーナを)引退する時だったので、本格的な活動からは12年くらいになります。2009年に引退しましたけど、それまでは女優になるとは思っていなかったです。
—なぜ女優になる決心をされたのでしょう?
41歳くらいの時に体のバランスが崩れたり、筋肉も落ちてきたり、今までのものを維持するのが難しいということを感じ始めたんです。41歳で『白鳥の湖』を踊るのがきつくなって、辞めることを考えないといけないと思いました。
でも、表現する意欲・体力・気力はあるので、次に何をするかが決まらないと、なかなか辞められない。踊りを辞めた後のことを本気で考えた時に、バレエの世界以外で違う表現に挑戦したい、「女優になりたい」と思ったんです。そこからは、2年がかりで引退興行のスケジュールを徐々に決めていくことになりました。
—やはり『Shall we ダンス?』での経験が活きたということですか?
というよりも、映画監督(周防正行)と結婚したことが一番影響が大きかったかもしれません。映画の公開後に監督と結婚して、ずっと一緒に生活しているから、やはり映画を作るということを間近で見た部分もあったし、常に一緒に話をしているから、彼の視点が下地になった気がします。
—それはどういうことですか?
物を見る時の視点が全然違うんです。私は踊り手ですから、踊ることに集中しますが、彼は映像を撮る監督であり、ドラマを作る脚本家であり、作る人の目線なのです。やはり物事を幅広くいろいろなところから見て作っているので、そういう人と一緒にいることで、踊りだけの世界にいるよりも、格段に芝居に対しての理解や視点が変わってきました。
去年の自粛中に、dancers eight公式YouTubeチャンネルで「#Chainof8(チェインオブエイト)」という作品を作ったんです。ダンサーの皆さんに踊ってもらって、技術的な編集をしてくれた人はいましたが、どこを切ってどうつなぐかという判断を自分がしなければなりませんでした。いざとなれば夫がいるからどうにかなるだろうと思って臨みましたが、結局夫の手を借りなくて済んだんです。
—周防監督の反応は?
「門前の小僧、習わぬ経を読む」と言われました(笑)。私がすべてプロットを考えて、台本を書いて、それぞれのダンサー達に送って、趣旨を説明して、これに見合うように家の中で撮影してもらう。自分自身が映像の仕事をさせていただいているのもありますが、結婚して夫からいろいろな話を聞いているうちに、踊りの映像作品を作れるようになったんです。
もし踊りだけの世界にいたら、こういうことにはなっていなかったと思います。教えてもらったというよりは、普段から作品について話したり、私の意見を聞いてくれるので、自分で考えるシーンが多くあったことが良かったのだと思います。
—きょうは絵画がある場所でお話を聞いていますが、美術に影響を受けることはありますか?
海外に行くと、よく美術館には行きます。セザンヌやモネの時代のものも好きですし、マティスを観た時は、絵を鑑賞するということは、こんなにもエネルギーが必要なのだと知りました。ゴッホには、体と心を動かされる経験をしています。
マリー・ロージー(ポール・セザンヌの玄孫<やしゃご>)の絵からは、強烈さを感じます。美しさにこだわらず、今生きている人たちの根幹を描こうとしていることが伝わります。抽象的な中にも、なぜこんな絵になるのだろうと読み解いていくことが、絵画を鑑賞することなのだと分かり、刺激を受けます。
—今年も残り少なくなってきましたが、どんな年でしたか?
この年になっても何が起こるかわからない。YouTubeで動画を作ったり、それが踊りの公演につながったり。今まで女優としてやってきたことが、踊りに戻った時にものすごく活かされているという経験もしました。自分が踊る時も教える時も、実はやれることが増えているということは、今年の意外な発見でした。
【インタビュー後記】
常に凛として美しい方です。よく笑い、何事もストレートにお話しされ、夫である周防監督を尊敬しているのもよく分かります。今回は、草刈さんとご縁がある、展覧会会場(開催中の『マリー・ロージー展』、~12月26日まで)でお話を聞きましたが、何でも素直に吸収し、自分のものにしていく力があると感じました。自分で表現するだけでなく、ものづくりを通してますますパワーアップしている草刈さんが、今後どんなことに目を向けていくのかも注目です。
■草刈民代(くさかり・たみよ)
1965年5月10日生まれ、東京都出身。1973年からバレエを始め、1981年から「牧阿佐美バレヱ団」に参加。『白鳥の湖』など、バレエ団の主要バレリーナとして活躍。「レニングラード国立バレエ」には97年から09年までの12年間、ゲストアーティストとして出演、多くの公演を共にする。96年に『Shall we ダンス?』で映画に初出演、初主演。「第20回日本アカデミー賞」最優秀主演女優賞など数々の賞を獲得。同年、同作で監督を務めた周防正行氏と結婚。09年、自身がプロデュースした『Esprit〜ローラン・プティの世界〜』でバレリーナを引退。引退後はNHK大河ドラマ『龍馬伝』を始め、多くの作品で女優として活動。