大阪・通天閣で有名な「ビリケンさん」 神戸にも2体あった!
両足を大きく突き出して座り、愛きょうのあるほほえみをたたえた「ビリケンさん」。足の裏をなでるとご利益があると言われ、大阪・通天閣のビリケン像には、ご利益にあやかろうと多くの観光客らが訪れます。1996年にはモチーフにした映画「ビリケン」も公開されました。通天閣のシンボルとして有名なビリケンさんですが、実は、神戸にもいます。神戸市兵庫区でまつられている2体のビリケン像を訪ねました。
ビリケンさんは米国生まれ。諸説ありますが、米国の女性彫刻家が1908年、夢の中で見た神様をモデルに創作したのが始まりだと言われています。当時の大統領、ウィリアム・ハワード・タフトの愛称「ビリー」にちなんで名づけられたそうです。
可愛らしいビリケンさんは、たちまち幸運のマスコットとして世界中に広まり、さまざまな形や素材の像が作られました。日本でも、明治時代の終わりごろから輸入されるようになり、花街を中心に流行。1912(明治45)年には、通天閣に併設された遊園地、ルナパークに“初代”ビリケンさんが登場しました。しかし、1923年のルナパーク閉園後は行方不明に。1979年に二代目が登場し、現在、通天閣にいるビリケンさんは三代目になります。
神戸のビリケンさんは、兵庫区の西出町鎮守稲荷神社と松尾稲荷神社に、別々に安置されています。まずはJR神戸駅から南西に歩いて約10分、西出町鎮守稲荷神社から。
国道2号沿いに建つ神社の入り口は、江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛が献上したといわれる灯籠が。境内には、源平合戦の一の谷の戦いで討ち取られた平敦盛の兄、平経俊をまつる五輪塔もあります。
ビリケン像がまつられているのは、神社の本殿。高さ90センチほどのビリケンさんが、台座の上にちょこんと座っています。地元の住民らによると、2005年、「本殿の裏で見た」という住民の証言を元に探したところ、ほこりまみれのビリケンさんが見つかりました。
ビリケンさんがいつから、なぜ神社で保管されていたのかは、現在も分かっていません。神社を管理する岩井努さんが、胴体の中にあった小石を見せてくれました。墨で「永政天大 昭和五年十月五日」と書かれ、像が戦前に作られた可能性を示しています。米国生まれのビリケンさんは、戦時中に多くが処分されてしまったため、戦前の像は非常に珍しいです。
小石には「ピリケン菩薩」の文字も。日本語の「ビリ」はイメージがあまりよくないためか、「ピリケンさん」と呼ばれることもあったといいます。岩井さんは「松尾稲荷神社にあるもう1体のビリケンさんともども、見に来ていただければ」と話します。
大黒天を連想させる、和風のビリケンさん
お次は松尾稲荷神社です。西出町鎮守稲荷神社から東に約300メートル、5分ほど歩くと着きます。こちらのビリケンさんは、大黒天を連想させる和風な顔立ち。高さは約1メートルで、米俵の上に座っています。右手に打出の小づち、左手には瑞玉を持ち、背中に大判を背負うという「全身福のかたまり」(同神社)のようないでたちです。
このビリケンさんは、大正時代の終わりごろに神戸・元町の洋食店の店主によって、神社に奉納されたと伝えられています。店主は神戸に寄港した米国の水兵が持ち込んだビリケンを参考に制作、店頭に置いたところ大人気となりましたが、あまりの人だかりに困り、奉納することになったそうです。神社では、「松福様」として信仰を集めています。
宮司の長山(おさやま)竹之さんは、ビリケンさんの収集家でもあります。20年ほど前からインターネットオークションなどで集めるようになり、現在では百数十体に。コレクションそのものは公開していませんが、アメリカで作られたバーボンのボトルや製菓用の金型、足裏を隠した貯金箱など一部の写真は、本殿に展示されています。
「キリスト教が広く信仰されているアメリカで生まれたビリケンさんが日本でも作られ、信仰の対象として当社にまつられることになりました。当初のご神徳に加えて、現在では病気平癒の神、学業の神などとして幅広い信仰を集めているのが、非常に興味深いです」と長山さん。境内には、2018年に神戸・北野坂から移ってきたビリケンさんもいます。
西出町鎮守稲荷神社や松尾稲荷神社の周りには、ダイエーの創業者、中内功の実家跡や、日本画家、東山魁夷が幼少期を過ごした住居跡など、さまざまな見どころがあります。両神社の南西には、北前船の寄港地として栄え、2018年に日本遺産に追加認定された「兵庫津」の遺跡もあります。暖かくなるこれからの季節、散策してみてはいかがでしょうか。
撮影=筆者