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「うつ」を患い引退したテニス界の元ホープが5年ぶりに復帰。彼女は何に襲われ、何を克服してきたのか?

内田暁フリーランスライター
5年ぶりに競技テニスに復帰し、笑顔を見せるレベッカ・マリノ(撮影:著者)

 約束の時間ぴったりに、彼女は長い脚を交互に後ろに跳ね上げながら、「待たせたかしら?」と笑顔を浮かべ弾むように会見室へと駆け込んできた。

 現在の世界ランキングは564位。昨年末に27歳になった長身のカナダ人は、7年前に20歳にして世界38位にまで達し、“女子テニス界の未来”と目された若手の一人だった。

 だが5年前、レベッカ・マリノは突如「引退」を表明する。その若さもさることながら、関係者たちを驚かせたのが、彼女がテニス界を去る理由だった。

 SNSなどに書き込まれる罵詈雑言に耐えられない――。

 ネットニュースなどを通じて報じられたこの一文は、当然ながら、前途洋々に見えた才能豊かな期待のホープが、テニスに背を向けた真の理由を描ききってはいない。

 精神的に不安定で、うつ状態だったらしい……そのような風説が流れてきたのは、彼女がツアーから姿を消して、しばらく経った頃だった。

「確かに22歳で引退というのは、とても早いとは分かっていました」

 4月上旬――大阪市開催のツアー下部大会『富士薬品セイムス・ウィメンズオープン(賞金総額$25,000)に出場したマリノは、“あの時”のことを穏やかに振り返り始める。

「ただあの頃の私は、テニスがまったく楽しめず、ツアーに居るとひたすら寂しかった。ケガはありませんでした。ただ、精神的に辛かっただけで……なんでこんなに辛いことをしなくてはいけないんだろうという思いしかなかったんです」。

 叔父がボート競技のオリンピック金メダリストというスポーツ一家に育ったマリノは、幼少期からバドミントンに馴染み、やがてラケットをテニスのそれに持ち替えた。182cmの恵まれた体躯に成長した彼女が、母国カナダで注目を集め始めたのは19歳の頃。カナダ開催のツアー大会で世界14位のマリオン・バルトリを圧倒し、翌年にはトップ50入りも果たすなど、順調な足取りでトップ選手への階段を上っているかに見えた。

 だがその頃から、彼女の内側では、心の歯車が狂い始める。「プライベートのことまで公になる」状況が苦しくなり、遠征に出るとホームシックに苛まれた。周囲に親しい人は多く居るが、その“親しい人”たちは、常に競い合うライバルでもある。どんなに華やかな場所に居ても、いかに仲の良い人々に囲まれていても、心を覆う孤独の影を払うことはできなかった。

「心身の健康を回復し、再び人生を楽しむためには、テニスをやめるしかなかったんです」。

 27歳になった今、彼女は5年前の自分自身を追想した。

 テニス界から去ったマリノは、新天地を求め地元の名門ブリティッシュコロンビア大学に入学する。専攻したのは、英文学。テニスはもちろん、スポーツとも一切関わりのない世界に身を置いた。

 大学が彼女にとって心地よかったのは、「自分のことを知らない人たちがたくさん居る」ことだった。だから彼女は「テニス選手としてではなく、一人の人間として私のことを知ってもらいたい、好きになってもらいたい」と思いながら、交流を広げていったという。

「学問や趣味について友人たちと話すのが楽しかった。テニス以外にもやれることはあると思えたし、テニスが無くても、自分を好きになってくれる人たちが居るということを知りました」。

 大学ではボート部にも籍を置き、勝利の歓喜や敗戦の悔しさを、チームメイトと分かち合う喜びも知る。ラケットを握らず、ボールを打たない日が続いた。

 自分には、テニス以外にもできることがある――ところが不思議なことに、そう思えた頃から再び、テニスがやりたいと思い始めた。そこで大学のテニス部でコーチをしたり、地元のジュニアたちにテニスを教えるなど、徐々にコートに立つ機会を増やしていく。そうして大学卒業を控えた頃には、ツアー復帰も選択肢として浮上するまでになっていた。癌を宣告された父親が化学療法に挑み、「人生には限りがあることを強く意識した」ことも、復帰へと心が傾斜した契機となる。そんな折も折、地元バンクーバー開催のITF大会から「選手たちの練習相手をしてくれないか?」との声が掛かった。「もちろん!」。そう答えることに迷いは無い。

「私自身、大会会場に行き、選手たちと交わった時にどう感じるのかを知りたかったんです。ある意味、自分へのテストでもありました」。

 結果的にその「テスト」に、彼女は堂々合格する。

「テニスが楽しい、『まだ自分の中には何かが残っている!』と感じることができたんです」。

 その時彼女は「復帰を100%決めた」。昨年の晩夏のことだった。

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 もしあの時、別の行動を取っていれば、テニスを続けていられたのだろうか……?

 他人に聞かれ、そして自分でも自身にたずねたその問いに、彼女は「誰かに助けを求めることができていたらなら」と答える。「コーチや家族に相談していれば、状況は違ったのかもしれない」……と。だからこそ、今なお自分と似た境遇に身を置く後進たちのためにも「WTA(女子テニスアソシエーション)には、相談できる場所や窓口を作って欲しい」と訴えた。

 

 今年2月、全くの新人同様に下部大会からキャリアの再スタートをきったマリノは、ここまで7大会に出場して3大会で優勝し、来週にはランキングも400位台前半まで上昇する。

「今は、テニスそのものが楽しい」

 そう顔を輝かせる彼女の現時点での目標は、「努力は報われると信じて練習コートやジムに向かい、日々成長し続けること」だ。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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