【富士宮市】正月を締めくくる行事!市内のどんど焼き事情をリサーチしてみました!
みなさんは、お正月飾りや書き初め、昨年賜ったお守りなどをどうしていますか?
私は、地域の『どんど焼き』に持って行きます。
お正月飾りも外し、スーパーなどで三本槍を目にすると、お正月ももう終わりだなぁとしみじみ感じます。
『どんど焼きは14日、猿のけつは真っ赤っか』と子供の頃に歌いながら、赤、白、緑のおだんごを三本槍に付けてもらい、どんど焼きに出かけて行った記憶があります。
最近になって富士宮市内でどんど焼きをやる場所には、必ずと言って良いほど道祖神があることに気が付き、どんど焼きと道祖神の関係についてリサーチしてみました。
市内にはなんと400基近い道祖神があるそうで、山宮浅間神社から南側の道路沿いにあるお好み焼きや焼きそばが食べられるお店『富士山にこにこ長屋』の脇道を入ってすぐのところにある道祖神は1689年に作られたという『市内最古の道祖神』があるそうです。
早速出かけてみると、道祖神の背後には歩く博物館の看板がありました。
そこには「この地域ではどんど焼きのとき道祖神を火中に投じるため、破損して解読ができない」と記されていました。
「えっ?神様であろう道祖神を火に投じるなんて、罰当たりな行為ではないの?!」と驚きました。
道祖神は本来、村の境目にあり疫病や災厄が侵入してくるのを防ぐと言われています。
村に災いが入り込まないようにと結界のような役割をしてくれている道祖神を火に投じる理由は、どんど焼きの火の力で浄化し霊力を新たにしてもらう意味があるそうです。
『市内最古の道祖神』の横には長年火に投じられ続けて傷んで来た道祖神の代わりに投げ入れられる石が置いてありました。
市内のどんど焼きは道祖神と切っても切れない縁で結ばれているようです。
また新内房橋、釜口橋から西側では、全くと言って良いほど道祖神を見かけることがありません。
内房地区は駿河国と甲斐国の県境にあたる白鳥山があり、山麓には両国を結ぶ道が通り、山頂からは富士川を望むことができる要地であったそうです。戦国時代には山城が築かれ、武田信玄の駿河侵攻の際には狼煙台として使用されたと言われています。
道祖神がないから、どんど焼きをしないのかと思いましたが、理由は白鳥山から上がる狼煙と見間違える可能性があるため、内房地区では今でもどんど焼きをしない場所が多いのだそうです。
徳川家康が富士山本宮浅間大社に参拝するのに、釜口峡にかけられた橋を渡ったと言われていますが、架けられた吊り橋はたびたび落橋し水難事故が絶えなかったと言います。内房地区に道祖神がない理由は富士川が民族分布の境目になっているからと考えられているそうです。
私の住んでいる地区ではどんど焼きをしないので、近場のどんど焼きに持って行って一緒にお焚き上げしてもらいます。
顔馴染みでもない私にも分け隔てなく接してくれる近所の方々の優しさと、キャンプファイヤーでしか見られないくらいの大きな炎で、寒さが吹き飛びます。
道祖神に守られながら、人々の温かさを感じられる「どんど焼き」。今年は母に習って、自分で三色団子を拵えてみようかな(笑)
市内最古の道祖神
アクセス:県道180号線ファミリーマート富士宮山宮店を北に向かい約300mほど行った『富士山にこにこ長屋』手前の道を左折して15mほどの右側