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【河内長野市】河内長野滝畑にある滝畑ダムの磨崖仏の謎。どこにあるの?どこから見られるの?

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

奥河内の水がめといえるのが、石川の上流にある滝畑ダム。この周辺に見どころは多いのですが、今回は一瞬見ただけではわからないけど、よく見ると見つけられる磨崖仏(まがいぶつ)をご紹介しましょう。

滝畑ダムは河内長野ではもちろん、大阪府内では最大の貯水量を持つダム湖です。バスで滝畑ダムサイトまで来ると、せき止められているダムの目の前に行けます。

ダムサイトからは、このように滝畑ダムのダム湖の美しい風景が見られるのに、

反対方向を見ると、いきなり高低差のあるコンクリートの壁。これは堰堤(えんてい)と呼ばれるものです。ここから見下ろすと、遥か下には水路があり、噴水のような放水をして水を流しています。

さて、今回の目的である磨崖仏は、このダム堰堤の正面の崖にあります。そもそも、磨崖仏とはどういうものでしょう?

参考:マレーシアイポーの洞窟
参考:マレーシアイポーの洞窟

磨崖仏は、自然の懸崖(けんがい)や大石を彫刻し、仏像などを陰刻や浮彫りで表したものです。

中国やシルクロードの仏教国などでは、洞窟の中に仏像を彫ったり、あるいは画像のように、仏像を描いたりするものを見かけることがありますね。

日本でももちろん磨崖仏が各地にあり、国宝に指定されている九州大分の臼杵磨崖仏などが有名ですが、その多くが平安時代から室町時代に作られたもののようです。

ところで、滝畑の磨崖仏はもっと歴史が新しいのです。それは昭和の時代に当時の長野村で郵便局長をしていた夏目庄吉という人が作ったのだそうです。この磨崖仏を、6年もの時をかけて掘ったそうで、昭和6年に完成しました。

昭和初期にできたという滝畑のこの磨崖仏、令和の時代に確認しましょう。とりあえず見ましたが、こうやってみると、赤で囲ったところが全て顔のように見えますね。

これでオドオドしい音楽が背景に流れればまるで心霊写真のようですが、実際にはすべて肉眼で確認し、存在している岩の形と影でした。ご安心ください。

別の角度を見ましょう。画像の真ん中あたり、ちょうど緑がはげたあたりに、顔が見えますね。もしかしてこれ?

囲ってみるとこのふたつがそのように見えます。右側は黒いボディで、顔のないのっぺらぼう。左側は白いボディで不敵な笑みを浮かべて、目元から赤い何かが出ています。仏というより、悪魔っぽい表情に見え、ちょっと違いますね。

自分の目で探しても、磨崖仏がどれなのか見当がつきません。でもご安心ください。ダムのところに、どのあたりに磨崖仏があるのか教えてくれるパネル写真がありました。

そこで改めてみてみましょう。確認すると、赤い丸の外側、先ほどの白い岩肌に悪魔のように見える顔の下側にありそうです。

5分くらい頑張って探してようやく見つけました。青で囲ったところに2体の仏像がうっすらと見えます。これが夏目庄吉が6年かけて堀った滝畑の磨崖仏です。

拡大してみました。真ん中に一体の仏像が見えるでしょうか?こちらが地蔵菩薩です。その右側、少しわかりにくいですがよく見ると観音菩薩があります。

わかりやすく赤で囲ってみました。これでわかるでしょうか?掘ってから100年近い年月が経過しているためか、風化も激しいのか、少し見えにくくなっています。

私のほかにも何人かの人が探していましたが、見つかるまでかなり時間がかかっていたようです。令和4年3月の時点で、それほどわかりにくくなっています。自然の風化なので仕方がありませんね。見に行くときには双眼鏡を持参するともっと見えやすいかと。

せっかくの磨崖仏ですので、その方角に固定した双眼鏡でもあればもっとわかりやすいのかなという気がしました。今ならちょうど桜もきれいでしょうね。

滝畑の磨崖仏
住所:大阪府河内長野市滝畑238
アクセス:南海・金て哲河内長野駅からバス 滝畑ダムサイトバス停下車徒歩5分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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