7年ぶりの日本人F1レーサー誕生!改めて讃えたい、日本人レーサーたちの功績
2021年、20歳のレーシングドライバー、角田裕毅(つのだ・ゆうき)がアルファタウリ・ホンダからF1デビューする。
小林可夢偉(当時ケータハム/2014年)以来、実に7年ぶりとなる日本人のF1ドライバー誕生で、再びF1が日本で注目を集める時がやってくるのだろうか?
今回は幾度かブームを巻き起こしてきた過去の代表的な日本人F1ドライバーの功績を振り返ってみたい。
中嶋悟は日本人初のファステストラップ
日本人F1ドライバーのパイオニアといえば、中嶋悟。
「日本人初のF1ドライバー」という枕詞で語られることが多いが、実は日本人初ではない。
1970年代に複数の日本人ドライバーがF1にスポット参戦をしているからだ。1976年、77年に富士スピードウェイで開催されたF1では長谷見昌弘、星野一義、高橋国光ら当時の全日本F2のトップドライバーが参戦。それから10年後に中嶋悟は初めてレギュラードライバーとしてフル参戦した。
ホンダのF1テストも担当していた中嶋悟は1987年にロータス・ホンダからデビュー。34歳でのF1デビューという、今では考えられないほどの遅咲きデビューではあったが、ちょうどフジテレビがF1を全戦中継しはじめた年であり、中嶋は国内のF1人気の火付け役となっていく。
当時最強のパワーを誇ったホンダV6ターボエンジンを武器にデビューイヤーから4位フィニッシュを果たすなど活躍するが、チームの成績は下降線を辿る。
3年目の1989年、所属チームのロータスはホンダエンジンを喪失。非力なジャッドエンジンを搭載して苦戦を強いられたシーズンだったが、最終戦・オーストラリアGPで雨の中、激走して自己最高位の4位フィニッシュ。日本人ドライバーとして初めて決勝中の最速タイム(ファステストラップ)を記録した。
中嶋悟は5シーズン、全80戦に出場して、1991年に引退。当時、日本はF1が空前の大ブームになっており、テレビ出演多数。さらに当時はパソコンも販売していたEPSONのCMにイメージキャラクターとして出演し、テレビで見ない日はなかった。今も国内のモータースポーツ界では最も高い知名度を誇る一人だ。
日本人初の3位表彰台、鈴木亜久里
2人目の日本人フル参戦ドライバー、鈴木亜久里(すずき・あぐり)は1988年の日本GPでF1デビューした。中嶋とは違い、鈴木亜久里は子供の頃からレーシングカートで腕を磨き、F1まで上り詰めた。
鈴木亜久里は4輪レースに本格的にデビューしてからスランプに陥った時期があり、28歳でのF1デビューとなった。それでも当時の鈴木は若いイメージで、モデル並みの長身と甘いマスクで女性ファンの人気を獲得したのだ。
当時の鈴木は東芝のパソコン、ダイナブックのCMに出演。レーシングスーツ姿もF1マシンもCMには一切登場せず、鈴木はフォーマルなスーツ姿でビジネスマン風の出で立ちで出演していた。出場するスポーツとリンクさせずにイメージできるという意味では、今でいうとテニスの錦織圭のような存在だったと言える。
そんな鈴木亜久里のキャリアハイライトはやはり1990年のF1日本GPでの3位表彰台だ。チャンピオンを争うアイルトン・セナとアラン・プロストが第1コーナーで接触し、共にリタイアになるなどラッキーが重なったというのもあるが、ラルース・ランボルギーニという中堅チームでの3位表彰台獲得はまさに大金星。
「僕は1台も抜いていないけどね」と鈴木は今もトークショーで笑いを取るネタとして当時のエピソードを語っているが、F1ブームのピークとも言える1990年に、しかも鈴鹿サーキットでの表彰台獲得はファンのみならず、お茶の間にF1を根付かせる要因となった。
勝てそうなオーラを感じた佐藤琢磨
中嶋悟、鈴木亜久里がF1に参戦し、日本でのF1ブームは頂点を迎えた。しかし、90年代になるとバブル経済崩壊の影響もあり、スポンサーを務めた日本企業が徐々にF1から撤退していった。
ホンダは92年末でF1のエンジン供給から撤退するが、バブル崩壊後も元気な企業のスポンサードを得て、日本人ドライバーのF1参戦は続いた。片山右京(=F1最高位5位)、中野信治(=F1最高位6位)、高木虎之助(=F1最高位7位)、井上隆智穂(=F1最高位8位)らがフル参戦したが、どのドライバーもCランクからDランク級のチームからの参戦であり、厳しい結果になってしまう。
そんな中、2000年、2001年と87年以来初めて日本人F1ドライバー不在の年ができてしまうものの、2002年に佐藤琢磨がジョーダン・ホンダからデビューする。
この時代、ホンダが復帰し、トヨタが参戦、さらにメルセデス、ルノー、BMW、フェラーリ(フィアット)の参戦とF1は自動車メーカーワークスチームの戦国時代に突入していた。チームは巨大化、マシン開発は細分化され、ドライバーの仕事量も増えた。
速さだけでなく、語学力、コミュニケーション能力も求められる時代になっていたのだ。そのため若手育成は海外で行うのが定番となり、佐藤琢磨もイギリスで武者修行していた。
佐藤は期待に応えて、イギリスF3でチャンピオンを獲得し、F3マカオGPで優勝。かつてはセナやシューマッハが勝ち、日本人は到底たどり着けないであろうと思っていたビッグタイトルを手にしてF1にやってきたのである。それだけに過去の日本人ドライバーとはまた違う存在感があった。
2004年の佐藤琢磨はホンダのワークスチーム的存在だったBAR・ホンダから出場。第7戦ヨーロッパGPでは日本人初の最前列スタート(予選2位=日本人最高記録)を果たし、決勝では日本人初の首位走行も果たした。
また、第9戦アメリカGPで鈴木亜久里以来14年ぶりとなる3位表彰台を獲得。ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)の全盛期だったが、トップチーム所属ということもあり、日本人のF1初優勝の日が近づいている予感がしたものだ。
しかし、現実は厳しい。当時の佐藤琢磨はアクシデントによるリタイアも多く、チームメイトのジェンソン・バトンと比較するとその成績差は明らか。2006年からは鈴木亜久里が急遽作った新規参戦のF1チーム、スーパーアグリからの参戦になった。
スーパーアグリは2年半という短命チームになり、佐藤琢磨のF1キャリアもスーパーアグリの撤退と共に終焉となるが、日本人が日本のチームでF1を戦うという往年のファンが抱いた夢が実現し、2007年のカナダGPでは佐藤琢磨がワールドチャンピオンのフェルナンド・アロンソ(マクラーレン・メルセデス)をオーバーテイクするなど活躍。
浮き沈みは激しかったが、佐藤琢磨はまさに魅せてくれるF1ドライバーだった。
多くのファンに希望を与えた小林可夢偉
トヨタも将来的に日本人F1ドライバーをデビューさせるために、ヨーロッパに若手を送り込んだ。
その中で最初にデビューしたのが2008年の中嶋一貴。トヨタエンジンを搭載するウィリアムズ・トヨタからの参戦で、デビュー戦でいきなり6位入賞を果たした。父、中嶋悟と共に親子でのF1フル参戦は日本人史上初だった。
しかし、2008年に起こったリーマンショックの影響は巨人トヨタも苦しめ、2009年限りでトヨタは撤退を決断。その発表を前に中嶋と共にF1デビューを目指し育成していた小林可夢偉を2009年の第16戦・ブラジルGPに急遽出場させる。
小林はデビュー2戦目の第17戦・アブダビGPで予選12番手から怒涛のオーバーテイクを見せて6位入賞。この走りが目にとまり、翌2010年、ザウバー・フェラーリからフル参戦を勝ち取った。
小林はフル参戦のデビューイヤーから活躍する。すでに中堅チームから下位チームに転落しかかっていたザウバーで、ルーキーながらチームメイトのペドロ・デ・ラ・ロサよりも多くの入賞ポイントを獲得。2012年には中嶋悟以来23年ぶりのファステストラップ獲得、鈴木亜久里以来22年ぶりのF1日本GPにおける3位表彰台を獲得した。
しかし、3年連続で年間ランキング12位となり、多くのポイントをチームにもたらしたにも関わらず、小林可夢偉は翌年のシートを喪失。ザウバーの懐事情は厳しく、マクラーレンへの移籍が決まったペレスに代わり同じメキシコ人のエステバン・グティエレスの起用を決めたのだ。
リーマンショック、日本メーカーの撤退と、日本人ドライバーを取り巻く環境が何ひとつ良い方向に向いていなかった中、小林可夢偉は走りで高い評価を掴み取り、実力で道を切り拓いてきた。その姿は希望を失っていたレーシングカートの少年少女たちに多くの影響を与えたのではないだろうか。
2021年、20歳でF1にデビューする角田裕毅はまさに多感な時期に小林可夢偉の奮闘を見てきた世代だ。
中嶋悟から小林可夢偉まで代表的な日本人F1 ドライバーをピックアップしてきたが、こうやって歴史を振り返ってみると、先輩から後輩へ、日本人F1ドライバーの実力は確実にレベルアップしているのが分かる。角田にそれ以上の活躍を期待してよいのものだろうか?
答えはイエス。
2021年、デビューを控える角田裕毅はFIA F2で見せた走りが評価され、FIA(国際自動車連盟)からFIAルーキーオブザイヤーを受賞した。これはF1を含む全カテゴリーの中で素晴らしい活躍をした若手に送られる賞で、日本人としては初受賞。FIA F2での受賞はシャルル・ルクレール(現フェラーリ)以来2人目だ。
この受賞は角田の世界からの評価がよく分かる一例であり、角田のF1デビューは単に好成績を残してチャンスを掴んだというに留まらない。育成してきたレッドブルとしては、角田を将来のフェルスタッペンのチームメイト候補、あるいはフェルスタッペンに代わるエース候補として見ているのだろう。来季の活躍が楽しみで仕方がない。