「地位も名誉も全て土俵にある」引退から5カ月、元大関・琴奨菊が振り返る力士人生
昨年11月に引退を発表し、約19年間の力士人生に幕を下ろした元大関・琴奨菊。現在は年寄「秀ノ山」を襲名し、後進の育成に尽力している。そんな秀ノ山親方にお会いし、現役時代の思い出などについて話を伺った。
小学4年生で角界入りを決意
――親方が相撲を始めたきっかけはなんでしたか。
「おじいちゃんの影響が大きいんです。家に土俵を作って稽古相手にもなってくれて。家族が相撲への道をガチっと固めてくれたのが、始めたきっかけです。小学2年生から柔道をやっていたんですが、勝ち負けのはっきりしている相撲のほうが面白くなって、4年生ですぐ全国大会に行けたこともあって、相撲一本に絞りました」
――角界入りはいつ頃から意識していたんですか。
「小学4年生で相撲を始めたばかりの頃に、先代の佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)の講演会が地元の福岡県柳川であって、私も体が大きかったので呼ばれたんです。そのとき親方に『僕、大きくなったら佐渡ヶ嶽部屋に入るんだよ』っておでこに唾つけてもらって。『唾つけたから、ほかの部屋の誘いがあっても僕は1番にうちに来るんだよ』っていう先代の親方の言ってくれたことがずっと頭の中にあったんです。そのときの先代の印象は、本当に大きい人。すごく憧れて、そのときから入門と佐渡ヶ嶽部屋行きは決まっていたかなと思います」
――素敵なご縁だったんですね。
「実際、高校を卒業して18歳で入門したんですが、直前に親方にかけてもらった言葉があります。それは、“地位も名誉も全て土俵にある”ということ。自分が努力したら夢もかなうし、頑張り次第だよと言われた言葉が、本当にその通りだなといまも感じています」
無我夢中のときが一番成長できる
――高校では7つのタイトルを取って入門しました。プロになってからはいかがでしたか。
「角界は華やかなイメージで、入ればすぐ強くなるんじゃないかと、わくわく期待して入門したんですが、やっぱりプロの世界はすごく厳しくて、体重も半年で30キロぐらい落ちました。プロの厳しさと、期待に応えないといけないという重圧からでしょうか。ただ、体重が落ちて、1回体を作り直せたことが結果的にはよかったかなと思います。当時はとにかく必死でした」
――大関まで上り詰めた親方でさえも、そんな時期があったんですね。
「正直、もう必死すぎて、つらいかつらくなかったかも全然覚えていないくらいなんです(笑)。ただ、仲のいいプロ野球の内川(聖一)選手(ヤクルト)と引退間際に話したときに、『無我夢中のときが一番成長できるんだよね』って言われて。“我”があると何かが違うなと悩んだりもするけど、文字のごとく自分をなくして夢中になることが、一番成長できるとき。思い返してみれば、痩せようが何しようが関係なく、あの頃は生活に必死でした。プロの体に作り直してくれた師匠と兄弟子たちのおかげですが、自分も一生懸命だったから、成長することができたのかなと思っています」
――とても素敵な言葉ですね。関取に上がられてからは、そういった境地からは解放されましたか。
「関取になってからはまた責任もあるし、解放感はまったくなかったですね。力士を辞めたいまでも、そんな感覚はないかな。責任感がだんだん強くなっていくので、ほっとする感じではないです。でも、番付が上がったときは、周りが喜んでくれてうれしかった。自分もうれしいけど、それ以上に喜んでくれる方がいるからうれしいし、それが自分の存在価値かなって思いますね」
大関から陥落後は”自分の理想に近づくための時間”
――親方にとって、相撲の魅力は何ですか。
「やっぱり自分の頑張りで全てつかめるところかな。今回の照ノ富士がいい例なんだけど、下に落ちて辛抱して努力し続けているときは、木でいうと根っこが下に深く育っている状態です。番付という、上に出ている葉や木々は低いけど、土台となる根が着実に成長している。その状態で、もう一度木の部分が大関という地位にまで育ったとき、前回と同じ木の高さでも、下の根の深さが全然違うんですよね。だから、いまの照ノ富士は前にも増して強い。それを自分も学べたのは、相撲のおかげかなと思います」
――親方も、5年以上務めた大関から陥落したとき、何か思うことがあったのですね。
「そう。実はね、陥落したときのほうが、記者の数は増えて『いつ辞めるんだ』みたいな風潮があったんですよ。でも結局、落ちてからのほうが、自分の理想に近づくための時間だったなと思います。プロとしては結果を残さないといけないけど、数字や勝ち負けにこだわるときってつらいんですよ。でも、いまの照ノ富士みたいに、その戦いを越えて、自分との戦いに懸けられるようになれば、自分の力をしっかり出せるようになるんです。人間的に強い力士はなかなかいませんが、そういった自分の経験を、今度はいまの新弟子たちに伝えていきたいと思っています」
(後編に続く)