樋口尚文の千夜千本 第115夜「万引き家族」(是枝裕和監督)
帰ってきた貧困と毅然たる罪びとたち
この映画の万引きする子どもたちの悪気ない表情を見ていて、つい思い出したのが『愛と希望の街』の鳩を売る少年や『少年』の当たり屋の少年だった。あの昭和の犯罪少年たちには、アウトサイダー的な被害者意識はなくて、とにかく生きるため、死なないためにはこれをやるしかないのだという毅然たる諦観が、その硬質な表情に表れていた。カンヌに愛された今村昌平や大島渚の作品には、そういった生きていくためには罪をおかすしかない、そしてそれは恥ずることではない、という確信犯的な大人や子どもの犯罪者が好んで描かれた。その背景にあったのは、もちろん戦後の貧困である。
そして世紀をまたいだ今、ふたたび貧困率が高まる一方で全ては自己責任にされてしまう状況にあって、あのイマムラやオーシマが描き続けた犯罪者たちが『万引き家族』に転生している感じであった。あいかわらずの飄々としたワルぶりを見せて妙に憎めない「父」のリリー・フランキー、なんともダルだが図太いプレゼンスを発散させる安藤サクラの「母」、けなげなところもあるが生きるための無感覚にとらわれている「叔母」の松岡茉優、そしてニヒルな達観を体現する「祖母」の樹木希林、こうした大人たちのクズな状況を果敢に受け止めている城桧吏と佐々木みゆ。この配役陣の演技は(描かれる内容は暗澹たるものだが)どこか意気揚々と愉しげですらあって、まさにはぐれ者どうしのおかしな因縁が生んだ謎の共同体の、奇妙な〈キズナ〉の高揚を見事に描き出していた。
さて、この作品はなんと今村昌平監督『うなぎ』以来、21年ぶりにカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞という快挙をなしとげた。是枝監督や岩井俊二監督は私と同い齢なので作品への共感度も高く、四半世紀ぐらい伴走しつつ応援評を書いてきたが、まさに映画好きのクラスメートがパルムドールを獲ったような嬉しさ、誇らしさがある。けれどもなぜか受賞の報を聞いてもそれほど驚かなかったのは、これまで7度にも及ぶカンヌへの挑戦のなかで、実は「これがパルムドールを獲ってもいいのでは」という野心作がいくつもあったように思うからだ。むしろ『万引き家族』は新しい試行というよりも、是枝裕和なら当然このレベルのものは作るだろうというおもむきの、無理なく上々にまとまった作品だった。ちょっと『うなぎ』がパルムドールを獲った時の気分にも似ているかもしれない。
たぶん審査員団としてもそういう印象ではあっただろうから、今回の受賞はこれまで是枝監督がカンヌでたゆみなく積み重ねてきた試みの堆積を顕彰する意図もあったのではなかろうかと思う。一部に「こんな早い受賞は凄い」という声を聞いたが、長い伴走者としてみればパルムドールはもっと早々に獲得して、さらに山あり谷ありのフィルモグラフィを蛇行させて欲しかったぐらいだ。是枝監督はほぼ下戸だが、今後はぜひパルムドールの美酒に酩酊してぜひしたたかにはめをはずした新境地を待望したい。