アカデミー賞:ヒラリーが大統領になっていたら、作品賞は「ラ・ラ・ランド」だった
受賞間違いなしと言われていた「ラ・ラ・ランド」を「ムーンライト」が打ち負かすという、驚きの大逆転があった今年のアカデミー賞作品部門。その背後に、ハリウッドのトランプ政権に対する不安感、危機感があることは前の記事にも書いた(オスカー授賞式:受賞作品にも反映された、ハリウッドの“反トランプ”メッセージ)。
大胆に言ってしまうと、大統領選でヒラリー・クリントンが勝っていたら、作品賞は「ラ・ラ・ランド」のままだったのだ。そのことについて、ここでもう少し語りたいと思う。
「ムーンライト」の名誉のためにも最初に言っておくが、「ムーンライト」は、ずっと高く評価されてきた作品だ。低予算で、主演も無名のこの映画は、昨年秋のテリュライド映画祭、続いてトロント映画祭で上映されるまで、誰も意識していなかった。筆者が初めてこの作品を知ったのは、トロント映画祭でジャーナリスト仲間に「あの映画、すごく良いよ。見るべきだよ」と言われた時だ。反響を見て、映画祭事務所は、何度か追加試写を組んでいる。
マイアミを舞台に、ドラッグ中毒の母をもつ貧しい黒人少年が、厳しい環境の中で成長していく様子を描く、静かで、この詩的な映画は、一般になかなか知名度が浸透しないままながら、批評家に強く愛され、L.A.、シカゴ、ダラス、デンバー、サンフランシスコなどの批評家協会賞を受賞した。作品部門が「ドラマ」と「ミュージカルまたはコメディ」に分かれるゴールデン・グローブでは、「ムーンライト」がドラマ、「ラ・ラ・ランド」がミュージカルまたはコメディで受賞している。
宣伝予算もほとんどかけられず、アワードシーズンの階段をじわじわと上っていった「ムーンライト」と対象的に、「ラ・ラ・ランド」は最初から大旋風を巻き起こした。配給のライオンズゲートは、早くから今作に手応えを感じ、北米公開が12月であるにも関わらず、半年以上も前からキャストのインタビューの機会を設定するなど、入念な宣伝活動を始めている。ヴェネツィア映画祭でエマ・ストーンが女優賞を、トロント映画祭で作品が観客賞を取った9月には、すでに「オスカー有力作」の肩書きを得ていた。
古き良きハリウッドにオマージュを送りつつ、独創性に満ちたこのミュージカルは、映画関係者の心を大きくときめかせた。舞台は自分たちも住むL.A.。主人公は女優志望とあって、共感ポイントはさらに多い。ニューヨーク、ボストン、デトロイト、ヒューストン、ロンドンなどの批評家賞や放送映画批評家賞を獲得し、止まらない勢いを見せた今作は、オスカーでも「イヴの総て」「タイタニック」と並ぶ、史上最多14のノミネーションを獲得する。「ムーンライト」のノミネーション数は8。アワードシーズン前半、「ラ・ラ・ランド」と張り合っていた「ムーンライト」は、ここで大きく引き離されてしまった。
「ラ・ラ・ランド」は、ほとんどの場合オスカー作品賞につながるプロデューサー組合(PGA)賞も制覇している。「イヴの総て」も「タイタニック」も、作品賞を取った。アワードウォッチャーは、ひとり残さず「ラ・ラ・ランド」の受賞を予測。話題はもはや、作品賞を取るか否かではなく、史上最高である11部門受賞を達成するか、しないかに移行した。
だが、その揺るぎない確信は、裏切られることになる。なぜか?1月20日、トランプが本当に大統領に就任したからだ。
ノミネーション投票は就任前。実際の投票は移民の襲撃と強制送還が始まった頃
ハリウッドが嫌ってやまないトランプが大統領に選ばれたのは11月。2ヶ月後に彼が就任してしまうことは、わかっていたことである。だが、就任前には悪夢だったことが、就任してしまうと、予想を上回る、信じられないひどい現実となったのだ。ノミネーション投票期間は1月5日から13日で、就任前。まだ悪夢が悪夢ですんでいた頃だ。
就任するやいなや、トランプは、低所得者には政府が保険料の手助けをする健康保険制度オバマケア廃止の大統領令に署名をし、病気をもつ人や貧困層を不安に陥れた。イランやイラクを含む7カ国からの入国を禁止する大統領令は、裁判所からストップがかかったものの、肌の色や名前のせいで、アメリカ国民までが空港で引き止められる状況が続いている。そして、いよいよオスカー投票という時期には、不法移民を突然襲撃して捕まえ、強制送還するということが始まった。不法移民である母が、朝、いつものように仕事に出かけていったところ捕まえられ、アメリカ生まれでアメリカ国籍をもつ娘ふたりが取り残された、といったような出来事が、ここL.A.でも起こり始めたのである。
力をもたないその人たちが苦しもうが悲しもうが、トランプはまったく気にしない。だが、その人たちにも、それぞれに人生があり、物語があるのだ。そんなことを考えさせられる中、心はつい「ムーンライト」に傾いていったのではないか。ここで描かれるのも、社会の底辺にいながら、毎日を生き延びている人。彼には母もいるし、恋もする。彼みたいな人がいてこそアメリカで、彼みたいな人の語も、語られる価値があるのである。
「ムーンライト」は決して政治的メッセージを伝えない。トランプの時代だからこそこの映画に意義があるのだということを強調した「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」のようなキャンペーンも、しなかった。もちろん、今の時勢を受けて作られたわけでもない。タレル・アルヴィン・マクレイニーが、元になった戯曲を書いたのは2003年で、バリー・ジェンキンスが映画の脚本に書き換えようと思ったのは、2013年である。
「ムーンライト」は、ただ、投票者の今の心に、もっとも自然に入り込んでいったのだ。多くの投票者は、票を通じてメッセージを送ろうなどとも、思っていなかったと思う。本能的に、これが正しかったのである。
賞とはいろいろな要素に左右されるもの
選挙中、ハリウッドは、一丸となってヒラリーを支持してきた。たいていのことは金と名声で思うとおりにしてきたパワフルな業界人たちは、願いどおりヒラリーが大統領になっていたら、シャンパンで祝福をし、その後は、前と変わらない生活を続けただろう。そうであれば、歌とダンスが散りばめられ、夢を追う、若く美しい男女が出てくるカラフルな「ラ・ラ・ランド」は、まさに気分にぴったりだったはずだ。
賞というのは、もともと、いろいろな要素に左右されるもの。誰もが認める演技派なのに一度もオスカーを手にしていない人は、たくさんいる。映画史に残る大傑作の中にも、ライバルに負けてオスカーを取れなかったものがある。そもそも芸術に優越をつけるのが間違っていると主張し続けるウディ・アレンは、自分がノミネートされた時ですら、オスカーには来ない。
「ラ・ラ・ランド」も「ムーンライト」もどちらも優れた映画で、今後永遠に、人々に愛され続けるだろう。何十年か後に、これらの映画を見て感動した人たちは、2017年という大昔にオスカーでどんな騒ぎがあったのかなど、知りもしないはずだ。もちろん、間違いで一瞬オスカー像を手渡され、すぐに手放すことになった「ラ・ラ・ランド」のプロデューサーたちには、今はどんなことも安っぽいなぐさめにしか聞こえないだろうが。