介護家族への暴言や暴力にも共通するハラスメントの背景にあるもの 【介護職へのハラスメント2:背景】
利用者、その家族による介護職へのセクハラ、パワハラについて考えるシリーズの2回目。前回の記事では、介護職へのハラスメントの実態を伝えた。今回は、介護を受けている人によるハラスメントが起きる背景について考える。実は、これは家族など身近な人への暴言・暴力にも共通するものがある。
ハラスメントの背景にある5つのもの
親などを介護している人の中には、介護している相手から、暴言や暴力、介護拒否を受けて、「なぜ?」と、怒りや悲しみを感じたことがある人もいるだろう。介護職へのハラスメントや、親などを介護する家族への暴言、暴力は、なぜ起こるのか。これについて、高齢者の心理に詳しい慶成会老年学研究所所長の黒川由紀子さん(上智大学名誉教授・臨床心理士)は、「いろいろな状況があり、一概には言えないが」と断った上で、ハラスメントの背景として考えられるものを5つ挙げた。
A. 脳の前頭葉の病変など、本人の意思に関わらず行動を止められない生物学的な側面
B. 自分自身や周囲を思い通りにコントロールできないことへの大きな怒りや不安
C. 役割を失い、ただ世話を受けるだけの存在であることへのふがいなさ
D. 生きる意味を見いだせない、希望が持てないスピリチュアルな(精神的・実存的)痛み
E. 過去から抱えている未解決な葛藤を介護職にぶつける
こうした背景は、介護職だけでなく、家族など身近な人への暴言や暴力にも共通する。ハラスメントの中でも、特に暴言・暴力などのパワハラを受けたときには、「何か相手を怒らせるようなことをしただろうか」と、まず自分の言動を振り返る人は多いだろう。それは大切なことだ。しかし、上記の通り、ハラスメントの背景には様々な原因があり得る。全てを自分自身の言動に引き寄せて考える必要はない。
「何が起こっているのかがわからない状態に置かれていると、大きな恐怖を感じますよね。何が起きているのか、なぜ起きているのかを、いろいろな方面から考え、理解しようとすることはとても大切です。ハラスメントが起きている、その場で考えるのは難しいかもしれません。しかし、ケース検討会など、じっくりと考えて背景にあるものへの理解を拡げていく機会は必要だと思います」と黒川さんはいう。
一般の人は、家族の間で話し合ったり、ケアマネジャーなどの専門職に相談したりするとよいかもしれない。何より、一人で抱え込まないことが大切だ。
脳の病変によりセクハラ行為を起こすこともある
Aの脳の前頭葉や側頭葉の病変によって起こる病気として、「前頭側頭型認知症」がある。
前頭側頭型認知症により、脳の機能が衰えると、下記のような特徴的な言動が表れる。
これを見てみると、(7)「逸脱行為」などは、セクハラ行為につながると考えることもできる。また、(2)「時刻表的な生活」に「制止すると怒る」とあるが、(1)「同じことを繰り返す」際にこれを辞めさせようとしても、同じように怒りを買う可能性がある。また、(9)「言語障害」にあるように、言葉が出にくくなると、意思疎通が難しくなり、それにいらだち、怒り出すこともありうる。
つまり、介護職が他の利用者と同じように接しても、前頭側頭型認知症を持つ利用者からはパワハラやセクハラ的な行動を受けてしまう可能性があるということだ。
介護する家族であれば、家族の認知症の種類をよく把握しておくことが必要だ。アルツハイマー型認知症とこの前頭側頭型認知症では、現れる症状がかなり違う。
介護職も介護する家族も、この病気の特性についての知識を深めておくだけでも、パワハラ、セクハラ被害の受け止め方、対応の仕方は変わってくるのではないか。
よかれと思って行ったケアが、実は、ハラスメントの原因となる場合も
黒川さんのいう、Bの「自分をコントロールできない」とは、年を重ねれば、多少なりとも、誰しも感じることではないだろうか。早口で話されると聞き取れない。すぐに理解できない。手先の感覚が鈍くなり、サッと作業をこなせない。ちょっと複雑なテレビドラマの筋を追うのが面倒になる。そんなふうに、今までできていたことが徐々に苦手になっていく自分に気づくと、焦りと共にいらだちを感じることがある。自分自身のことも、そうした感情もコントロールできないことに、またいらだつ。
周囲がそうした加齢による変化に気づき、上手に対応してくれればいらだちは少ない。しかし、できなくなったことを突きつけるような態度をとられたり、「どうせできないのだから」と哀れむような態度をとられたりすると、中には、カッとなる人もいるだろう。
介護職や家族には、よかれと思って先回りのケアをする人もいる。多少食べこぼしても自分で食べられるのに、こぼすのを見かねて介助して食べさせてしまう行為などだ。「自分でできる・したい」と思っている本人にとっては、きつい言い方だが、“よけいなお世話”だ。こうした“よけいなお世話”が、本人のプライドを傷つけ、怒りを招くこともある。そもそも、そうした先回りのケアは、本人の“できる能力”を奪っていくことにもなる。
加齢により存在感が薄れていく痛みを周囲は理解できているか
Dの「スピリチュアルな痛み」は、Bの「自分をコントロールできないこと」やCの「世話を受けるだけの存在であることへのふがいなさ」と関連していると、黒川さんはいう。
Cもまた、多くの高齢者が感じていることではないか。これまで会社で、家庭で、様々な活動をし、多くを成し遂げてきたにもかかわらず、年齢を重ねて行った先に待っていたのは、他者から必要とされない空気のような扱い。気持ちの上ではかつてと変わらないつもりなのに、ただ世話を受けるだけの存在となった自分を受け入れるのは、現役時代に能力が高かった人ほど難しいだろう。加齢が突きつけてくる理不尽な現状への、どこにも向けようのない憤り。そして、それでもなぜ生きているのか、生き続けなくてはならないのかという、魂の痛み。
「もっと言えば、スピリチュアルな痛みは、全ての要因に関連しているとも言えます。言葉にして言わなくても、ハラスメントの背後には、年を重ねた今の自分には、生きている意味を見いだせない、希望がないという実存的な痛みが存在する場合があると思います」と黒川さんはいう。その痛みを、周囲の人たちはどれだけ理解できているだろうか。
介護職や家族の言動に対して怒りをぶつける利用者自身、怒りの背後にどんな感情があるのか、気付いていない場合もある。そこで、「なぜ怒っているのか」と聞かれても、うまく答えるのは難しいだろう。にもかかわらず、繰り返し聞かれたり、怒ること自体をとがめられたりすると、ますますいらだちを強めることもある。そうした心の動きに、介護職や家族は思いを致すことができるといい。
理不尽な怒りの矛先が介護職、家族に向かうこともある
Eの過去の未解決な葛藤は、高齢期にしばしば表面化する。人生の締めくくりに近づくにつれ、決して変えることができない過去と向き合うことになるからだ。仕事をしたかったのに、時代や親の意向によってその望みが叶わず、家庭に入った高齢の女性には、生き生きと働く女性を見ると、訳もなく腹が立つという人もいるだろう。転職を繰り返す若者を見ると、どうしても説教をしたくなるという高齢男性は、転職したい気持ちを抑えて厳しい職場で勤め上げた自分を肯定したい反面、軽々と転職する若者をうらやむ気持ちを捨てられないのかもしれない。
そうした隠された葛藤、秘められた怒りは、思わぬところで火を噴くことがある。そしてその唐突な怒りが、身近でケアをしてくれる介護職に、あるいは家族に向けられることもあるだろう。介護職や介護する家族には、まず、「今、自分は自分に原因のない理不尽な怒りをぶつけられているのだ」と、理解する力が必要かもしれない。
また、ここで紹介した以外にも、原因はいろいろ考えられる。たとえば、もともとの性格傾向、特にDVなどの傾向がある人は、高齢になっても暴力に訴えやすいかもしれない。また、金銭で女性との性的関係を持つ習慣があった男性などは、セクハラという意識がないままに女性はお金で動かせると考える人もいるだろう。こうした人たちの思考や行動のパターンを高齢になってから変えるのは、正直なところなかなか難しい。
こうした様々な背景から引き起こされるハラスメントへの対応については、このあと2回に分けて考えてみたい。これもまた、介護職だけでなく、介護する家族にも参考になるはずだ。