【京都市】2024年大河ドラマ「光る君へ」 本日11月16日は道長と同じ月が見られる!?
道長と同じ月を見上げよう
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも 無しと思へば
(藤原道長)
日本で最も有名な和歌なのではないかと思われる、藤原道長の望月の歌。
寛仁2年10月16日に詠まれた和歌です。
今年2024年の11月16日も陰暦10月16日。
本日も、道長が和歌を詠んだ時とほぼ同じ形の月が昇るとされています。
SNSでは、「#道長と同じ月を見上げよう 」と話題に。
発信元は、平塚市博物館です。
平塚市博物館は、
「陰暦の日付が同じであれば必ず同じような月が見られる、とは限りませんが、今年の11月16日の月と寛仁二年十月十六日の月はほぼ同じ。つまり私たちはこの夜、千年の時を超えて道長が眺めたのと同じ月を見上げることができるのです」
と説明しています。
望月の和歌の背景
望月の和歌は、道長の三女・藤原威子が後一条天皇の中宮として立后された日に詠まれたものでした。
立后の祝いに、道長の屋敷である土御門殿で祝賀行事が開かれました。
太皇太后彰子、皇太后妍子、中宮威子という三后すべてを道長の娘が占めるという未曾有の事態に。
宴会に参加していた貴族・藤原実資は「一家、三后を立つるは未曾有なり」と自身の日記『小右記』に記しています。
道長は実資に「返歌をしてくれ」と言い、望月の和歌を披露しました。
すると実資は、「和歌は優美で、返歌することはできません。皆でこの歌を吟詠しましょう」と言いました。公卿たちは賛同して、数度、望月の和歌を吟詠しました。
藤原実資がこまめに日記を書いていたことから、こういったエピソードが千年経った今でも伝わります。
同時代に生きた人びとが日記の中から顔を出し、「ああ、彼らはほんとうに生きていたんだな」と実感します。筆者はその度に、千年も前の史料が気軽に読めることを嬉しく思います。
公卿みんなで望月の和歌を吟詠している様子を想像すると、思わずクスッと笑ってしまいませんか?
「この世は私のものと思える。 満月のようにまったく欠けたところがないように」
と訳される望月の和歌は、道長の傲りのようにも聞こえるのですが、実際はどうなのでしょうか。さまざまな解釈がなされています。
『小右記』の現代語訳を行なった倉本一宏先生は、
「一般には、実資は道長の拙い歌に和す(返歌する)気になれなかったとか、傲りたかぶった道長の態度に嫌気をさして和さなかったとか考えられているようであるが、『小右記』を虚心に読むかぎりでは、別にそういったわけではなさそうである」としています。
そして、「この和歌が悪しき政治体制としての摂関政治というイメージを増幅させていたのであるし、天皇を蔑ろにする尊大な悪人道長のイメージを定着させてしまったことも事実である。史料というものの怖さが象徴的に表れた事例である」とおっしゃっています。
つまり、この望月の和歌が残ったことによって、道長の「傲り」や「悪人」のイメージがついてしまったということです。
史料を読めることは嬉しいことではありますが、日記も事実の「一部」であることを忘れてはいけませんね。
11/17(日)放送の「光る君へ」でも望月の和歌が
道長の「望月の和歌」が詠まれた日に合わせてか、2024年大河ドラマ「光る君へ」でも、11月17日の放送で「望月の和歌」が詠まれる様子が描かれるそうです。
どのような解釈や文脈のもと詠まれるのでしょうか。放送が楽しみですね。
11/16(土)は望月を見上げ、11/17(日)は光る君へ
藤原道長に思いを馳せながら、本日11月16日は月を見上げてみませんか?
道長が和歌を詠んだ時とほぼ同じ形の月が見れるかもしれません。
参考文献:
藤原実資 倉本一宏編『小右記』(角川ソフィア文庫、2023年)
場所:
土御門第跡
京都府京都市上京区京都御苑