【京都市北区】等持院から読み解く室町幕府の新解釈!
京都市北区、緑豊かな衣笠山の麓に佇む等持院。
静寂に包まれた境内には、室町幕府を開いた足利尊氏をはじめ、歴代将軍の墓所が並びます。
650年以上もの歴史を刻むこの古刹には、一体どんな物語が隠されているのでしょうか?
今回は、近年の室町時代研究の成果も交えながら、等持院の魅力を紐解いていきます。
足利将軍家ゆかりの寺院
等持院は、暦応4年(1341年)、足利尊氏によって創建された臨済宗天龍寺派の寺院です。
尊氏の死後、彼の墓所となり、以降、足利将軍家の菩提寺として栄えました。
境内には、尊氏をはじめ、2代将軍義詮、3代将軍義満、6代将軍義教、8代将軍義政、15代将軍義昭の墓が点在し、歴代の将軍の肖像画や位牌を安置する霊光殿は、まさに足利家の歴史を体感できる空間となっています。
室町幕府と等持院の関係
かつての室町時代研究では、禅宗は文化史や文化論の枠組みで語られることが主流でした。しかし近年では、武家と禅宗寺院の関係性が見直されています。
実は、等持院は、創建当初、現在の場所ではなく、足利尊氏と弟・直義の邸宅の間にありました。後に北山(現在の場所)に移転し、元の場所にあった寺院は「等持寺」と名前を変えます。
興味深いのは、2つの「等持院」の住持の人選が、足利直義の失脚後(観応の擾乱後)に大きく変化することです。
直義の主導下では、特定の禅宗門派が足利氏との関係を独占することはありませんでした。しかし、直義失脚後は、夢窓疎石派が台頭し、足利氏との関係を深めていきます。
つまり、等持院は、単なる菩提寺ではなく、室町幕府の政治と深く関わっていたのです。
禅宗を「文化史」「文化論」という枠組みだけで見ていては、もったいないです。
歴史は、さまざまなものが絡み合って、形成されています。
等持院を訪れる際は、ぜひこの点にも注目してみてください。
きっと、歴史の奥深さを体感できるはずです。
参考文献:
大田壮一郎「京の武家政権と禅宗寺院」『京都の中世史5 首都京都と室町幕府』(吉川弘文館、2022年)
場所:
等持院
京都府京都市北区等持院北町 63
京福電鉄北野線「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」下車、徒歩約5分
京都市営バス10,26系統「等持院南町」下車、徒歩約8分