今日は亡き娘の18歳の誕生日…。 事故から6年7カ月、父の思い【聴覚障害女児裁判】
「9月10日は、娘・安優香の18歳の誕生日です。一人の大人として社会の仲間入りをする歳になります。元気でいたら、どんな女性になっていたでしょう。私は一人でいるとき、ふと、あの子が使っていた部屋に入っては、安優香の成長した姿を想像し、苦しい思いを押し殺しています。9月3日には大阪高裁で民事裁判の最終弁論が行われました。あとは判決を待つばかりです。安優香によい報告ができれば……、今はそれだけを願っています」
そう語るのは、大阪府の井出努さん(51)です。
事故は、今からから6年半前の2018年2月、大阪府生野区で発生しました。
大阪府立生野聴覚支援学校小学部に通っていた井出安優香さん(当時11)は、先生や友達と下校中、5人で信号待ちをしていました。そこへ、てんかん発作を起こした道路工事作業員のホイールローダーが至近距離から突然暴走し、突っ込んできたのです。
この事故で安優香さんが死亡、一緒にいた児童2人と教員2人も重傷を負いました。
危険運転致死傷罪で起訴された加害者には、2019年3月、懲役7年の実刑判決が言い渡され、現在服役中です。歩行者には何の落ち度もない事故でした。
刑事裁判の判決から1年3カ月後、井出さんは加害者と加害者の雇用会社を相手に、損害賠償請求訴訟を起こしました。ところが、被告側の反論によって、さらなる苦しみを強いられることになりました。
「被告側は、安優香が生まれつきの難聴だったことから、当初、逸失利益については一般女性の平均収入の40%で計算すべきだと主張してきました。聴覚障害者には『9歳の壁』というものがあり、高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まるというのです。娘に会って話をしたこともなく、学校や手話サークルで頑張っている姿を見たこともなく、娘が11年間、必死に努力してきたことをなにも知らないにもかかわらず、その将来を一方的かつ差別的に決めつけ、死後もなお、不誠実極まりない対応をしてくる被告に対し、親として怒りの感情を抑えることができませんでした」
その後、被告側は一審の途中で、「安優香さんの逸失利益は一般女性の40%」という当初の主張を取り下げ、「聴覚障害者の平均賃金による金額(聞こえる人の60%)」に主張を変更してきました。
以下は、2021年5月、筆者が本件裁判を初めてレポートした記事です。
ちなみに、本裁判の書面に出てくる「被告」は、あくまでも加害者と加害者の雇用会社ですが、『9歳の壁』の理論を持ち出し、一方的に大幅な減額主張を展開してきたのは、実質的には加害者側が自動車保険を契約していた損害保険会社とその代理人によるものだとみられます。上記記事では、引き受け会社である三井住友海上にも取材をしたうえでコメントを掲載していますのでぜひご覧ください。
■聴覚障害者の大学教授が証人として法廷に
2023年2月27日、一審の大阪地裁は安優香さんの逸失利益について「健常者の平均賃金の85%」とし、およそ3800万円を支払うよう命じました。しかし、原告側は「基本的に、障害者も健常者と同等に考えるのが相当」として控訴。
2024年6月11日に開かれた高裁の第3回口頭弁では、自身も聴覚に障害がある宮城教育大学の松崎丈教授が証言台に立ちました。
その内容を一部抜粋します。
2000年以降は、音声に限らず、手話や文字などを使って、中枢系にきちんと情報を届ける教育方針に転換され、その結果、全体的に言語力、学力が伸びており、ろう学校の卒業生の大学進学率が、以前は10%台だったものが、転換後から20%台に高まったというデータがある。
ろう学校に通う子どもたちは、一般的に聴力の重い子どもであるところ、その子どもたちの大学進学率が高まったということは、聴力に関係なく、適切なコミュニケーション方法をとったからこそ高まったということができる。
そして、生前の安優香さんの努力やコミュニケーション能力をさまざまな記録や具体的なエピソードから精査したうえで、
安優香さんには健常者と同等の学力があったと見受けられ、将来は健常者と同等の仕事をすることができるはずだ。
聴覚障害を理由に健常者と同等の就労ができないと考えるのは間違いである。
と主張しました。
井出さんは言います。
「この日の尋問で、松崎教授は私共に代わって、生前の安優香のことを見ていたかのようにそのままを述べてくださいました。妻は、涙を流していました。被告側は具体的な反論ができず、彼らがこれまで主張してきた『9歳の壁』や、娘の将来を否定した発言は、結局は何の根拠もない差別だったのだと確信しました。そもそも、一度主張した内容を簡単に撤回するなど、そんな都合の良い話があるでしょうか」
そして、松崎教授の証人尋問が行われたその日、井出さんは裁判終了後の報告集会でこう語りました。
「本日、ここに集まってくださった方々、そして松崎教授には本当に感謝しています。この民事裁判、さかのぼれば4年が過ぎました。『9歳の壁』という一方的な差別発言から始まり、私ども夫婦はとても悔しい思いをし、心が折れることもありました。でも、11年間懸命に努力してきた娘のために、相手側の主張を認めさせたくないという強い思いで、マスコミを通じ、訴え続けてきました。
そんな中、この裁判には弁護団の皆様、大阪聴力障害者協会の方々にご支援をいただき、流れが大きく変わったと思っています。娘の障害を差別した相手側には、その発言をしたことを後悔させてやりたい、という気持ちは変わっていません。そして、娘の前で謝罪させることを諦めていません。どういう結果になるかはわかりませんが、裁判所にはどうか適正な判断を下されることを切にお願いします」
■支援弁護団38名。障害者差別のない世の中を目指して
2024年7月3日、旧優生保護法に基づいて実施された強制不妊手術に関する国家賠償請求訴訟において、最高裁は国の責任を明確に認めました。
また、岸田総理は7月29日、『第1回 障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部』でこう述べています。
「障害者への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという、障害の社会モデルの考え方を踏まえ、障害者に対する偏見差別、優生思想の根絶に向けて、これまでの取組を点検し、教育・啓発等を含めて取組を強化してまいります」
現在、井出安優香さんの裁判を支援する訴訟代理人は38名。その中には、聴覚障害、視覚障害がありながらも活躍している弁護士が複数名を連ねています。
原告側の最終準備書面のまとめには、こう記されていました。
『聴覚障害のある者にとってコミュニケーションの手段は音声に代わる手話や筆談、音声認識アプリなどに置き換えられている。また、合理的配慮の義務化により職場がコミュニケーションの方法の構築を支援しなければならないことも要請されている。
現状においてすら、障害者法制の整備により障害のある者の働く環境は整備され、テクノロジーは著しく進歩しており、また、社会においても政府が医学モデルと訣別する旨宣言するなど、社会の意識も着実に変化してきており、将来における障害のある者と障害がない者との間の就労可能性や労働能力の差はなくなっていく方向に向かうのは確実である。
年少障害者の逸失利益は、今後半世紀にわたって得られたはずの収入を算定するのであるから、公平の理念に沿って、障害のある者も障害のない者と同等に平均収入を算定しなければならない。御庁が公平の理念に従った正しい判決を下されることを切望して、末筆としたい』
判決は2025年1月20日、大阪高裁にて、14時からの予定です。
<筆者の最新まとめ記事>
そもそも障害者を差別し、減額主張をしている「張本人」は誰なのか 【難聴女児死亡事故】#専門家のまとめ(2024/9/7)
<本件裁判の経緯、署名のお知らせ等については以下をご覧ください>
大阪府立生野聴覚支援学校児童事故裁判の支援運動について(2024.9.7更新)/公益社団法人 大阪聴力障害者協
・追記、署名活動は年内に打ち切り、来年裁判所へ提出する様です。