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自然から頂戴しろ、謙虚につつましく生きろ 「北の国から」の五郎さんに学ぶSDGs

井出留美食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)
ドラマ「北の国から」五郎の石の家(倉本財団提供)

「出されるゴミを見ていると、日本人の暮らしがわかるっていうけど、全くだ。とくに毎週土曜に集められる粗大ゴミの山なンか見てみたら、ホント、日本はどうなってンのかと思っちゃう」

これはドラマ「北の国から'95秘密」の冒頭、黒板純(吉岡秀隆)の語りである。

「北の国から」というと、つい、北海道の大自然の中で繰り広げられる小さな家族の物語と、キタキツネやエゾリスなど愛らしい野生動物たちの姿に目を奪われがちだが、痛烈な文明批判にもなっているのだ。

「捨てる」とは何か ドラマが問いかけたもの

改めて1981年の第1話から「2002遺言」までを通してみると、すでに81年からその姿勢がはっきりしていて驚かされる。

たとえば第4話には、まだ小学生の純と妹の螢(中嶋朋子)が通う分校で、担任の凉子先生(原田美枝子)が「生産調整」について子どもたちと話す場面がある。

「せっかく食べられるものをよ?苦労して作ったのにわざわざ捨てちゃう。もったいないねえ」

と先生は言い、こう問いかける。

「スーパーに行けば玉ネギ1個いくらってかいてあるよね。捨ててあるとこ行って拾ってくればただよね。どうしてただのほうみんなとらないンだろ」

蛍はこう答える。

「うちは父さん拾ってくるよ。ニンジンもね、オジャガもね、畠行くとごろごろ捨ててあるから」

すると他の子から「そういうの拾っちゃいけないンだゾ」となじられる。買わなければ農家が困るからと。それに対して先生は「それじゃ捨てないで売ればいいじゃない」と突き放す。

「’95秘密」には、その父親・五郎(田中邦衛)が、畑に捨ててあるニンジンを拾う場面が出てくる。

純が恋人のシュウ(宮沢りえ)を紹介しに行くと、五郎が「たまにはオイラにご馳走(ちそう)させてよォ!」と言って材料の仕入れに向かったのは、よその農家のニンジン畑。見た目の悪いニンジンがたくさん捨てられている。

「まずいよ! だってこれ規格外品だろ!?」。捨てられているとはいえ、農産物を勝手に拾うことを気にする純に、五郎は「充分食える。形が悪いだけだ」と意に介さない。

ちゃぶ台をかこんで五郎はシュウにこう説明する。

「気にするほうがおかしいでしょう。だってスーパー行きゃ三個何ボの人参が、あすこで拾やァただなンだぜ? まだ食えるもンを捨てるほうがよっぽどおかしいと思いません?」

シュウは「思います!」と即答する。

富良野の風景(倉本財団提供)
富良野の風景(倉本財団提供)

また『’95秘密』には、富良野市役所環境管理課の臨時職員をしている純が、ごみ収集に行った先で新巻き鮭が丸ごと捨てられているのを見て複雑な表情をする場面が出てくる。その少し前に純は、五郎が娘の螢が一緒に暮らす医師への挨拶代わりに新巻き鮭を買う姿を見ているのだ。

「コノ大きいの。──イヤ小さいの。──イヤ大きいの──ア、中くらいの」

誰かがなけなしのお金で買う新巻き鮭を、ごみとして捨てる人がいる現実……。

さらに「2002遺言」には、北海道・羅臼町のコンビニでアルバイトする結(内田有紀)が、期限のせまった弁当を「いいのよ、どうせ捨てちゃうんだから」と、純にただで手渡す場面がある。

「思考停止」を嘆いた倉本聰さんの思い

「北の国から」の脚本家である倉本聰さんと2018年に対談させていただいたとき、大手コンビニによる大量の食料廃棄について、こう話していらっしゃったのが印象的だった。

「捨てるって云ったって全然悪くなっているものじゃなくて、機械的に何時を過ぎたからって、片っ端から。……僕ら、戦時中の食料難の時代に育ってるから、どうしてこんな無駄が許されるンだろうって、いつも思います」

そして消費する側の思考停止についても嘆いていらっしゃった。

「……もう我々が直感的に五感で反応してた、食えるか食えないかの判断基準が、今の子たちには、『消費期限』や『賞味期限』に頼るしかないほど、低下してるンですね」

さらに日本社会全体に対して、

「本来、自然のものを食するって危険が伴って、"AT YOUR OWN RISK(自己責任)”だったはずなンですね。それが今、法律によって縛られちゃってる。日本の社会そのものが法律とか他人の意見に依存しちゃっているところに、食品ロスの問題の根底があるような気がする」

とおっしゃっていた。

お金がなければ頭と手を使う 黒板五郎の生き方

一方、「北の国から」の五郎は、生産調整で売り物にならなくなった生乳からバターをつくり、魚や豚肉を燻製(くんせい)にして保存食にする。高いお金を払って電気や水道を引いてもらうかわりに、風力発電で電気をおこし、沢から水を引く。

家だって、仲間に手伝ってもらって自分で建ててしまう。木材がなければ、その辺に転がっている石や廃材で。畑の肥料には牛ふんや木くず、生ごみを発酵させた堆肥(たいひ)を使い、農薬は買わずに木酢液を使う。お金がないから頭と手を使うのだ。

ドラマ「北の国から」のセット(柴田義之氏提供)
ドラマ「北の国から」のセット(柴田義之氏提供)

五郎は時代や社会に流されない。頑固とか時代錯誤と言われようが、他人の意見にくみすることはない。あくまで自分の信じる「まっとう」な暮らしを貫き通す。そんな五郎のまっとうさは歳月とともにさらに深化しているように思える。

前述の分校の場面を思い返してみよう。螢以外の子どもたちは、すでに大人たちの常識を刷り込まれてしまっていた。食べられるものを捨てるのはもったいないことだが、その一方で、生産調整は仕方がないとも思っている。

しかし、五郎は、いくつになっても「食えるものを捨てるほうがおかしい」と言い切ることのできる人物なのだ。

五郎のしていることは、他人にはまねのできないすごいことなのだが、脚本家の倉本さんは、五郎を偉人のようには描かない。むしろ、いつもへらへらと笑っている泥臭い男として描いている(たくさんいた候補の中から五郎役に田中邦衛さんをキャスティングしたことを、倉本さん自身、「誰が一番欠陥が多いだろう、誰が一番情けないだろう」と考えてのことだったと明かしているくらいだ)。

しかし、五郎は貧しいなりに、たったひとりでも満ち足りた日々を送っている。そんな五郎の生き方は、「北の国から」第21話で、五郎たちが住む北海道富良野市を出て札幌市の歓楽街・すすきので働く、つらら(熊谷(現・松田)美由紀)がぽつりとつぶやいた言葉を思いおこさせる。

「農家の暮らしって本当なのかもしれないって。特にお金にもなんないのにね。汗水流して、天気の心配して、地べたはいまわって、あの暮らしって、本当はね、とっても素敵なことなんじゃないかって」

つららの言葉にある「農家」を「五郎さん」に置き換えてみるとよくわかる。五郎の生き方はお金にならないかもしれない。でも、そんな五郎の生き方こそ、本来の人の生き方なのかもしれないのだ。

ドラマから私たちは何を学ぶべきか

「北の国から」が1981年から描いてきた、ごみや食品ロス、過疎の問題、農業のあり方は、いまも大きな社会課題としてわれわれの目の前に横たわっている。少しはましになったものもあるが、当時にも増して大きな問題になっているものもある。

「北の国から」の五郎の生き方は、私たちが環境問題を考え、意識を変え、行動に移すための羅針盤になるはずだ。

お金をかけなくても、あるものでまかなえることはたくさんある。「北の国から」はSDGsの学びの宝庫だ。ドラマをリアルタイムでみていない若い世代にも、ぜひおすすめしたい。

テレビドラマの最終話「2002遺言」で、五郎さんが子供たちに贈った「遺言」が、黒板五郎という人物の生き様を強くもの語っている。最後にその一節を掲載して稿を閉じたい。

「金なんか望むな。倖(しあわ)せだけを見ろ。
ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰(く)わしてくれる。自然から頂戴(ちょうだい)しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」
                             黒板 五郎

倉本聰さん(右)と筆者(倉本財団提供)
倉本聰さん(右)と筆者(倉本財団提供)

本記事は『自然から頂戴しろ、謙虚につつましく生きろ 「北の国から」の五郎さんに学ぶSDGs 井出留美の「食品ロスの処方箋」【30】』(朝日新聞SDGsACTION!、2024年3月1日)を転載しました。独特の言い回しや表記は倉本聰さんの脚本の原文を活かしてあります。

食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)

奈良女子大学食物学科卒、博士(栄養学/女子栄養大学大学院)、修士(農学/東京大学大学院農学生命科学研究科)。ライオン、青年海外協力隊を経て日本ケロッグ広報室長等歴任。3.11食料支援で廃棄に衝撃を受け、誕生日を冠した(株)office3.11設立。食品ロス削減推進法成立に協力した。著書に『食料危機』『あるものでまかなう生活』『賞味期限のウソ』『捨てないパン屋の挑戦』他。食品ロスを全国的に注目させたとして食生活ジャーナリスト大賞食文化部門/Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2018/食品ロス削減推進大賞消費者庁長官賞受賞。https://iderumi.theletter.jp/about

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