Yahoo!ニュース

<朝ドラ「エール」と史実>「俺を殺せと言うのか」占領軍の過酷な命令が伝説的ドラマ「君の名は」を生んだ

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

来週でいよいよ最終回の朝ドラ「エール」。今週の冒頭は、ついに「君の名は」が出てきました。NHKの伝説的なラジオドラマです。

松竹で映画化された『君の名は』三部作は、1953・54年度の興行成績でトップを独占。東宝の『七人の侍』『ゴジラ(初代)』、洋画の『ローマの休日』さえ寄せ付けないほどの人気を誇りました。

「君の名は」は、きっと朝ドラで出てくると予想されていました。というのも「エール」は、ほぼ同題のアニメ映画『君の名は。』を明らかに意識した配役になっていたからです。

  • 木枯正人役:野田洋次郎=『君の名は。』挿入歌「前前前世」の作詞・作曲者
  • 関内梅の幼少期役:新津ちせ=新海誠監督の娘
  • 関内梅の成長期役:森七菜=新海監督の最新作『天気の子』ヒロイン役の声優

とはいえ、『君の名は。』と「君の名は」は、似て非なる内容です。では、“元祖”のほうはどんなドラマだったのでしょうか。

■「What your name? いい題名だ、OK」

ラジオドラマ「君の名は」は、空襲下の東京・数寄屋橋で偶然知り合い、名前を告げぬまま再会を約束した後宮春樹と氏家眞知子のふたりが、戦後にお互いを想いながらもすれ違うさまを描いた悲恋メロドラマです。もちろん、脚本は菊田一夫、音楽担当は古関裕而。

スタートしたのは1952年4月10日なのですが、そこにはひと悶着あったといいます。

菊田×古関のラジオドラマは、「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」と、このとき足掛け6年に及んでいました。そろそろ菊田も体力の限界でした。ところが当時はまだ連合軍の占領下、GHQの民間情報教育局(CIE)は、そんな事情を考慮せず、予定どおりの放送スタートを指示してきたのです。

そこでNHKの吉川義雄は、CIE脚本担当官メレディスに事情を話をしに行きました。菊田は「俺を殺せと言うのか」と音を上げている。それでも「やれ」といえばやるが、それでは菊田の肉体を損なうだろう――と。

吉川は、これでメレディスが譲歩すると思っていたようです。ところが、メレディスは「つまり、指示すればやるということだな」と理解、「君も責任ある紳士である」とニッコリして握手を求め、即座に「次の作品の題名は」と訊ねてきたのです。

これには吉川もムッとしました。その後のやり取りは、彼自身の回想でみてみましょう。

そんな相談なんか菊田一夫とする暇がある筈はない。泣く泣く彼の弱気の虫が湧いたのに乗じただけだ。

「題の名前?」わたしは詰(なじ)って「お前の名はメレディスか」と腹立たしくなり、突嗟(とっさ)に「君の名は……」と何気なく呟(つぶや)くと彼は「What your name? いい題名だ、OK」ときた。すぐ辞去して菊田一夫に伝えると、彼は中途半端な題名だが、もう何でもいいやと、ヤケのやん八だった。

出典:吉川義雄「ラジオ・ドラマの黄金期」『悲劇喜劇』33巻3号。文中の英語は原文ママ。

なんと、「君の名は」という印象的なタイトルの由来は、こんな何気ない会話だったというのです。にわかに信じられないことです。

■「毎週木曜日夜8時半になると街の銭湯の女湯がガラあきになる」

なにはともあれ、ラジオドラマ「君の名は」は、毎週木曜日の30分番組としてスタートしました。人気のあまり、「毎週木曜日夜8時半になると街の銭湯の女湯がガラあきになる」と言われたのは、そのためです。

実のところこの有名な文句は、松竹で映画化されたときの宣伝用キャッチコピーだったのですが、そう言われてもおかしくないほど絶大な人気を誇ったのは事実です。映画版で、女優の岸惠子が何気なく首にまいたストールは「眞知子巻き」として大流行したり、ドラマに登場する場所では、記念碑や関係するお土産が登場するなどしました。

またこの空前のヒットにより、松竹は本社ビルが建ったと噂され、古関によれば、こどもに「春樹」「眞知子」と名付ける親まであらわれたそうです。まさに社会現象ですね。

なお、ふたりが出会ったとされる数寄屋橋は、1964年の東京オリンピックをまえに埋め立てられてしまいましたが、その跡地には菊田の筆で「数寄屋橋此処にありき」と記された記念碑が建てられています。

■「あんたはラジオドラマでも音楽の注文がうるさいのね」

ドラマでは、主人公の裕一が池田の“無茶振り”に答えている場面が描かれました。これは、ほとんど史実どおりです。古関は「鐘の鳴る丘」のときより、ただ作曲するだけでなく、みずからハモンド・オルガンを弾いて、菊田の無理難題をこなしていたのです。

自伝に収録されている、菊田との対談より該当箇所を引用しましょう。

あんたはラジオドラマでも音楽の注文がうるさいのね、「黒百合夫人」の台本を読んでいったら完全に一頁が音楽の注文だった。それが……という感じを十五秒で表せ、と書いてあるには驚いたなァ。(笑)それから、タバコの灰が音もなく崩れる音、なんていう注文は弱るよ。(笑)

出典:古関裕而『鐘よ鳴り響け』

この口調からもわかるように、古関と菊田は本当に仲のいい名コンビでした。だからこそ、こういう無茶苦茶な指示でも番組が成立したのでしょう。「エール」後半で、菊田をモデルとする池田があちこちに出てくるのも、まったく当然のことなのです。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

辻田真佐憲の最近の記事